祖父失踪から半年……自分が除籍して一年が経つ前に……その雨は私の涙だったのかもしれない……
気が付いたらあの、祖父の失踪記事からnoteに書きたい事がたくさんあったのに書くこともできず放置してしまった…
2021年3月のホワイトデー直前のお話でした。
失踪した祖父がちょうどこの日地元はいいお天気で、色々はな場所で雪解けがありました。
私は自分のアパートで洗濯をしたりちょっと仕事したり、趣味でバタバタしていました。
そんな日に
「おじいちゃん見つかりました」
と
縁が切れたと思っていた妹から一通のメールが届いた。
祖父が失踪してから色々な神社にお参りにいった。
おみくじには何故か毎回
「失せもの/上にある」
と
どこの神社でも、どんなおみくじにも書いてあってずっと不思議だった。
でも、おみくじは本当の事を訴えていたのです。
失踪した祖父は自宅より7~800メートル坂を上った親類の家の納屋と納屋の間で見つかったそうです。
場所も知っているしどうしてそんな場所にいたのかも謎なのですが……
叔母からも連絡がきて、次の日祖父は司法解剖となりました。
しかし……
2週間経っても司法解剖が終わったという連絡がなかった……
不安だった……
なんなら私は父親が祖父を殺したのではないかという疑いまで持ってしまっていたのだから……
3月がおわりかけの頃に叔母から
「こんな状況(コロナ)だからごく少数の身内での家族葬だけにする」
と、叔母に父から連絡が入ったそうです。
叔母も何か言える立場ではないので条件をのんだそうです。
ですが、やはり母の一番上の兄はだけは【親族代表として自分だけでも参加させてくれ】と懇願したそうですが、あの阿多派の悪い父親は義理とは言えども兄である叔父にわざわざ
「辞退してほしい」
と、言い放ったそうだ。
まぁ当たり前だ。
家族葬だとしても、もしそこに私の【除籍】の事を何も知らない叔父たちが参列し、長女である私が通夜から何から……いや正確には家にすらいないなんて不思議に思うだろう……
父はただ、それを隠したかっただけのようだ……まったくもってバカげた話である。
自分の【保身】しか考えられない父に、祖父の喪主を務めさせるのは本当に苦だった。
こんな自分の【保身】しか考えてないような人間に人を弔う気はあるのだろうか……
実は正式な葬儀などは一切わからずじまいで、唯一県内の【インターネットおくやみ】で確認が何日もあとに出来たといった次第だ……
葬儀後…4/11に叔父夫婦がどうしても香典を直接上げに行きたいと切願したらしく、突撃をかけたとの事だった。
別段私の話などはでなかったらしいが……玄関の下駄箱などからも消えている私の存在などに頭のすごくいい叔父が気づかないワケがないのだ……
……そんなため息をついていた5月のはじめに妹と電話ができた。
一年ぶりの妹との会話……
聞けば失踪した祖父がみつかってから、狭い田舎では一気に情報が誰が何かに載せたワケでもなんでもないが、口だけで広まり
そして父によって【家族葬しかしない】という意思のため毎日毎日弔問客が絶えなかったという。
特に新聞のお悔やみに載ってからは本当にもう目まぐるしかったという……
発見当時の祖父の遺体は腐敗は少なかったという。
が、次の日から一気に腐敗がすすみ、結局祖父の遺体とご対面できたのは祖父の子供たち(父と父の姉二人)と祖父の妹だけだったという……
聞いてはいたが、司法解剖に回すと今は病院内感染で、死んでいたとしても遺体にコロナが潜伏するのだという……
なので、司法解剖から帰ってきた祖父はもう骨壺だったと妹は「最後会えなかったんだよね……」と声のトーンを落としていた。
もう遺骨としか対面できないのはなんとなく教えて頂いた知識にあったのですが……
本当にそうなってしまって……
言い知れないものでした。
家族葬といっても通夜から何からすべて、火葬以外は行ったらしいのですが……
父のお姉さんたちは私が除籍した事を知っているのか?
と妹に尋ねたのだが
「ううん。知らないよ……」
と妹に言われ、あのバカ父親はどこまで自分自身が【悲劇の主人公】だと思っているか……
と
腹の中がふつふつと煮えくりかえったのだった。
どうせ「30年以上手に塩かけて育てた娘が勝手に出て行った…裏切られた…」
なーんてずっといろんな人に言っているのだろう。
アホか。
この日は雨で、行きたかった薔薇園に写真を撮りに行くこともできず、
とりあえず実家方面で予定があったので車を流しながらぼーっと
『さてどこへ行こうか』
と考えていた。
少し渋滞に巻き込まれ、ハッと
……平日だ、こんな雨だ、、弔問客がいたとしても墓にまでこないだろう……
そう、神社参りがスキな私はこの日ちよっと遠い珍しい神社に行く予定だったが
予定を変更し、地元のスーパーにかけこんで仏花がパッとしなかったので
薔薇が混じったきれいな花束を一つつかみ、ワンカップコーナーで酒が大好きな祖父のために酒を選んだ。
……まだこの時にも迷いはもちろんあった
だとしてもこれを逃したら次いつ会いに行けるかわからない……
車に戻った私は意を決して一年振りに実家のある集落へ向かった。
お線香は土砂降りだったので祖父には申し訳なかったが準備しなかった。
一年ぶりに踏んだ実家の地
変わったところもあった。
しかしよくよく考えたら
私はよくこんな閉塞的な村で30年以上も生きられたものだ……
ある意味関心する。
花束のビニールをはがし、ワンカップをポシェットにいれ、傘を差して実家の墓に迎う。
山の中の誰もいない墓……
実家の墓だ
盆だなんだでどこにあるかぐらいは知っている。
たどり着くと、まだ弔問客が絶えないらしい……
ここ最近地元は暑かったのに、誰かが添えていった白菊が生き生きと咲き誇っていた。
そして、酒好きの祖父を思ってだろう……
パックのお酒も備えてあった。
山の中の誰もいない寺の上の墓地に一人佇み、花を生けワンカップを備える。
手を合わせる前に呆然と墓石前に立ち尽くした私はただただ半年感ずっと夢のようだった気持ちが一気に現実味を帯び
そしてそれに襲われただただ言葉がでてこず
何に対してなのかわからないが
「ごめんなさい…ごめんなさい…」
と鳴き声をあげて号泣した。
祖父がいなくなって49日も終わって半年経ってゃっと対面できたのに
もう祖父は笑ってもくれないし話もできないし……この墓石の下で私が3歳の時に亡くなった祖母と一緒に眠っているのだと思ったら
現実が怖すぎてそして、、、本当会いに来るのにも何をするのにも半年もかかってしまった事なのか……
家を勝手に除籍した事なのか………
全てにおいて謝罪したくなってしまいずっと泣きながら「ゴメンナサイ…」とつぶやいていた。
戒名などが墓石になかったので涙ながらに
「また会いに来るね」
と告げ手を振って私は呪われた土地と別れを告げた。
すごい土砂降りだった。
私の心情のようだった。
それでも会いにいけた事
を
私は後悔していたが
半分は後悔していない。
色んな趣味の可能性を広げてくれた祖父だった。
色々あったけれど
やはり感謝しかない……
でも
それでも米寿を祝った際に祖父が照れくさそうに
集まった血縁に
『こんな素敵なお祝いをしてもらって本当にうれしい。100までは元気に生きます!!!!』
と高らかに宣言していたのを思い出し
帰り道の車の中でも涙は止まらなかった。
93歳。
よく、
よく頑張って生きたね。
:余談:
新盆というものがないらしいので、盆が過ぎたらまた天気悪い日に
盆だーと会いに行こうとは思っているが……小さな村なので……マスクしていようが誰かに見つかると厄介なのだよね。
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