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君と一緒なら

「メアド、交換しよー!」

 そんなことを言われた時代もあったものだが、気がつけば、そのEメールは仕事以外では使うことがなくなり、アプリケーションソフトウェアでの短いやり取りが主流になった。仲の良い間柄ですらメールアドレスは知らないし、電話番号も知らない。このアプリを失うと、僕は一緒に人間関係の大半を失くすだろう。
 それは過去の清算に他ならず、「煩わしさを感じながらも最低限の人間関係を維持する」という認知行動様式を持つ僕にとっては、定期的に行いたい好むべき行為であるはずだ。それなのに主体的に実行しないのは、僕の中の人間性、いや社会性と言うべきか、社会との繋がりが絶たれることに対して本能的な忌避があるのかもしれない。それは不安か悲しみか、恐れか妬みか。本能的な、という言葉で曖昧にしてしまうのは、感情を弁別できない僕の未熟さゆえなんだろう。
 
 人は1人では生きていけない。耳当たりのよさそうな言葉ではあるが、僕はこの言葉を聞くと、少し斜に構え、発言者から距離をとってしまう。おそらくは体験として「だから〇〇をしなさい」という有難いお言葉が続くこと学習してしまっているからだと思う。子どもの頃の僕は、今にも増して他人との交流を避け1人でいることを好んでいた。そのせいか、何度となくこの言葉を聞かされる羽目になった。時には軽い口ぶりで。時には諭すように。そしてある時は、僕を支配したいというある種の情熱を持って。
 苦々しい思いをしたことも少なくない。どうやら、人と一緒に過ごすことは、人に迷惑をかけないことよりも上位にあるらしい。そのことを察するまでにはかなりの時間がかかった。
 使い古され耳当たりだけが良い言葉を、さも自分が発見した真理かのように突きつける正義感が人間関係を維持することに対する嫌悪感を増幅させる一方、それがないと一般的生活もままならないという体験的事実に対する絶望。そのおかげで、この妥協的な認知行動様式が形成されたのだろう。自分との折り合いがついてからはずいぶんと上手く社会と付き合えるようになったし、今となっては灯のない高速道路を運転するような緊張感を持ちながらでも、一端の「社会人」として生活しているのだから、これまで出会った人々に感謝をしてもいいかもしれない。
 
 ふと自分の端末に目を向けると、アプリが新しい通知を知らせている。きっと誰かの誕生日なんだろう。まったく、余計な機能があるものだ。人によっては「た」として単語登録をしている「誕生日おめでとう!」というメッセージを送らねばなるまい。辞書登録は社会性の維持を低コストにしてくれる。これからも技術の発展に期待したい。
 しかし、僕が見た通知は予想に反したものであった。

 「あなたは『【第64期生徒会メンバー緊急招集】近況確認したい!オンライン飲み会!』に招待されました」

 なんてこった。
 日常会話の中では使うことがほぼないと言ってもいい言葉が頭の中に浮かぶ。
 オンライン飲み会。それは新たな脅威だ。社会人になった僕は9年間の歳月をかけて、職場の飲み会の優先順位を学び、参加するものを厳選し、職場と自分の主義とのバランスをとってきた。
 しかしここにきて、オンライン飲み会がこれまでの知見と距離感を脅かしてきている。終電がないという恐怖。利便性という呪縛。気楽さという侵襲性。これは脅威だ。
 僕は滅多に自分から使うことがないアプリを起動し、通話ボタンを押す。
 
「田中か?今、話してもいいか?」
「おぉー心平じゃん。お前から電話とか珍しいな。どうした?」
「さっき送って来てたやつの件だけど…」
「あぁ!見てくれた?松崎が、いや名字変わったな、えーっと川本か。川本が久しぶりにみんなに会いたいって言い出してな。確かに最近全然会ってないじゃん?お前も札幌行ってどれくらいだっけ?4年?5年?久々だからまぁ俺も会いたいけど、みんなも俺も子どもいるからさ。オンラインだったら時間も場所も気にしなくていいかって。便利な時代だよな。」
「あぁ。いや、それなんだけどな。俺、最近忙しくて、なかなか時間合わせづらいからさ…」
「そうなの?まぁしょうがないか。でもすぐ連絡してきたってことは今日なら暇なんだろ?今日やろうぜ、今日。夜ならちょっとは集まるだろ。川本には俺から言っとくわ。日曜だし、そんなにダラダラはやらないから。20時で良いよな。じゃあその時間に!」
 
 田中好人は「名は体を表す」の言葉通り、人に好かれる男である。快活でリーダーシップを持つ田中とは高校生からの付き合いで、姓を谷川という僕とは出席番号が1つ違いだった。そんな偶然がなければ自分とはまったく縁のない人間なんだろうが、その偶然から彼は必然的に後ろの席に座る僕に話しかけ、これまた必然的に友情と呼ぶものを育むこととなった。
 本来であれば苦手と感じるであろう、彼の快活さやリーダーシップは、表裏がなく穏やかな彼の言動ゆえに、不快に感じることもなく、学生時代の唯一と言える友好関係として機能していた。もちろん、他の友人もいるにはいたのだが、それは友人関係に過ぎず、田中との友好関係とは違う性質のものであったと感じている。
 一方で、田中の友好関係は僕とのものだけではなかった。誰にでも好かれる「無敵」な彼は、学校行事や部活動などで周囲から声がかかることも多くあった。当然といえば当然であるが、そういう時、意外にも彼は決まってこう言った。「心平もやるだろ?」と。
 もちろん、僕はそんなことをする人間ではないし、田中の性格を考えれば断ったところで、「そうか」と軽く流すだけなのだろうが、妙なところで頑固に信念を貫く彼には、僕に 否定の言葉を言わせない不思議な力があった。そしていまだに解明できない彼の力に負け、僕は柄にもなく様々な学校行事に巻き込まれ、そこで人間関係を拡大させることとなる。
 
 田中に聞いたことがある。「なぜ僕を巻きこむのか」と。
 初めて生徒会室に行った帰り道。その日は梅雨入り前の5月にしては蒸し暑く、空気に人々の不快感情が溶け込んでいるかのような日であった。
 
 2年生の僕らは大型連休明けの学年朝礼で、生徒会に参加する10人を選ぶように言い渡された。約500人がいる僕らの学年から10人を選ぶ。単純に考えても2%程度しかない確率に自分が巻き込まれるわけがないと高を括っていた僕が、田中の想像を超えた「無敵さ」を思い知るのは数日後のことだった。周囲からの後押しによって生徒会に選出された田中は、案の定、あの一言によって僕もその輪に加え、気が付いたら約2%の1人として学年から選出されていた。人の前に立つ素質があるわけでも人気者でもない僕がその枠に入ったのは、単に生徒会活動の不人気さを表していたに過ぎないのだろう。
 入学時どころか、数日前までやるとも思っていなかった生徒会に参加することとなった僕と田中含む10名は、その日、先輩方への挨拶と今後の役割について説明を聞くために放課後の2時間半を費やしたのであった。
 そんな人生の中でも珍しい日の夕暮れ。田中と2人で駅へと向かっていた僕の表情筋は初対面の先輩たちへの愛想笑いで限界に達していた。
 夕方になり気温は下がったはずなのに、蒸し暑さは改善されるどころか、帰路に就く人々が増えた分、溶け込んだ不快感情が飽和状態に達していた。空気に溶け込めない不快感情は、道行く人に返され、ザラザラとした粘り気として纏わりついている。そんな空気感に当てられ、僕の精神的疲労は増す一方だった。
 頭ではわかっていた。先輩たちにはなんの責任もない。むしろ初対面の後輩に気を使っていたのは彼らも同じ、いや、彼らの方が上かもしれない。しかし、そんなことで僕の疲労と思考は止まらない。
「なんでこんなことを」「どうせ清算される関係になんでこんなに疲れないといけない」「僕の生きるペースを乱すやつが悪い」
 その思考が次第に苛立ちへと昇華し、目の前の友人に向かっているのを感じていた。いつもは話しかけてくる田中が珍しく無言だったのは、僕の無表情から何かを察していたのかもしれない。でもそれなら。そんな気遣いができるなら、なんで僕を巻き込むのか。自分以外のすべてがこの空気を悪化させている。あの時の僕の台詞は質問ではなかった。彼を責めていたのだ。
 今にして思うと理不尽極まりない僕の言葉に対して、田中はあっさりとこう言った。
「うーん。1人はしんどいから、かな」
 
 その返事を聞いた後のことを僕は覚えていない。僕のことだ。きっとそっけない態度をとったに違いない。なにか返事をしたかすら怪しい。しかし、少なくとも僕はその後も生徒会メンバーとして活動したし、田中もそうだった。
 高校を卒業した後は、学部こそ違ったものの2人とも同じ地元の国立大学に進学した。なぜか一緒に放送部に入ることとなり、飲み会や合コンに興じるそれなりに普通の大学生活を送った。お互いに地元の企業に就職し社会人になってからも、学生時代ほどの頻度ではないものの、高校時代の友人たちと泊りがけの温泉旅行やバーベキューに行き、夜の遊びも体験した。様々な初体験。そこには必ず田中がいた。それが事実だ。
 
 あの時の言葉の真意は今もよくわからない。放っておくと1人でいる僕の生活をそんなに懸念していたのだろうか。いや、違う。彼は穏やかではあるが、人を過剰に保護するようなことはしない。それなら一体どういう意味だったのだろうか。
 珍しく記憶が想起されていく中、なぜか記憶の中の田中がいつもの言葉が言った。彼の声、彼の口調、彼の仕草とともに。「心平もやるだろ?」と。
 
 あぁ、そうか。
 脳内の田中が僕に教えてくれたような気がした。
 僕は田中に巻き込まれていた。
 そして、おそらく田中もまた、誰かに巻き込まれていたのではないだろうか。
 記憶している思い出は、どれも僕と田中と僕の思い出ではなく、田中と僕と、他の誰かとの思い出だ。周りから人気者の彼は、いつも誰かから誘われていた。もし、彼が僕のような認知行動様式を持っていたとしたら。それは煩わしく、避けたいものだっただろう。 
 しかし田中はそうしなかった。それはきっと彼の社会との折り合い方が僕とは違っていたからだろう。自分と社会で向き合うのではなく、自分と誰かで社会と向き合う。そうすることで、社会が自分に干渉する度合いを薄めつつも、社会との関係を維持する。自分と社会との間に置く緩衝材だ。そうすることで、彼は社会と上手くやっていたのではないだろうか。それが彼の社会性だったのかもしれない。
 
 電話を切った、いや切られた後、僕は思い悩んでいた。今は 15時。あと5時間後にはオンライン飲み会に参加することになってしまっている。一体どうしたらいいのだろう。普通の飲み会と同じなのか。いや、オンライン会議みたいに会話の間が難しいだろう。しかも通常の飲み会で使える「とりあえず笑顔で聞いてうなずく」も厳しいだろう。なぜならはっきりと書かれていたからだ。これは近況確認なのだ、と。自分はまったく話さないというわけにはいかない。しかもどうしたって地元から離れている僕に注目が集まってしまう。なにか話題を準備しなくてはいけない。この辺りの名産に絡めた話はどうだろう。無難に違いない。
 相手に対するリアクションも問題だ。きっと子どもと一緒に参加するメンバーもいるだろう。通常の飲み会では子どもを連れてくることは難しいが、今回はオンラインだ。家から参加するのであれば、子どもと一緒に参加するのも難しくはない。きっと「可愛い」だの「大きくなったね」だの、「ますます似てきたね」だのと言うのが一般的なんだろう。しかし、それだけでいいのだろうか。どれくらいのメンバーが参加するかはわからない。まさか全員子どもがいるわけでも、子どもと参加するわけでもない。しかし、たった3パターンの返答で乗り切るにはどうにも心もとない。適切な返事を習得しておいた方がいいだろう。
 こんな時、インターネットは便利だ。調べれば似たような困りごとを相談している人はいるし、それに対する返答も見つかる。もちろんすべてを鵜吞みにするわけにはいかないが、色々なサイトを数件検索することで、世間一般的な反応は学べる。
 
 社会は変わる。良くも悪くも。そして上手くやるためには、僕も変わらないといけない。きっと知らず知らずに、田中が提供してくれた環境を通して僕は変わっていたのかもしれない。先輩との付き合い方も、感動で泣いている相手の慰め方も、飲み会での立ち振る舞いも。正直いうと、別にそんなことは望んでいない。けれども、社会がそうなるのであれば、変わらないといけない。それが社会的動物である僕らの枷だ。
 そう思うと「人は一人では生きていけない」という言葉も単なる綺麗ごとでもないかもしれない。人は誰しも1人では変われない。停滞する方が楽だから。停滞した先に未来はないことは歴史をみても明らかだ。だから、人は一人では生きていけないのだろう。僕が田中によって社会性を得たように。
 端末を見ると、今夜のオンライン飲み会への参加の可否が次々と流れている。思ったよりも多い参加者に、わざと大きなため息をつく。煩わしいがそれなりにやるしかない。変われるだけ変わってみよう。
 
(終)

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