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座れなかったおじいさん

駅の階段を降りていたら、目の前でおじいさんが尻餅をついた。
なんか微妙な倒れ方だな、と思い、尋ねてみる。

「足を滑らせただけですか? それともくらくらする?」

すると、
「あ、滑っただけ。滑っただけ。ごめんなさいね」
とは言うものの、なかなか立ちあがらない。
背中に手を回し、抱きかかえるような体勢になり、「首のうしろに捕まってください」と言うのだけれど、首にかかった手は何度も滑り落ちる。ここで、滑っただけじゃないじゃん絶対!となる。
ようやく体を起こすと、おじいさんは胸ポケットから障害者手帳を取り出した。聞くと、心臓にペースメーカー入っているらしい。
「そうでしたか。なんか走ったりとか、ペース乱れるようなことありました? それとも暑さのせいですかね」
と聞いてみると、おじいさんはか細い声で言った。

「電車で座れなかったんだよ」

胸が詰まるような思いがした。

おじいさんの障害は見た目にはわからないし、あの赤い十字のマークもつけていない。
「手帳を見せて頼むと絶対に席を譲ってもらえるんだけどね」と、おじいさんは弱々しく笑って言った。その通りだと思う。頼めばきっと、誰かが席を譲ってくれる。だけど今日、この人はそれをしなかった。理由はわからない。基本的にいつも本当は気が進まないのかもしれない。
そもそも電車なんて立って乗ってる人の方が多い乗り物なのだし、多くの人にとって、座れないことも想定しつつ乗るものだと思う。
だから、このおじいさんが座れなかったことそれ自体は、仕方ないというか、そこについて胸が締め付けられたわけではないんです。
そうではなくて、「電車で座れなかったという負担が重なったら倒れてしまうような状態のおじいさんが、今目の前を歩いていた」ということが、なんだかとっても苦しく感じられて。

でも、そんな些細な負担をくらって倒れてしまうっていうギリギリの状態の人が、ついさっき目の前で同じ階段を歩いていて、で、倒れなかったらそのギリギリさに気付くこともなかったわけで。
そんなこと、当たり前っちゃ当たり前なんだけど、実感してしまうと涙ぐむ思いがする。

この日の東京の最高気温は37℃だった。
どの季節だって生活するだけでいっぱいいっぱいで、暑さが加わればそれだけでちょっと倒れそうで、あといっこでもなんか負担がかかったら立っていられない。
そんな人たちがたくさんたくさん歩いているんだろうなと思ってしまった。

おじいさんは結局、駅員室で休んでいくとのことで、駅員さんにその後はお願いした。

目眩がしたり、足元がふらつくのって、けっこうちょっとした不調からすぐに出てくる症状だけれど、それが起こるシチュエーションによっては簡単に大ごとになる。
僕も以前、駅のホームで貧血を起こして線路に落っこちたことがあった。電車が来たら死んでたかもしれない。

夏の始まりは誰と会っても「水分摂ってね」が挨拶のようになっていたけれど、最近では「ちゃんと休んでね」と言い合うことが増えたように思う。
もう、水分とかじゃないのだ。
お休みが必要なのだ。
他の季節と同じように働けると思ってはいけないのだ。

みんな、どうかどうか、ギリギリの状態を「いける」って思わないでね。
外を歩けば、思いがけない最後の一押しをくらうものだから。
本当にどうか、気をつけて。



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