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かくかんかく

先日は第13回ことばあつめの夜、ご参加いただきありがとうございました。

次回のことばあつめの夜は4月27日です。
詳細はこちらから。



「ことばあつめの夜」とは、夜の本屋さんを真っ暗にして、お客さんにランタンを配って、会場には紙とペンとポストがあって、それぞれ暗闇の中で何か言葉を書いてポストに入れて、それらを集めて一冊の本を作るというイベントです。詳しくは上の記事をご覧ください。

僕はこのイベントの主催でありながら、毎度がっつり参加していて、この空間で何かしらを書くのも、出来上がった本を読むのもとても楽しみにしています。
ことばあつめの夜は月に一度の開催。時間はいつも19:30〜21:30の2時間。
投稿される内容は本当にそれぞれバラバラで、短いつぶやきの方もいれば、詩のようなもの、エッセイのようなもの、俳句や短歌などなど、いろいろです。
そして僕は、大体いつも短い小説の断片みたいなものを書いています。

たった2時間で、しかも手書きで書くので、ふだん書いているものとはまた違ったものになるし、後で読み返すととっても粗い。けれどなんというか、音楽でいうとセッションや即興のような、何が出てくるかわからん感がけっこう面白くて、別に自分に課しているわけではないんだけれど、なんとなく続いています。
手書きで即興で短時間で書いているから、ぐしゃぐしゃっと消したりぴっと矢印引いたり、それはそれは汚い感じになるし、一回パソコンに打ち込んで印刷して読んでみてからこの先書きたいって思うこともあるけれど、そういう不便さも含めて楽しんでいる。写真屋さんに現像してもらうまで見れなかった昔のフィルムカメラの楽しさを思い出す。

あと、普段も小説を書いているのだけど、そっちはほんとに大体が書けない日だし、カフェに入ってキーボードに両手置いたまま3時間何してたんだろって下向いて帰ることがほとんどなので、なんにせよガリガリ書いていくあの2時間は今やけっこう大事。書く感覚を思い出せる感じする。書く感覚を。

で、先日の回ですごく思ったのだけど、ことばあつめの夜で小説書いてる時って、中学校の時の授業中にノートに小説書いてたあの感じに似ている。
というか、単に手書きで小説書いた記憶を遡るとそこになるってだけかも知れないけれど。
でもあの頃の、誰に見せるとかも考えてなくて、作る、というよりはただ「書く」ことができればそれで満足だった頃の心地を思い出す。頭の中にある文章が消えてしまわない内に早く書き留めたいのに、自分の手が遅くてもどかしかった。頭の中で輝いていた文章も、自分の汚い字で見るとなんかハマらない気がして、目を閉じて明朝体で想像し直した。板書なんてまったくしてないのにいつも右手が真っ黒になって、制服の袖は消しゴムのカスにまみれていた。そういう「書く」が自分にあったことを思い出す。

当時、小説を書くのに使っていたノートは全て捨ててしまったけれど、たまにその頃書いたものの記憶が蘇ったりして、一回そのスイッチが入るとけっこう細部まで思い出せたりもして、ほとんど忘れていないのだけど、恥ずかしくなるから内容に関する記憶は早く消したい。
あの頃はとにかくストーリーを書き切ることを目的にしていて、言い回しとか言葉選びに対する関心は薄かったように思う。でも、たとえば気持ちが膨らんで泣きそうになって、必死にこらえるんだけど涙がつーっと伝ってしまって、一粒あふれるともう止まらなくて……みたいなシーンとか、怒りを必死に抑えてため息に気持ちを逃がすんだけど、抑えきれなくてすごい強くドアを閉めてしまって……みたいな感じのシーンなんかについては、やけに熱心に言葉を選んでたのを覚えてる。なんか、綺麗な風景だったり物体の質感だったり風の温度だったり、そういうものよりも、「抑えきれない感情」みたいなのを自分の納得のいく文章で書きたいっていう欲求があったんだね、たぶん。思春期で感情がぐわんぐわんして、そういうのを言語処理するために書いてたとこあるのかもしれないですね今思えば。

なんかでもあの感じ。何が書きたいのかも自分ではっきりわかってないまま、がしがし書いてくあの感じを、月に一度思い出す。戻りたいとか忘れたくないとか別に思わないけど、やっぱり思い出すとちょっと愛おしいね。こういうことって。

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