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何もなくてもがんばるけれど

好きな小説家を聞かれたら、いつもきまって3人を答えている。
「小川洋子と川上未映子と奥田亜希子です」


先日、丸の内の丸善での「PENフェス」に出展していたら、突如目の前に奥田亜希子さんが現れ、手を振っていた。えっ?

奥田亜希子さんといえば、5月に文学フリマに出展されていて、初めて人間の姿を拝見して、しかもちょっと会話とかもして、新刊にサインももらって、やべーやべーイヒヒってなってたんですが↓


そもそもこの人を、奥田亜希子「さん」と呼ぶようになるだなんて思ってもみなかった。なんならいまだに違和感ある。だってドストエフスキーさんって呼んでるみたい。大谷翔平さんって呼んでるみたい。坂本龍馬さんって呼んでるみたい。そのくらい、遠いと思ってた人だから。本の向こうにいる人だったから。読み終えて、閉じて、はあー……ってなって、すごいなあ、どんな人なんだろうって、その瞬間にだけ一瞬思いを馳せる相手だったから。
そんな人が、突然目の前に現れた。突然。文学フリマの時と違って、突然。

透明人間の…ファミリー・レスの…求めよさらばの…五つ星の…
著作が走馬灯みたいに回る。
「あっ、あっ、お世話に、なってます。あっ、なってないか。お世話には、なってないか」
衝撃で喋ったことほとんど忘れてしまったけど、これ言ったことだけ覚えてる。忘れたい。

あんまり初対面の人とかでもいつも緊張しないんですよ。けっこう図太いタイプなんですよ元来。だから緊張することに慣れていなくって。
このあと、奥田亜希子さんは新刊「いい感じのパン」を買ってくれたり、製本にかんするお話を聞いてもらったり、なんか色々、ほんとに色々忘れがたいことが色々あったのだけど、忘れがたいのに出来事だけがまだふわふわとして、細かいやり取りは忘れてしまったので書き起こせない。
会計を終えて帰ろうとしてる奥田亜希子さんを呼び止め、最新作「ポップ・ラッキー・ポトラッチ」が面白かったことをなんとか伝えて背中を見送り、あああ言いたいことがもっともっといくらでもあったはずなのに、と思いながらも全身にぞわぞわと漲る何かをなんとか鎮めようと自席に座って水を一口飲んでまた立った。

がんばろ、と思った。
いやそりゃがんばるだろ、どっちみち。とも思った。
そうだ。どっちみち頑張るのだけど、それを改めて胸の内で言葉にする機会をもらって、僕は幸福だった。


丸善での出展中、自著「沈黙者」を買ってくれたお客さんから、サインを求められた。
日付を書いて、サインをして、ありがとうございます、すごく嬉しいです、と伝え、本を渡した。
そのあと台帳に書き込むときに気付いたのだけど、それは「沈黙者」の100冊目の売上だった。
「あ」
小さく声が出た。
100冊。沈黙者がとうとう100冊売れた。

正直、本の売り上げとしては大した数字じゃない。けれど、時間をかけて印刷して、一枚ずつページを折って、ハケで糊を塗って、表紙にハンコを押して、一人で作ることに何よりもこだわって、そうやって一冊ずつ送り出してきたこの本が、はじめに目標としていた100冊を達成したことには、やっぱりじわじわと嬉しいものが込み上げた。

「沈黙者」は、「一生誰にも話せないこと」を抱えた青年が、それを誰かに打ち明けるまでを描いた物語。
このお話はどこか自分の内臓のように思っているところがあって、ちょっとキモいけどとっても大切。大切かどうかなんて考えもしないくらいに、大切。
そもそも、この本をどうしてもハードカバーの重たい本にしたくて上製本を勉強したし、その経験があったから今バインダーとか作ってて、そのおかげで丸善丸の内のイベントとか出れてて、尊敬している作家に会えたりとかしている。
元々、手先が恐ろしく不器用な自分が、それなりの製本スキルを身につけられたのは、「沈黙者」をかっこいい本にしたい、という気持ちで上製本の入り口を頑張れたからだと思う。
そういう色々を思うと、たった100冊といえどさすがに感慨深い。
とはいえ、たった100冊。
がんばろ。
いやそりゃがんばるだろ。どっちみち。

秋分から始まり、冬至に終わるお話です。


9月1日に出したエッセイ集です。

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