漫画、映画、演劇、小説などなど。色んな物語表現のジャンルのなかでも、紙芝居は一番没入感が低いのでないやろか? 特にしっかりと音響照明効果を使うわけでもない、屋外で上演することも多い、などなど理由は様々。 その中で如何にして観客との距離をつめようとする力。それが紙芝居筋肉。巻き込む力。
漫才でも演劇でもなんでももちろん紙芝居でも、『つかみ』は大切。 理解のない会話には興味がうまれない。
演劇は演劇的表現という嘘をつけるし、 映画はカメラワークという嘘をつけるし、 ドキュメンタリーでさえも編集という嘘をつけるし。 表現というのはいかに嘘を魅力的に活用できるか。 紙芝居はどんな嘘をつけるか。
ことが得意です。 それは、立ち姿にでます。 お客さんとの心の交流が紙芝居の肝なので、 無駄に、 斜に構えたり、 腕を組んだり、 虚勢をはったり、 などなど。 そんな紙芝居屋さんはウケないです。 心の弱さがでます。 ふらっと、 フラットに。 大事。
イラスト、漫画、小説などなど。 ほとんどの人が創作について悩んでるんじゃないですか? 8割くらい? 知らんけど。 すごく偉そうなタイトルですけど、 創作、オリジナル紙芝居作りをいっぱい(たぶん日本一)してきた経験から書きますね。 自分の周りでも色々悩んでますね、創作。 なんで作れないのか。 なんでこんなに作るのが苦しいのか。 それは【力が入り過ぎてる】からです。 まずスタートが間違ってるんです。 自分の得意なところから、力を発揮しやすい方向から始めましょう。 関節は
プロ野球選手になってヒーローインタビューされたい。 ミュージシャンになってMステの階段からおりてきたい。 だと、 成功しない気がする。 スイングの細かい部分、演奏の細かい技術、とかに好きでこだわる人が成功しそう。 バランスやけど。 なにか創作したい欲より、なにか創作してる自分でありたい欲が強いと、よくない気がする。 まあ、バランスやけど。
ハリウッドのメソッド演技ってあるじゃないですか。 役の感情、環境に入り込んで演技をする方式。 紙芝居、特に街頭紙芝居はそれとは別の方式が強いことに気づきました。 カミシバイ演技。 役ではなく、その場所(リアル)の空気、環境に入り込む。これが大事。 なぜなら街頭紙芝居には第4の壁が存在しないので。 ジャズのマイルズデービスの語録みたいなのたまたま見たけど、紙芝居と通じる部分が多かったな。ジャズと紙芝居。似てるんやな。
創作について。 昔、ギャラリーで友人の展示がめっちゃ面白くて、 めっちゃええやん! って言ったんやけど いや、でもこれ、大竹伸朗の真似でしかないんですよ(そんな感じのこと) それから彼はその手法を使わなくなったし、あまり絵は描かなくなったんかな?(楽しそうにはやってるけど) 別の友人は、横尾忠則とかガロとかそんなんが好きで影響されてミックスした画風やったけど、続けていって、社会の需要とマッチして、洗練されて、唯一無二になった。(テレビとかもでてバリバリ活躍してる)
色んなメディアとかで「ガンチャンにとって紙芝居とは?」と聞かれることが多いんやけど、 これや! 第四の壁が開きっぱなしになってる表現方法や! わかりやすい。
『息が切れるほどの熱演』みたいなのを良しとしてたけど、 観客としてあらためて観たら違うな。 息は切れてはならない。 観客と『息が合う』のが街頭紙芝居なので。
周りの人を見てて、ふと思う。 もとめられたい、みとめられたいと生きづらそうな人。 もとめられたい、みとめられたいと思うえば思うほど、もとめられないし、みとめられない。 ハリネズミのジレンマみたいに、もとめられたいみとめられたいのジレンマ。 モテたい人がモテないみたいなもの。
人のを見てて、よくありがちな失敗。 KO狙いのパンチで、もったより相手に効いていなくて、足が止まってしまった、KO負け。 ジャブとストレートをうまく組み合わせて。 ジャブもアクセントを使えば、効果的なパンチに。 紙芝居の話です。
街頭紙芝居の自分なかのコツとして『脱力』があるんやけど、 脱力のコツとして『継続』なのかな?と思った。 続けること、無理しないこと。 短距離走は絶対力が入ってしまう。 短距離走で脱力するためには、『助走』をとること。
街頭紙芝居屋として、 お芝居とか、映画とか、漫画とか、 他のジャンルとは違う、 強みは リアリティやと思ってるんです。 だって、本物の人(役ではない人)が介在する演劇系ジャンルってあまりないじゃないですか。 近いのが上方漫才。 (パーソナリティな部分をいじったり、テーマにしたりの漫才をするから) こないだ、テレビで千鳥さんの漫才を見てて、 「嘘の中にこそリアリティが際立つんやな、へーーー」 って思ったんです。 どういうことかと言うと。 コント漫才の中で、リアリテ
ふと思った。 自分より演技力のある紙芝居屋さんはいっぱいおるかもやけど、なんやかんや自分が第一線でやれてるのは『演技力』じゃなくて『ほんと力』があるからなのかも? お客さんとのコミニュケーション、作品作り、構成、演出。 どれも、いかに『ほんと力』を発揮できるか、それが紙芝居のミソ。
打てば響く。 紙芝居を教えることもしてるんやけど、 理解力の高い人、低い人がいます。 違いはなんなんやろ? 理解力の低い人は伝えたときも「キョトン」とした顔してます。 伝えること、伝わること 教えること、教わること コミュニケーションの肝は響くかどうか。 先入観、思い込み、プライド、余分な思考が詰まってると、打てども打てども、いい音はならないかも?