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【洋ドラ】『ディスカバリー・オブ・ウィッチズ』2018~第1章 1話~!

◆どんなストーリー?
 科学史の研究員としてオックスフォードにもどってきた若き女性——ダイアナは、100年以上も見つからなかった謎の本を図書館で、まるで運命であるかのように引き寄せる。
 それがきっかけで彼女のまえに謎の教授の男があらわれ、ダイアナとヴァンパイアとの不穏ふおんな関係がはじまるストーリー。

◆主要人物
ダイアナ・ビショップ……科学史の研究員。
ジリアン・チェンバレン……大学のパート職員。
マシュー・クレアモント……生科学の教授。
マーカス……新米の医者。
ミリアム……マシューの助手
ショーン…… 図書館のスタッフ
シルヴィア……魔女のリーダー

(ルビなしで1万2000字以内)


◆運命の本

 九月が終わりにちかづこうとする曙光しょこうのあさ、全長が約三四〇キロメートルもつづくイギリス最大といわれている川——テムズ川のうえにはうすきりがたちこめている。川のふとうには観光客用の舟たちが係留けいりゅうされており、その川をまたぐ橋梁きょうりょう——フォーリー・ブリッジからは紅葉こうようのうつくしい雑木林ぞうきばやしに、青や茶色の屋根やねがあざやかな街ちをいろどっている民家や建造物けんぞうぶつなどもみわたせていた。
 そんな深閑しんかんとしている橋のしたをのぞけば、一人、シングル・スカルという競技用などでつかわれる——縦長で、やけに横幅がせまく、スピードを重視したデザインの——舟がとおっていった。
 二本のオールでどうじにぐと、漕ぎ手の後ろむきに進んでいく。
 それを橋の上から、〈謎の男〉が見物していた。シングル・スカルは川の抵抗ていこうがすくないため、あっという間に橋からはなれていく。そして、〈謎の男〉もっていった。
 あらしのまえのしずけさだけが橋梁にのこっていた。
 となりはしげった林木りんぼく、もういっぽうは川沿かわぞいのながい道、そのせまいあいだの川を精悍せいかんな顔つきで女性が漕いでいる。上はターコイズ・ブルーのジャージに、下はスポーツ用の黒いボトムス、二十代後半くらいの若さで、ながいブロンドの髪みはうしろでゆわえられている。
 この美しき淑女しゅくじょの名は、ダイアナ・ビショップ。
「はい、フレッド」ボートを終えてもどってきたダイアナが、りょうを管理している門衛もんえいのおじさんに挨拶あいさつした。快活かいかつそうにカレッジのゲートをとおり、きれいにととのえられた芝生しばふをあるき、ツタが石づくりのかべ整然せいぜんおおった自分の寮にジャージ姿でもどっていく。フェロモンがたっぷりふくまれた体の汗をシャワーの水圧でながし、そのなまめかしい体躯たいくをせっけんのあわでつつんでいく。また、シャワーでそれをながしていく。
 シャワーを終えたダイアナは、上下のスーツを身にまとい、シックな音楽をながしながらトーストのパンをひとかじりする。熱々のコーヒーをすすり、姿見すがたみのまえで、ながいブロンドを三つみにととのえていく。おくれ毛が、またなんとも彼女の愛らしさを引きたてていた。
 ダイアナの部屋は、まだ引っしの荷物がすべて片付かたづいてはいない。オックスフォードにもどってきてから、まだ一週間ほどしかっていなかった。
 両びらき式の格子窓こうしまどからはいる日射ひざしに、荷物のはいっただんボールがてられている。ダイアナは、そこからプレゼンに使う資料をとりだすと、デスクの上に三十代ごろの両親の写真が落ちてきた。二人は仲良く、となり合わせでうつっている。ブロンドのやさしそうな母に、茶系のみじかい天然パーマにメガネをかけたインテリふうの父。
 ダイアナは二人をしのび、そして、勇気づけられた。
 ターコイズ・ブルーの外套がいとうをはおって、カバンを自転車かごに入れたダイアナは、三九のカレッジが存在する大学都市の道をすすんでいく。一一世紀ごろにてられたという宮殿きゅうでんのような石壁せきへきや、まだらにみあわせたモザイクのような赤レンガのかべ古代こだいローマをおもわせるような装飾性そうしょくせいの高い柱頭ちゅうとう、ゴシック調らしいアーチ窓の数々や、とがったデザインの建築けんちくなどなど、現代でもその歴史をあじわえる貴重きちょうな街ち——オックスフォードの感覚をとりもどしていく。学生が二万五〇〇〇人ちかくいるため、車の交通量はすくなく、かわりに自転車がおおく目立つ街ちでもある。
 石づくりの礼拝堂ていはいどうにたどりいたダイアナは、先のとがった鉄柵てつさくに、自分の自転車をくさりじょうのかぎでつなごうとした。すると、カバンの重みで自転車がバランスをくずしてしまう——
「ダメよ!」ダイアナが手をばして止めようとした。
 が、ヒビの入ったブロックの地面にバタンと自転車がたおれてしまった。飛びだしたカバンから、クリップでめてあった書類がバラバラにっていく——
 と、そのときだった!
 散ったはずの書類が、まるで時間をさかのぼるかのようにもどっていくではないか。
 そのようすに、ダイアナは呆然ぼうぜんじょうたい。
 パタパタ…と資料が元のじょうたいにまとまった。
 突然とつぜん起きたことにおどろいたダイアナは、すぐさままわりをみわたした。うしろのほうで雑談ざつだんをし合っている三人の教員たちは気づいていない。彼女はゆかの書類を胸にだきしめ、安堵あんどしたようなめ息をもらした。

「今回、私したちがむかえた客員きゃくいん研究員を紹介します」六十代以上とおもわれる女性の学長が言った。
 礼拝堂を講義こうぎのためにしきり、三つの段差をそなえた左右のベンチには、二十人ちかくのほかの教員たちがすわっている。学長はちょうどアーチじょうの大きなステンド・グラスに背をむける形ですわっており、そのとなりに外套がいとういでいたダイアナがすわっている。
「彼女は本校で科学史の博士号はくしごうをとり、イェール大学の終身しゅうしん在職権ざいしょくけん史上しじょう最年少のわかさで取得しゅとくしました」メリル・ストリープふうの学長が言った。「ふたたび、おむかえできてうれしいです。ダイアナ・ビショップ博士はかせ
 教員たちからの拍手はくしゅがあがる。学長もベンチのほうにうつって、ダイアナの講義を拝聴はいちょうする。
 ダイアナは一七世紀ごろにさかんだった、“錬金術れんきんじゅつ”について講義した。彼女は終始しゅうしちつきながら、モニター画面にうつしだされる画像をつかって、わかりやすい説明をゆうゆうとかたり、ベテラン教員たちからの称賛しょうさんをあびた。
「興味ぶかかったわ」ベンチから立ちあがった学長が、ダイアナと握手した。学長はつづける。「学部にきがでるの」
 学長は彼女を教授として推薦すいせんしてくれるようだ。ダイアナは、その話しをよろこんで受けた。
「でも実績じっせき評価ひょうかがひつようよ。さっき話したのは論文ろんぶんにするんでしょ?」
「ええ、もうすぐ完成します」
「じゃあ、一〇月下旬げじゅんまでによろしくね」
「はい、かならず」ダイアナは笑顔でへんじした。
 学長がほかの教員たちにつづいて立ちさっていく。すると、いれわりでべつの女性がダイアナのまえにやってきた。
「ダイアナ、よかったわ」ふんわりとしたボブ・スタイルの髪みはキャラメル色で、三十代くらいの女性が言った。
「ジリアン」ダイアナは彼女とハグをかわした。「あなたも講義に参加してたなんて意外だわ」
 二人はいりくんだ街ちのオープン・テラスにおちつき、雑談をわし合っている。
「もう六年も経つのね。いつこっちに着いたの?」ジリアンがいた。
「一週間以上まえよ。図書館通いで、荷物にもつもそのまま」
 車一台がとおれるようなせまい商店街には、夜でもないのにイルミネーションが道のあいだをうようにるされている。レトロ感のある街ちをみやびやかにしているように。
 二人の雑談はまだつづいていた。
「会えてうれしい」ターコイズの外套をはおったダイアナが言った。「故郷こきょうにもどったみたい。むかしのままね」
 ややあって、ジリアンは口がおもたそうに言う。「わたし、非常勤ひじょうきんなの。古典学こてんがくの空きがないのよ」
 ひとみもターコイズ色をしているダイアナは、ジリアンのくやしい気持ちをみとった。「残念ざんねんね……なにかたすけに——」
「大丈夫」ジリアンはさえぎった。
 友達をみじめな気持ちにさせないよう、ダイアナはただうなずくだけにとどめた。
「この街ちは今も素晴すばらしいわ」とたんにジリアンが明るくなった。「魔女の交流も活発なの﹅﹅﹅﹅﹅﹅﹅﹅﹅﹅。今夜の集会に——あなたもどう?」
 ダイアナの笑顔がひきつった。「……まだ魔法とかはちょっと……」ジリアンから目をそむけ、つづける。「両親の事件のこともあるし……わたしには無理だわ」
 ダイアナの右手に自分の手をかさね、ジリアンはく。「全然つかわないの﹅﹅﹅﹅﹅﹅﹅﹅?」
「使ったら大変なことになる」すこし興奮したていでダイアナは言った。「今朝けさもうっかり人がいるところで……」声をひそめた。「見られなくてよかった」
「“シルヴィア”は魔女のリーダーよ」黒いステンカラー・コートをはおっているジリアンがつづける。「相談すれば力になってくれる」
大丈夫だいじょうぶ。もうれたわ」
 旧友きゅうゆうと再会をたしたダイアナは、魔力をかくして人のように生活していた。
 そして、今のところはそれでうまくいっていた——
 今のところは……。

 ほのくらい礼拝堂にひとり、〈謎の男〉が立っている。彼れは外光がいこうの入るアーチじょうの大きなステンド・グラスを見あげていた。
 外からコ——ン……コ——ン……と時計塔のかねの音が聞こえてくる。
 〈謎の男〉は目をつむり、両手に持った数珠じゅず——ロザリオを一粒ひとつぶ一粒ひとつぶずらしながら、ちいさくとなえている。一八〇センチをえているだろう長身で、スリムな体型に合ったチャコールのスーツをまとっている彼れの見た目は、四十代くらいといったところ。清潔感のある端正たんせいなおももちに、どこか、洗練せんれんされていそうな印象をつよくいだいてしまう。
 彼れはまた、ステンド・グラスを見あげた——。
 論文の提出をひかえているダイアナは、後日ごじつ、またターコイズの外套をはおって、学生たちや観光客、家族連れでにぎわうキャット・ストリートの道ををとおり、イギリスでは大栄だいえい図書館につぐ規模きぼである〈ボドリアン図書館〉にやってきた。
「きのうの講義、評判だって?」図書館につとめている男がたずねた。ダイアナともとしがちかそうで、彼れは短髪の黒人である。
 ダイアナは笑顔でこたえた。いで、注文用紙を彼れにわたした。「『アシュモール』の〈三七〉と〈九二〉、それと——」
「〈七八二〉か。了解、すぐに持っていくよ」
 れいをいって、ダイアナはしずかな閲覧室えつらんしつに入っていった。
 黒人のスタッフは、ダイアナから受けとった用紙を筒状つつじょうのケースに入れると、専用のあなに落としこんだ。その筒状のケースは階下かいかの保管室へと落下らっかしていく。
 ガタン…と落ちてきた筒状を、デスクで仕事をしている五十代くらの痩身そうしんな女性スタッフがうけとった。かくにんした女性スタッフは、ズラーっと辞典じてんなみのぶあつい本がたくさんならぶ——書物のたなへと歩きだす。〈七八二〉がある棚へむかうと、なぜか、その本のところだけ——〈七八一〉と〈七八三〉のあいだがいていた。
 けげんな顔をした女性スタッフはその本をあきらめ、ほかの本をさがすことにした。一冊の本をのぞいて、ほかの本すべて手にした女性スタッフは戻ろうとした。が、なぜか棚のあいだで立ち止まった。さきほど確認したはずの、錬金術文献ぶんけん収集〈七八二〉の本がいてあったのだ。
 メガネのレンズしの大きなひとみがパチパチ…とまたたいた。不審ふしんにおもうも、とりあえず見つかってホッとした女性スタッフは、本専用のエレベーターで階上かいじょうのほうへおくりとどけた。
 ダイアナはだれもいていないテーブル台にすわり、自分のノート・パソコンをひらいていた。木製のテーブル台のうえには暖色のスタンド・ライトが両端りょうはじにおかれており、それとおなじ台が縦に何列もつづいている。彼女のまえには、角度のついた透明とうめいのアクリル製ブック・スタンドがおかれていた。
「はい」執筆しっぷつしていたダイアナのよこから、ジリアン——キャラメル・ボブ・スタイルの旧友——が小さい声でびかけてきた。
 ダイアナは手を止め、よこをりむく。「はい」
 すると、ダイアナの知り合いとおもわれる黒人のスタッフが本をとどけにやってきた。「おまたせ。『アシュモール』だ」三冊のぶ厚い本をテーブルにおいた。
「どうも」ながいブロンドをうしろで三つみにゆわえているダイアナが言った。彼女はさっそく〈七八二〉の本をスタンドに置いた。
 すると、ダイアナのよこで立っているジリアンの瞳孔どうこうがひらきだす。その表情からは、動揺どうようとおどろきが見てとれた。「……わたしは向こうにいるわ。あとでコーヒーでも」
「いいわね」上下がスーツのダイアナは、ふりむいて応えた。
 スーツ・スカートにワイン色のドット・ブラウスを着ているジリアンは、べつのテーブル台へと移動した。
 ダイアナは本の装丁そうていにひだり手をおいて、表面のほこりをゆびですべらせた。その指をみて彼女はおもう。
 この本が最後に読まれてから、どれくらいの期間が空いていたのだろうか、と。
 彼女はおもむろに最初のページをめくってみた。
 そのとき、得体えたいのしれないたくさんの声がもれてきた。
 ダイアナは唖然あぜんとしてうごけない。いっきに処理しょりがしきれないほどの、大量の言葉が聞こえてきたのだ。そして、なにかよくわからない感覚におそわれだす。
 それは、ちかくの礼拝堂にいた〈謎の男〉にも波紋はもんしてつたわっていた。彼れはその異変いへんにきづき、動きをとめた。
 ダイアナはあわててふりむいた。ほかの人たちに自分がふつうの人間でないとバレるのはまずい。
 閲覧室にいるほかの利用者たちはみな、自分たちの読んでいる本にふけっていた。あの不思議な声らしき言葉を聞こえたものは、いないと見える——〈謎の男〉以外は……。



◆呪文と影響

 ダイアナは落ちつきをとりもどし、音のやんだ本に視線をもどした。そして、一ページめくった。目にはいってきたのは文字ではなく挿絵さしえだった。赤い風船のような空間のなかに、人間のこどもが植物をつかんでいる不思議な絵。だが、よく見ると前の三ページぶんが切り取られていることに彼女はきづく。
 いったい、そのページには何が書かれていたのだろうか?
 ダイアナは、ノート・パソコンにその事実を書いていった。
 すると、とつぜん両端のスタンド・ライトのあかりが消えだした! それも、図書館すべてのあかりがどうじに。
 また、すぐにあかりがもとにもどったが、すべてではない。ダイアナもふくめ、まわりのみんなも呆気あっけにとられていた。
 ——この本のしわざなの?
 あたりをいちべつしたあと、ダイアナは本のページをさらにめくった。ひらいたページも挿絵だった……しかし、うっすらと何か透明にちかい文字が書かれている。
 いぶかしそうな顔のダイアナは、首がひねれるタイプのライトを、本のページの下から当ててみた。
 やはり、文字が書かれている……よく注意しないと確認できないレベルで横書きの文章がかびあがった。ライトをずらしながら下までたどっていくと、その文字がすこし動いたようにみえた。
 ふつうの本ではない。ダイアナは好奇心こうきしんとおどろきにおかされていた。
 〈謎の男〉が礼拝堂から出てくる。入り口で彼れの携帯がなりだした。彼れは携帯の通話をタップして耳にあてた。
『感じた?』生科学研究室にいる若い女性が訊いた。
「ああ」彼れは歩きながら答えた。
 すると、褐色かっしょく肌の気のつよそうな女性が言う。『わたしたちの血が……なにかに反応してる﹅﹅﹅﹅﹅﹅﹅﹅﹅
 ボドリアン図書館にいるダイアナは、めくったページをもどしてみた。すると、最初見たときにはなかった文字が浮きだしている。その文字は上のほうへとスクロールされていき、下からまた新しい文字があらわれる。彼女は思わずひだり手をそのページに近づけてみた。すると、文字の一部がダイアナのひだり手に移りだした。こわくなった彼女は手をはなし、手のひらを自分がわにむけた。やはり、文字が移っている。
 近くのテーブルにすわっていたジリアンも、その不思議な力をかんじていた。彼女は椅子から立ちあがり、すこしよろめいた。
 目をおおきくいたダイアナは、おそろしくなって本のページを両手でふさいだ——すると、ジワっと火傷やけどしたような感覚をうけた彼女は、ハッっと声をあげて、反射はんしゃ反応はんのうでうしろにはなれた! 息をあらげ、火傷したような右のてのひらをゆっくりみてみると、不思議なかたちの焼印やきいんがのこされていた。
「ごめんなさい」おどろかせてしまったまわりの利用者たちにダイアナが言った。すぐさま本をじると、まだ消えていた図書館のあかりがすべて元にもどった。完全にとりみだしているダイアナはあわてて本をもどし、ボドリアン図書館から出ていこうとする。
 そのころ、ちょうどボドリアン図書館のところに〈謎の男〉がおとずれていた。彼れは並並なみなみならぬ聴覚をつかって、まわりの学生たちの声をひろっている。
 図書館の入り口からダイアナがいそぎあしでやってきた。彼女はとりみだしていたため、まわりをよく見ていなかった。前のほうから歩いてくる男性とぶつかってしまった。
「ごめんなさい」うしろをふりむいてあやまり、歩きつづけようとしたダイアナは、一瞬いっしゅん、たちどまる。
 ——え!? まさか……
「お父さん?」ダイアナはもう一度ふりむいた。
 こいいブラウンのジャケットをはおった——茶系のみじかい天然パーマにメガネをかけたインテリふうの父のすがたはいなかった……。
「お父さん?」ダイアナは辺りをみわたしながら、父の名をよびかけてみた。くなっているはずの父の名を。
「ダイアナ、何があったの?」ジリアンがけつけてきた。「感じた? 人間の仕業しわざじゃないわ」
「あの『アシュモール』の写本、なんだか変だった」
「なにか見た?」
 返事がない。
「ダイアナ——だいじょうぶ?」
 二人の会話を聞き取っていた〈謎の男〉が、二人のようすをかどからうかがっている。
 ダイアナはジリアンの呼びかけを無視むしして、けげんなようすで立ちさっていく。ちょうど歩いていった角には、〈謎の男〉がいる。二人の距離きょりがだんだんちかくなる。〈謎の男〉は携帯を見てるフリをした。そのすぐとなりを、ダイアナは通りすぎていった。〈謎の男〉はしずかに彼女のうしろを目で追っていた——。

 出勤を終えたばかりの若い新米しんまい医師たちが、雑談をし合いながら院内からでてきた。好青年ふうの見ための男と、彼れよりも身長が高い——すこしチャラ男っぽい顔立ちの男が二人、オックスフォードの道をあるいている。敬語をつかっていないところをみると、おそらく二人は同期の仲間で、それもかなり親しい仲だとうかがえる。
 とちゅうまで一緒にあるいていた二人は、帰り道のことなるところで立ちどまり、わかれのあいさつをしてたがいに立ちさっていこうとする。
「よくねむれよ」ハグを交わし、チャラ男顔が言った。
 一〇メートルくらい離れたところから、好青年ふうが言う。「来週、フットサルだからな」
寝坊ねぼうするなよ」チャラ男顔は、うしろを向かずに返事した——
 と、そのときだった!
 チャラ男顔のうしろのほうで、ドンッ!——という衝突音しょうとつおんとどうじに、好青年ふうのにぶい声がもれて聞こえた。
 チャラ男顔はうしろをふりむいた。
 なんと、好青年ふうの男は、信号のない交差点の道で、セダンの車にかれていた……。
 チャラ男顔がいそいで駆けつけると、急停止していたセダンは逃走をはかりだして走りさっていった。
「そんな……」チャラ男顔は、バック・パックを背負せおったまま——ぐったりと横むきにたおれている友達の体をあおむけにした。「ジェームズ! おい!」
 好青年ふうのジェームズは、息をしていなかった。
 大好きな親友を死なせるわけにはいかない。チャラ男顔は心肺蘇生しんぱいそせいをあきらめ、まわりに人けがいないか見渡みわたした。街路樹がいろじゅのつづく交差点ちかくには、車が何台も道のよこにめてあるが、通行人はだれもいなかった。
 すると、チャラ男顔はいきなしジェームズの首筋くびすじみつきだした! 目をひらいたまま息のない彼れの血をいだしたのだ。いったん上体を起こしたチャラ男顔は、自分の手首をつめき、そこから垂れおちる血をジェームズの開いた口のなかへと落としていく。
 すると、とたんにジェームズの目がパチパチとまばたき、息をきかえした。彼れはチャラ男顔のうでを強くにぎりしめ、血をれながしている手首にいきおいよく噛みつきだした。その顔はとても怒りにちていて危険をはらんだをしている。
 チャラ男顔はすべての血を吸われないように抵抗した。
 なぜかジェームズの力が弱まった。彼れはチャラ男顔の腕をはなし、地面にくずれた。わずかな呼吸を数回つづけたが、まもなく、ジェームズは帰らぬ人となった。
「……ダメだ! 死ぬな!」ジェームズの顔をたたいてみも反応はかえってこなかった。チャラ男顔のマーカスの表情は、マーブル模様もようのようにショックと混乱こんらんで入りみだれ、あふれかえっていた……。



◆寒い森にすむ魔女

 フィンランド——。
 明け方の早朝、黒のレジャー用車が一台、まっすぐ続くせまい砂利道じゃりみちをはしっている。両サイドにはたくさんのトウヒ——クリスマス・ツリーにもなる木——がえており、くものない空を見あげれば、ゆるいアーチじょうのみがつづく緑白色みどりはくしょくのオーロラが顔をのぞかていた。
 湖畔こはんのちかくの林道りんどうで車が止まると、黒い手袋てぶくろにファーきのロング・コートを着た——六十代くらいの学者ふうな男と、ロシア人っぽい防寒ぼうかんぼうしをかぶり、内側がキルティング素材のアノラックをはおって、猟銃りょうじゅうをもちだした五十代くらいの男がりたった。ふたりは木漏こもれ日のない——まだうす暗いはやしのなかを遠望えんぼうし、互いにいちべつしたあと、猟銃の男がさきに進んでいった。
 土面どめんの道を三十分ほど歩いていくと、メラメラにっている朝日がのぼり、ようやく見通しがよくなってきた。道中どうちゅう、二人はたいして言葉を交わさず、ただ警戒をしながら、まだ歩きつづけていた。
 すると、みずうみがのぞける湖岸こがんのあたりで、ぽつんと孤独こどくに建っている小さな山小屋をふたりは発見した。ちかくにある木立きだちにロープがむすばれており、タオルと服がされてあった。
 カチャっとスライド・アクションで散弾さんだん装填そうてんすると、猟銃の男は、山小屋へと慎重しんちょうにあゆみよっていく。学者ふうの男は、はなれて見守っている。
 猟銃の男は窓から部屋のなかをのぞいた。が、暗くてよくみえなかった。入り口のほうへまわりこみ、男はいきおいよく扉を押しった。猟銃をかまえ、なかにきすすむ。
 暗い物置きのような小屋には、だれもいなかった。
「だれもいないが、ベッドはまだ温かい」山小屋から出てきた猟銃の男が言った。「近くにいるはずだ」
 猟銃の男のうしろかられかの声がする。
「そのとおり」
 猟銃の男はふりかえった。「!? どこから現れた?」
 いつのまにか、カーキ色のブルゾンをはおった黒い髪みの女性が山小屋のまえに立っていた。相手をすくめるような眼光がんこうをはなっており、その右手には狩猟用のナイフをにぎっている。
「待てっ!」とっさに男は猟銃をかまえた!
 謎の女は有無うむを言わせず、そのナイフを猟銃の男の脚にした!
「うわぁっ‼︎」猟銃の男は前にたおれた。
 謎の女はすぐさま両方の手のひらを彼れに向け、聞いたこともない呪文で“かこめ”ととなえた。
 すると、地面から出現したほのおが、たおれている猟銃の男を円陣えんじんにかこみだした。
 三十代くらいにみえる謎の女は、なさけ容赦ようしゃなく、さらに“大地だいちよ、この者に——静寂せいじゃくを”と呪文を唱えた。
 炎がかこんでいる地面に亀裂きれつしょうじはじめる。四つんいで動くことのできない猟銃の男は、恐怖につつまれた。地面がとうとう崩壊ほうかいする。それは奈落ならくそこへとくずれ落ちていった。猟銃の男のさけび声が聞こえなくなり、彼れの命は静寂となった。
 はなれて様子をうかがってた学者ふうの男は、その場で硬直こうちょくしたままだった。
 謎の女は円陣の炎をものともせずわたりあるき、攻撃的な視線をとばしながら学者ふうの男のまえに立ち止まった。
 学者ふうの男が口をひらく。「酒場さかばでみつけた男だ。森に魔女がいるとおしえた」だまって耳をかしてる女に男はつづける。「人間は偏見へんけんに満ちてる。いつも、あんなに躊躇ちゅうちょしないのか?」
 謎の女は鼻でわらった。「秋分しゅうぶんのせいよ」まだえている炎のほうをふりむき、右手を差しだした。手のひらを向けると炎がちいさく、やがて消えた。地面はふさがれていた。
「きみは大いに役立ちそうだ」学者ふうの男が言った。「〈コングレガシオン〉の仲間にしよう」
 ブルネットの謎の女がふりかえった。
「その前にすることがある」学者ふうがつづける。「問題が起きてね﹅﹅﹅﹅﹅﹅﹅



◆刺激的な匂い

 研究者でありながら若くて優美ゆうびなダイアナは、体力づくりにもはげむ果敢かかんな精神にんでいた。彼女はいま、休日の朝をジョギングについやしており、テムズ川をまたぐアーチじょうの木造もくぞうの橋——ジュビリー・ブリッジをわたりきったとこだ。ブロンドのながい髪みをうしろでまとめ、ターコイズのジャージをうえにはおり、おなじ色のタンクトップを着ている彼女は、紅葉もみじ枯葉かれはっている土面をはしりつづけている。彼女が身につけているネックレスのしたには、たゆたう乳房ちふさかげがくっきりとのぞかせていた。
 川沿いの道を走っていくと、無人のパント舟がいくつも係留されていた。紅葉こうよう林木りんぼくだけでなく、民家もとなりにみえてきた。
 だが、ダイアナは気づいていなかった。半径一キロ圏内けんないに、〈謎の男〉もいたことを。チャコールのスーツを身にまとい、黒い髪みはしっかりと短くととのえられており、げのない端正たんせいな顔立ちをしたクレアモント教授。もう、すでに三回もダイアナと接触せっしょくしていた彼れは、ダイアナのハァ…ハァ…という息づかいを——さも自分の耳元でささやかれているかのように——なみはずれた聴覚でひろっていた。
 ダイアナもまた、なみはずれた体力をもっていた。一時間以上も走りつづたのにもかかわらず、レンタル・ボートの倉庫そうこから一五キロほどもあるシングル・スカルをかたでかかえて歩き、ボート・レースなどでも有名なテムズ川をオールで漕ぎだしたのだ。
 謎の男——ダイアナと同じ大学につとめているクレアモント教授——そして、数百年もその姿をたもって生きつづけているヴァンパイア。彼れはダイアナの留守るすをねらって、彼女のんでいる寮に侵入しんにゅうしていた。クレアモント教授のしらべによると、ダイアナはセーラムで処刑しょけいされた魔女の直系の子孫しそんだったという。一〇〇年以上さがしつづけても見つからなかった『アシュモール』の本が彼女のまえに現れたのは、そういうことだったのだ。そこには、吸血鬼ヴァンパイア起源きげんを解明する手がかりが書いてあるという。
 が、彼れがダイアナの部屋をくまなくさがしみても、本がみつかることはなかった。彼女がもどしたはずの〈七八二〉の本は、ボドリアン図書館からも消えていた……。
 ようやくボート漕ぎを終えたころには、すでに日は隠れていた。埠頭ふとうに立ったダイアナはボートをかつぎ、収納庫しゅうのうこのほうへと歩をすすめた。とちゅう、ジャージの上を地面に落としてしまったが、まずはボートをもどすことに専念せんねんした。大きな納屋なやに入っていくと、蛍光灯のあかりをつけて、たて列にならんでいるボート置き場に彼女はもどした。
 そこでダイアナは、なにか気配けはいを感じとり、うしろをふりむいた。「っは!」
 数メートルはなれたところに、クレアモント教授が縦列にならぶボートにもたれていた。
「こんな暗いところが安全だと思うのか?」クレアモント教授が言った。
「……付きまとわないで」タンクトップ姿のダイアナに、おびえが生じる。
「一人でボートを漕ぐのは危険だ」ダイアナのほうへ近づいていく。「ところで……『生命の本』をどうした?」
「なんのこと?」
 教授は立ち止まって言う。「きみは力のある魔女だ」
「図書館で起きたことはわたしにもわからない」
「ウソをつくな」言下げんかに言った。「わたしには分かる」
「わたしは返却へんきゃくした」
「しんじられん」
「ウソだったらどうするつもり?」ダイアナは一歩まえにすすみ、強気にでる。「頭を引っこ抜く?」
 教授はしずかに言う。「可能だが……それでは解決しない」
「もういちど言うわ。本は持っていない」高身長のクレアモント教授のよこをとおりすぎ、ダイアナは納屋から出ていこうとする。
 彼女の背中にむかって教授は言う。「何世紀もうしなわれていた本をきみは呼び起こした」
 ダイアナは歩きつづけている。
「理由を知りたくないか?」
 ダイアナが立ち止まった。
「われわれが生き残るためのカギだ」振りかえったダイアナのほうへをすすめた。「変だとおもわないか? なぜ魔力をつかえない魔女のもとに現れたのか」近くで彼女を見おろし、教授が先に納屋から出ていった。暗くなったふとうのほうへあるいていくと、彼れはダイアナが落としていったジャージをひろいあげた。
 怪訝けげんな顔で、ダイアナはそのようすを十メートルはなれたところからうかがっている。
 うしろにみえる街灯がいとうと月明かりにらされ、埠頭ふとうに立っているクレアモント教授は、ダイアナのジャージを自分の鼻にしあてた。彼女のしみついたにおいをぎだしたのだ。
 ダイアナは目をまるくし、呆然とその様子をながめている。
 すると、クレアモント教授の眼光がするどくなりはじめた。あの冷静沈着ちんちゃくなようすが、とたんに危険をはらんだ目つきに変わる。
 ゴクリと固唾かたずをのみこむダイアナ。おもわず口がひらいて、教授のほうへとすこしちかづいた。
 ダイアナのジャージをろし、恐い顔で遠くをみつめ、クレアモント教授はしずかに言う。「ゆっくりと通りすぎろ。急な動きはするな」声を上げた。「行け! 走らずに」
 ダイアナは言われたとおりに、おずおずと教授のよこを歩いていく。まるで腹をかせているくまとぐうぜん出会ってしまったかのような恐怖につつまれて。心臓の鼓動こどうがはげしく彼女の全身をひびかせていた。
 クレアモント教授は自分をおさえるのに集中していた。
 五十メートルほど歩いたところでダイアナは立ちどまり、気になって、ゆっくりと後ろのほうふりかえってみた。
 そこには…………


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 ——一話終了。


 「悪魔というものが実際に存在せず、ただ人間がつくったものだとすれば、悪魔は人間そっくりに創られているにちがいない」

ロシアの小説家 ヒョードル・ドストエフスキー


おまけ(カットした部分)↓

◆魔女と謎の男の初対面

 書物のかぐわしいしずかなボドリアン図書館の閲覧室で、ダイアナは論文の作成をおこなっている。前回、ふしぎな体験をした『アシュモール』の〈七八二〉の本はけて、べつな写本を数冊かりていた。
 ほかにも引用いんようしたい写本を論文でみつけたダイアナは、ずら——っと本がならべられている閲覧室のロフトにあがった。
 この日はやけに利用者がすくなく、テーブルに着いて読書しているものは一人しかいなかった。そして、とうとうその利用者もいなくなり、ダイアナの貸切かしきりじょうたいとなってしまった。
「『ノーツ・アンド・クウィアリーズ』……」かべぎわに置かれた本棚の通りを歩きながら、ダイアナがちいさくつぶやいた。「どこにあるの?」
 ——あ! あった。
 ダイアナは手をのばし、高いところにある本を取ろうとした。「もう……」手がとどかない——
 と、そのとき、その本が勝って飛びだした! 
 それはロフトの下のほうへと落下していく。
「はっ!」欄干らんかんささえられながら、ダイアナは手を下に伸ばした。
 本は床に落ちなかった。チャコールのスーツをまとった〈謎の男〉がキャッチしたのだ。
 目を丸くするダイアナ。
 〈謎の男〉はゆっくりと見あげた。「君のかな?」沈着と。
 ダイアナはロフトのらせん階段をくだり、〈謎の男〉のほうへと歩いていく。彼れのまえで立ちどまった。
「ひどいヤケドだ」ダイアナの右手をみて、男が言った。
 ダイアナは長身の彼れを見あげ、いぶかしんでいた。「……あなたはヴァンパイアね」沈黙ちんもくの彼れから本をうけとった。彼れから名刺めいしもうけとった。「“生科学のクレアモント教授”」
「ああ、ビショップ博士。錬金術変成へんせいにおける色の象徴性しょうちょうせいかんする論文も、膨張ぼうちょう収縮しゅうしゅくの問題にたいするボイルの取りくみの研究も、じつに興味ぶかかった」クレアモント教授は沈着とつづける。「読者のために過去かこ再現さいげんするテクニックは見事だ」
 ダイアナは警戒しながら言う。「どうも」
「きみを忘れられそうにない」クレアモント教授はロフトのほうをいちべつする。「あれを見てはね。魔女は人まえで魔力をつかってはいけないはず」
「わざとじゃないわ」
自制じせいができないのかな?」
「ちゃんと自制できているわ」沈黙をやぶるようにダイアナは言う。「仕事があるので失礼します」彼女は自分の席へともどっていった。ノート・パソコンのまえに本をおき、うしろを振りかえってみる。
 後ろにいたはずのクレアモント教授は、姿を消していた……。

 

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 ——おわり。

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