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今すぐ使える文章術「よくある結末は損する結末?」【☆】

神里です。

今回は物語の締めくくりについて少し話そうと思います。

ミステリーやサスペンス、ホラーなんかによくあるシメで、こういうものがありますね。
「結論を作中では出さず、読者に考えさせる終わり方」
「結論や経過をぼかすことで、じわじわと恐怖を感じさせる終わり方」
「一見支離滅裂な展開や結末にすることで、得体の知れない恐怖を感じさせる終わり方」

プロアマ問わずこの手の書き方をしている作品はごまんとあります。

しかし……しかしです。

実際に書き上げて投稿などしてみた方で、こう思った事はありませんか?

「こういう書き方をしたのに、読者が考察してくれない、狙いの感情を感じてくれない」

あるいはプロの作品を読んで、投稿サイトで作品を読んで、「なんだかよくわからなかった」「考えるに考えられない」「なんでそうなんねん(そうなるの)」と思った事はありませんか?

多くの謎を残して物語が終わり、一体どういう事だったのか何があったのかと考察を読者が行う事もこの頃は珍しくありません。むしろ考察をする段階が一番盛り上がるなんて事も往々にしてあります。
紙媒体にとどまらず、ゲームなどでもよくある話。

だから自分もそれに倣って同じようなシメで物語を書き上げ、投稿したり本にしたりしているのに……

なんで自分が書いたものは読後盛り上がってくれないのか。いったいどういう違いがあるというのか。
(人気や既読数などはさておき)


どうしてこんなことになるのか……
実はこれには、はっきりした理由があります。


「考察してほしい」「恐怖してほしい」こう思ってこういう展開、結末にするわけですが、何故それを感じてもらえずそうしてもらえないのでしょう?

答えは単純です。

そのように書かれていないから

いやいや、せやから、謎を残して終わる書き方とかしてる言うてますやん神里さん勘弁してぇな(半ギレ)……と、言われるかもしれません。

しかし厳しいようですが、そのように書いているのに思うとおりにならないのは、そのように書いている「つもり」になっているからでしかありません。


具体的に見ていきます。

何故考察してもらえないのでしょう? そのように書かれていない、とはどういうことか?

問題なのは、終わり方ではありません。謎を残して終わる、全てを語らない、理解できない恐怖を描く、どれも非常に有効な終わり方です。
しかしこれはあくまで、物語全体の大枠にすぎません。結末をこういう風にする、という枠組みにすぎないのです。

では具体的に何が問題で、思うとおりに読んでもらえないのか。

それは簡単です。
作中で説明や解説がされなさすぎて、あるいは筋が通っていなくて、読後に考察等する気になれない(することができない)
のです。

説明や解説というとなんだか仰々しいですが……
要は物語全体を見た時に、考えてみようと思わせてくれない書き方をしているわけです。

例えば……

ある町では都市伝説が流れています。
夏の夜にある行動を起こすと怪異が現れ、殺されてしまう、といったものです。
主人公はオカルトやミステリー好きの探偵で、この都市伝説に興味を示します。
都市伝説にあった話を追っているうちに、この怪異にやられたとしか思えない殺され方をした遺体が見つかっていきます。
しかし、都市伝説はあくまで都市伝説。怪異が人を殺すなど、あり得るはずもありません。
であれば、この連続殺人は人の仕業でしかなく、逮捕されるべき犯人が存在するわけです。
様々な謎を解明し、事件を追い調べ、そして探偵は人間の犯人にたどり着きます。
逮捕された犯人は殺人を認めましたが、犯人の話と現場の状況は整合性が取れない部分がありました。
犯人にしか知りえない事や被害者との関係など動機部分、それらを考えれば確実にその人物が犯人です。しかし、彼の自供では状況に無理がありました。被害者はみな、都市伝説の通りの行動をした後に殺害されてしまっていたのです。
しかし事件は解決しました。物語は締めくくりに向かいます。
果たして被害者は本当に犯人によって殺されてしまったのか?
人か、怪異か。
物語はここで終了です。
*(この例を、以下では「上記例」と呼ぶことにします)

こういう話を一例として挙げます。
結局一連の殺人事件は、逮捕されたその犯人によるものなのか……「考察をしてほしい終わり方」ですね。

さて、これを読まれたとき、この物語の謎を考察してみたいと思いましたか?
思ってくださった方、とてもお優しいですね。ありがとうございます。

しかし残念ながら、これではあまり考察意欲はわきません。

「人か怪異か」
「解決したのに、のどに骨が引っかかる読後感」
考察意欲をかきたてるには最高のスパイスが結末に含まれています。
なのに、何故、考察意欲がわいてこないのでしょう。


答えは、考察に至るための情報量が少なすぎるから、です。

当たり前ですが、考察を行うには結論を推察するための情報が必要になります。正誤問わず、数多くのヒントや考える余地が作中に存在しなければ、そもそも考察という行為自体成り立ちません。
上記の例では良い所として「何を考察すればよいか」ははっきりしていますが、それを考察するとき、どういった部分が重要になりそうかなど読者が推理を行うためのtipsがなく、ただ自由に想像する事しかできないのです。

いやそれってどういうことよ。

簡単です。
腑に落ちる結論を読者が出せるかどうか。
ある程度の筋や道理をもってして考察の結論を出せるかどうか。
これに至るための情報や展開がきちんと作中にちりばめられているか。

これがきちんとできているかどうかが、最重要といっていいほど大切なのです。

例えば殺人事件が起きたとして。
何故起きたのか、どのようにして起きたのか、犯人は誰なのか、などなど考える部分は沢山あります。
しかし、「殺人事件が起きました。どうですか?」と訊かれても、いや何の情報も無しじゃ何も考えられませんけど自由に創作するんですか? ってなりますよね。
これは流石に極端ですが、この事件について考えて欲しいとき、どういうものを提示すると面白く思ってくれるのか、考えてくれるのかを書いていかなければなりません。
捜査をしていくうちに容疑者があがっていき、動機に繋がりそうな話が出てきたり、凶器について言及があったり……様々な話が展開し情報が与えられるからこそ、考えられるわけですよね。
作品としては、その答えを作中に書くか書かないかというだけ。
読者が結論を出せるかどうかというのはこういうことで、「何が目的なのか」「(作中から)どういう事が想像できるのか」「何故そう考えられるのか」これらを読者が作品を読む事で導き出す事ができる、そういう書き方をする必要があるのです。そして結論が明確に作中で提示されていないのなら、それはそのまま考察になります。
考察されない作品は、これら一連の流れが乏しい、あるいはtips同士が繋がらない場合が多いわけです。

もっと細かい事を言えば、ミスリードやもっと小さな謎とその解決に当たる情報を散らすことで小さな結論を積み重ねさせるなどありますが……そういうワンランク上の技術についてはまた別の時に。


じゃあ読者がきっちりたどり着ける結論(=答え)を用意しておけばいいのか?
今回の議題(答えを示さず考察してほしい)のように作品を持っていきたいのであれば、そういうわけでもありません。
上記例で言えば、人の仕業なのか怪異の仕業なのか、その結論(推論)を読者が出せる所まで情報を散らす必要はありますが、はっきりと筋が通るようにどちらが正解かを導かせる必要はありません。
(勿論それでもいいですが、それはまた別な楽しみ方になりますね)

「ここはこうでこうだから、こういう結論じゃないの?」
「いやいや、こっちがこうでこうなるから、むしろこっちが結論だろ」
こんなやり取りが生まれるように、tipsを仕込んでいく必要があるのです。


何故狙ったように読者が読んでくれないかの答え「そのように書かれていないから」という意味がわかってきたかと思います。
まずは、ここを見直す必要があるわけですね。


実はまだ理由にあたるものがあります。

内容が突飛すぎる

これもプロの作品含め色んな作品でたびたび見かけて、勿体ないなと思っています。
レベルの高い作品は、突飛と思える展開ほど綿密な計算のもと書かれています。
展開や表向きの流れからして突飛に見えるだけで、実際はそこに至るまでの雰囲気作りであったり話の進行方法であったりが緻密に計算され整えられており、突飛な展開で大きなインパクトを受けながらも納得しながら圧倒されてしまうのです。
これができていないと「え、急にどした」「なんでいきなりそうなる」と、読者がまるでついてきてくれません。

特によくあるのは、ホラーやミステリーでグロシーンを出すとインパクトや恐怖感が際立って良いと思って急にこういうものをぶっこむ……というもの。
しっかりと計算された積み重ねの上でこれをやらないと、読者には全く受け入れてもらえません。例えば普段の平和シーンとのギャップを作り出そうと思うなら、肝心な場面でそう思われるよう導いたうえで突飛なシーンを出す必要があります。
ただただ急にそういうものを出すだけでは、しらける一方です。

そしてこの違和感は最後まで引きずる事が多いです。
その作品の感想として悪い意味でインパクトを与えてしまい、考察や狙った感情を受けさせるどころではなくなってしまいます。急なぶっこみに意識を完全にとられてしまい、作品を楽しむどころではなくなるのです。
最悪、意味がわからない作品だった、と言われかねません。あれ必要だった? と疑問に思われてしまうわけですね。


それともう一つ……
これは上手に使う事ができるなら強い味方になるのですが……

登場人物を死なせる

これは扱いが非常にデリケートで、ひとつ間違うと評価がダントツに悪くなってしまいます。
皆さんも、読者として経験した事があるのではないでしょうか。
「このキャラ(たち)を死なせる意味とは?」
こう思った事もある方は多いとおもいます。
(その手の展開の作品ばかりでうんざり、というのはまた違った感情ですので除外)
その死に意味があるかどうかとかそういうレベルの話ですらなくて。
物語であってもね。死は当たり前に存在しますので、「またその展開」という意見は本来ありえないんですよ。たとえ読者として飽き飽きな展開だとしても、その作品の中では唯一の命ですから。
現実で身近な人が死んで「またかよ」なんて思いませんよね。それと同じなんです本来。
こういう意味ではなく。

登場人物が死ぬということは、言い方はあれですが、何らかの強い印象や感情を与えようとしてそういう展開にするわけです。
今回は「考察してほしい」という内容での話ですから、「何故その人物が死ななければならなかったのか」や「その人物が死なないこと(世界線)もあったのでは」など、謎の根幹に大きく関わってくるはず。あるいは、考察すべき謎を紐解く手がかりにもなるかもしれません。それに、死というものへの強い感情をもってして挑ませる、こういった狙いがあったりしますね。

ゆえに、その人物が死んでしまうことで見えてくるものがなければなりません。そうでなければ、ただインパクトを与えたいがためのイベントでしかなくなってしまいます。
確かに人の死はインパクトありますが、言っても創作なので、扱い方によっては全く心が動かされません。
例えば上記例で協力者が現れていたとして、事件解決後に急にその協力者が死んでしまったとしたら……例に手を加えない限り、意味がわからないですよね。それでも「(一見解決してるけど)事件はまだ終わってないんだよ」とメッセージを残すことはできますが、作中で何も伏線が敷かれていないと、「いやなんで死ぬの協力者なん?」「急展開すぎて意味わからん」となりかねません。それどころか「とりあえず近い人物殺しとけ、と適当に書いた」とさえ思われてしまいます。
これをやるのが悪いわけではありません。やるのなら、そこで死んでしまうのが(上記例でいう所の)協力者でなければならない理由、あるいはそれを感じられる伏線や情報が作中で語られていなければなりません
そうしたらどうして事件は終わったと思ったのに協力者が死ななければならなかったのかが見えてくる=必然性が感じられるのです。
そしてこれを感じ考えることこそが、考察すること、です。


ここまでくれば、もう読者が何故狙ったように感じてくれない、考えてくれないのかおわかりと思います。
では、修正していくにはどうしたらよいのでしょう?

今回は少しだけ、具体的にどうすべきかを上記例をもちいて書いていきます。

まずするべき事は、全体のチェックです。
そのお話は、読後に何を考えるべきか明確になっていますか?
考察するために必要な情報はどれくらいあるでしょうか?
話の筋が通っていますか?
展開がごちゃごちゃしていませんか?
ただ突飛な展開が突っ込まれたというような構成になっていませんか?

不要なものは削り、必要な情報を入れていきましょう。
この中身については、また別の項目になりますので今回は語りません。とても大事なところではあるのですけどね。

でも、だからってどうしたらいいのかさえわからない……
色々方法はありますが、そういう場合は、展開を箇条書きにしてみてください。あるいはあらすじみたいに書いてもいい。上記例は、なんかそんな感じの書き方ですよね。あれくらいでいいです。
勿論既に話は書き上げているわけですから、箇条書きにしたとて詳細は頭に入っていますよね。
次は、順に展開を追ってみてください。
そうすると、読後に「何を考察するべきなのか、してほしいのか」を決めやすくなります。上記例で言えば「結局事件は人間の仕業なのか怪異の仕業なのか」です。短くまとめても、それがよくわかるはずです。
もしどうしても決められない場合は、そもそも作品がこういうシメに合っていないと思います。それでもこのシメを使いたいのなら、調整が必要になります。
例えば上記例で協力者がいるとして「協力者は結局何者だったのか」と思ってもらいたいとしたら、そのように進行や結末を調整します。様々活躍したり、色んな事を知っていたり、主人公を助けたり、果ては怪異の正体を見破ってしまって倒すのに大いに力になったり。しかし彼は結末でいなくなってしまいます。警察も、彼の事は知らないといい、そもそも姿を見ていないと言います。こうなると、「彼はいったい何者だったのか」「そもそも人間だった?」と、考えるべき謎の方向性を変えていく事ができますね。
おおよそ何を考察するのかが決まれば、もう一度最初から展開を追います
考察してもらいたい点が決まっていれば何が必要かわかりますね。すぐ上の例で言えば「主人公を助ける」「博識である」など協力者の存在が強く感じられるシーンを入れなければなりません。そうすることで協力者に興味を持ってもらい、印象強い存在にしていきます。最後には、もはや良いパートナーと言えるほど。しかしよく考えると、彼のことは何も知らないのです。こうなれば、協力者が姿を消してしまったとき「いったい彼は何だったのか」というイメージを読者に与える事ができますね。

これを積み重ねていき、考察しがいのある作品を作っていくのです。
勿論これをするだけでなく、そうするのに十分な技術的な事やらが必要になります。
今回の話はあくまで「最悪を回避するためにできることの一部」にすぎません。しかし、これらを気をつけていちど振り返ることで、ひとつ先へ進む事ができるのではないでしょうか。そのお力になれていれば幸いです。

今回はミステリーやホラーを想定して書いていますが、他のジャンルの話でも根底は同じです。読者に考えてもらいたいのなら、そうさせるような仕掛けを、必然性を作る必要があります。


では最後に、上記例をもとに、具体的にどういう修正を行うか少し考えてみます。
考察して欲しいのは「人か怪異か」です。どうすれば、この構図について深く考えてくれるようになるでしょう?
色々策はありますが、「明らかに人の仕業なのに、ある一つの事象がために怪異である可能性を捨てきれない」みたいなのはどうでしょう。
物語の始まりから怪異の都市伝説を伏線として意識させられつつも、事件を追ううちに人災であると確信していき、最後犯人逮捕で事件は幕を閉じる。しかし……各事件の被害者は、それぞれが何の繋がりが無いにも関わらず、共通して「怪異を呼び出す動作を被害に遭う前に行っていた」のです。
偶然と言い切る事もできる。けど、そう片付けるにはあまりに引っかかる。
事件は解決したが、謎は解明されないままに幕を閉じる……
怪異の仕業と思っていたら人災である証拠を見つけるシーンが序盤にあったり、怪異の都市伝説について調べるシーンがあったり、人間には不可能な殺害方法だと思ったらできる方法が見つかったり、どの事件の推理にも微妙に穴があったり、全ての出来事が怪異の仕業だとしたら一番筋が通ったり……
音を使うと効果的かもしれません。怪異が訪れる時には、どこからか鐘の音が聞こえてくる。事件は確かに解決したが、何故鐘が鳴るのかどこから鳴るのかそれは結局わからなかった。そして、最後の最後で主人公の近くで鐘が鳴って……そこで終わってもいいし、協力者が死んでしまってもいいし
ホラー調になるのは避けられそうにない流れですが、こういう感じでてこ入れをしてみると、上記例としても一層考察しようという気にさせられるのでは。
無論、しっかりと内容を書く事が前提になるわけですけど。どんなに良い展開を考えられても結局これができなけりゃ意味ないね!!


いかがでしたか。
結局「考察させたい」の部分に焦点当たりすぎていましたが、読後の恐怖感などにしても同じ事です。結末だけを合わせるのではなく、作中から仕掛け作りをしていくことで、狙ったとおりに読者が動いてくれるようになるのです。

今回は結構当たり前のことを書いてはいるのですが……こういう当たり前と思うようなことこそ、一番気をつけるべきことなのかもしれません。
御託を書いてて思うのは、いざ自分も書くと自分に叱られてるような気持ちになる事ですね……けどこれこそ文章のいいところ。世に出すまでは、いくらでも修正ができますから。
僅かでも誰かの何かに役立てられていれば幸いです。

……これ、今すぐ使える、か?


上質なミステリーがそろそろ読みたいにゃ。

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