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体験から経験へ。自分のSNSを振り返る

山やアウトドアでは、未知の事象に出くわすことがたくさんあります。そういった時、自分がどのような対応をとったか、フィールドブックに記録し、記憶を整理することで、次回に同様の現象が起こった時の意思決定の足しにすることがあります。では、ウイルスという長期の脅威に自分が晒された時、自分は一体どのようなリアクションをとったのか?という疑問が湧いてきました。

自粛期間中に自分が何を発言していたか?

最近、緊急事態宣言中に自分がどのような内容をSNSに投稿していたか、Facebookのタイムラインを見つめ直してみました。ウイルスという全くの専門外で未知の事象に自分がどういうリアクションをしていたのか?発言や行動に一貫性があったか。今の言動に矛盾がないか?矛盾があるとすれば、それはどこから生まれたのか?

山であれば、フィールドブックに山行日記が記録されていますが、私の山行は長くても最長一ヶ月でしたので、2ヶ月近く、ウイルスという未知の驚異に晒されていた際に、自分がどういうリアクションを取っていたか、個人的に興味があったからです。

では振り返ってみましょう。

実際の投稿

私の場合、ウイルス関係の話題を始めて投稿したのが3/21。北海道利尻島から東京に戻り、その足で白馬でBCスキーガイド協会の研修をした際に投稿したものです。 

この頃は、感染者は増えつつも、まだ緊急事態宣言は発令されておらず、アウトドア業界はまだ自粛派、半自粛派に分裂(笑)しておらず、みなが我関せずでアウトドアを楽しんでいた印象があります。

3/21 東京都のPCR検査陽性者数 34人

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ここにも書いてあるとおり、私は医者でもなんでもありませんので、感染症については厚生労働省の指針を読み、そこから想像しうる範囲で、上記を自分なりにまとめて、投稿をしました。まだSNS上では、アウトドア特有のリスクについて言及している人がいなかった印象があります。

しかし、私はガイド研修の責任者だったため、研修時に万が一事故があった際、感染以外にこの状況下でどのようなリスクがあるのか、いったん整理して考えました。特にガイド研修(特にBCスキーガイド)は普段よりリスクを多めにとり、より過激な行動をとりがちであることを過去から学んでいましたので、よりObjective Hazard(雪庇とか急斜面とか落石とか、目にみえる危険)の低いルート取りをし、なおかつ、体力的にも余裕のある内容の研修にすることを、参加者に提案し了承をえて、無事、研修を終了することができました。

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この投稿をまとめる際に、こんな短い文章でも、社会で言われている指針が果たしてそのままアウトドア環境に適用できるのか、大いに疑問が残ったことをおぼえています。そして、出来ることは一つ、未知が多く残る場合は、受け入れるリスクを極力少なくすること。研修中もそれだけを考えていたことをおぼえています。


4/2 東京都の新規PCR検査陽性者数 253人

政府が方針転換をし、積極的に検査を行う姿勢が現れはじめた時期。折れ線グラフを見ると感染者数(検査数)が極端に増え始める時期で、アベノマスクで盛り上がっていた時ですね。芸能人も誰もかれも各国の支援策とてらしあわせて「マスク2枚かよ!」と盛り上がっていた時です。

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今となっては、日本政府の手厚すぎる経済支援策に、恐怖すらおぼえます。あの時の安倍首相に謝りたい...

父母の世代が必死に働き蓄えた国としての貯蓄を食いつぶし、それだけでも足りず、これから我が国に生まれてくる子供に生まれる前から借金を背負わせている。それが私たちの世代ともいえないだろうか?と時代錯誤の義憤に燃えていたのをおぼえています。


次は4/9  東京都の新規PCR検査陽性者数 572人 

一週間で感染者が倍増。4/7に緊急事態宣言が出された後。ちなみに前の週末の金~土が私の最後のガイド山行でした。

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激しいストレス晒され、対処すべき眼の前の問題から目をそらそうという姿勢が見受けられます…。


4/16   東京都の新規PCR検査陽性者数 596人 

緊急事態宣言から10日すぎ、ストレスの発散方法がなく、政府対応を巡ってSNSが荒れはじめていたころですね。

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ストレスを受けつつも、批判以外に何かないのか?ユーモアで盛り返すことができないのか?と考えていたことをおぼえています。


4/23 東京都の新規PCR検査陽性者数 445人

山岳4団体の登山自粛要請が出たのが4/20。今から見ると感染者の増加に歯止めがかかり、ピークを越えゆるやかに現象傾向があった状況ですから、だいぶ後手後手な印象があります。誰もその事実を見ようとせず、私も事実から目をそらし、人々の目や他人の行動によって自分の行動を決めていた時期です。

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意味不明wwww

失われたのはお前の理性だろ。と言ってあげたい。完全に錯乱状態といえるでしょう。写真稼業のクライアント様がこの投稿を目にしていないことを祈ります。


5/2 東京都の新規PCR検査陽性者数 445人

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これだけ読んだら、相当こわい人ですね。私がこの投稿を読んだら、投稿主とは絶対に友達になりたくないと思うでしょう。

ちなみに投稿を控えたもので、

自粛道の禁じ手・その一 他人には自粛を強要しつつ、その間に解禁後の利権をしれっと手に入れること

というものがあります。つくづく投稿しなくてよかったと思います(あ、書いちゃった)


5/4 東京都の新規PCR検査陽性者数 106人

GW中にも関わらず、山にも行けず、仕事もなく...という状況。しかし、新規感染者はピーク時の1/5。

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海外では登山解禁に向けて議論が進む中、なぜ、僕たちは以前として「他人に自粛を守らせる」ことが主題になり「どういう状況で登山が可能か?」に議論がシフトしなかったことを苛立ちをおぼえていました。

該当記事はこちらです。

始めは私のブログに投稿したものですが、Facebookではある程度シェアされ、賛同してくださる方もいるのだなあ、と思った記憶があります。


5/25 東京都の新規PCR検査陽性者数 20人

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5/13以降、新規感染者が20人前後で推移していましたが、相変わらず続いていた緊急事態宣言が解除される見込みがたち、働ける嬉しさが感じられます。

考えてみれば人類は、奴隷にされて「働け!」と言われてきた長い歴史はありますが、「働くな!」といって隷属状態になったことは一度もありません。緊急事態宣言の良し悪しはともかく、人類の歴史始まって以来の異常な事態であったことは、記憶にとどめておく必要があるでしょう。

記憶ではなく記録

さて、いかがだったでしょう。(ただでさえ、倒錯した私のSNS投稿に再度、皆さんをつき合わせてしまい申し訳なく思います)

こうして見るといかにストレスにさらされた状況下で、自分が衝動的になっていたかがよくわかります。(SNSってなんで投稿してから後悔するように出来てるんですかね???)

ただ、自己弁護をすると、自分のスタンスが世の中で起こる未知の事象に対し、良きにつけ悪しきにつけ、懐疑的だったことはわかりました。

私が登山を通じて学んだ最大のスキルは、観察力。ガイド事業を通じて学んだのは判断力です。ここでは観察力について少しお話します。

観察力とは、自分の外部で起こる状況を判断せずに、正確に記録すること。ここでのポイントは、判断せずにという点です。善悪、好悪、を決めずにいったんは、何が起こっているのか全体を把握する力です。絵画であればデッサンですね。空が晴れているとか、ゲストが疲れているとか、気温が下がってきた、とか事実を事実として受け入れる力ですね。

ここで好き嫌いや善悪を持ち出すと、外部の状況を正確に判断できなくなる。だから、つとめて客観的な目で、細部から全体まで、刻々変化する状況を記録するんですね。

そして、記憶ではなく記録するんです。なぜなら記憶は好悪や善悪などで変化していってしまうから。変化しないように、解釈で意味が変わらないように。

体験から経験へ

記録をする重要性は、経験を増やすためです。よく私たちが混同しがちなのは、体験と経験の違い。体験とは個別の登山とか、さっきのSNSでいえば毎日の投稿ですね。それを経験として蓄積するには、整理をし、そこから何かの教訓を導きださなければなりません。

そして、記憶しか残ってない状態は、「あの山良かったなあ」とか「マジ、あの山二度と登りたくない」という状態です。これが体験というやつ。

これらの体験を整理した段階が、

「なぜ、あの山は良かったのか?」→「それはこういう理由だ」

「なぜ、あの山は登りたくないのか?」→「準備不足あるいは自分の体力に見合ってない可能性がある」

という段階。ここで理由や教訓が導きだせればそれが経験になる。という訳です。こうなって始めて、良い経験になった、といえるのです。

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ただ、今は、山行計画も山行日記も書かない人がほとんどですからね。経験を積むのがどんどん難しい状況になっています。その手がかりはSNSくらいになってしまっています。自分で投稿をあまりしない、という方は、自分が他人の投稿に対し、どのようなコメントをしていたのか、改めて整理してもいいかもしれません。

自分がどんなに傲慢で、どんなに人の主張に対し、的外れな意見をしていたかたがわかります(それは、わたしのことです)

経験は自分のため

最後に、経験を積むのは自分のためです。私も自分の投稿を改めて眺め、一貫性があるか確認してみましたが、これを絶対に他人の投稿に対して行わないでください(笑)

私も登山自粛を推進した方々に対して、言いたいことがたくさんありますが、それは言いっ子なしです。なぜなら、それ以上に、自分の主張や投稿がいかに支離滅裂だったかが、わかったからです。

誰もが未知の事象にたいし、一回限りの人生を生きています。登山と同じように、次回の山行で道を誤らないために、次回は間違わないために、出来ることは一つ。

良い経験を積むこと

これ以外にはないと、信じています。



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時間とお金、どちらも有限な存在。ゆきずりの文章に対し、袖触れ合うも何とやらを感じてくださり、限りある存在を費やして頂けること、とても有り難く思います。