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もう「講義」はしない。すべての授業を「反転授業」にして、新しい大学の学びを創る。

来週から、大学の新学期が始まる。それにあたって、1つ考えていることがある。それは、すべての授業を「反転授業」とすることだ。

反転授業とは、動画を予習として置き、学生はそれを観て授業に臨む。授業では、その動画の内容を基に議論をして、より理解を深めるという形式の授業だ。

日本では講義があって、復習して知識を定着させる教育が普通だ。それを、講義を予習にして、教室では議論をするというように、「講義→復習」を「講義(予習)→議論」という、「予習中心主義」に反転させるので反転授業というのだろう。

反転というのは、たぶん日本だけの呼び方だ。海外の大学は、「予習中心主義」が普通だからだ。英国では、まず教授が大教室で講義をし、その後、学生は小集団のクラスに分かれる。若手の先生や大学院生の指導で学生は、講義を元に議論をして、理解を深めるというスタイルだからだ。

私は、コロナ禍の2020年、ZOOMが使えて、動画を簡単に撮れるようになったのを好機と捉えて、英語基準の学部コース(Community and Regional Policy Studies Major)の2つの授業で導入した。

要は、英国の授業スタイルを、動画を使うことで導入したということだ。その意義、効果はすでに論じたので、こちらをご覧いただければと思う。

「反転授業」の破壊的威力|かみぽこぽこ(上久保誠人) (note.com)

「反転授業」の威力(2):留学生が「地方分権」を考えた|かみぽこぽこ(上久保誠人) (note.com)

新学期が始まるが、私は1つの決断をした。これまで英語の授業だけで行っていた「反転授業」をすべての授業で行うことにした。つまり、日本語で行う受講生100人以上の大教室授業でも「反転授業」を行うことに決めた。

ただし、大教室では英語の少人数の授業のような、教室での議論はできない。従って、「国際政治経済論」では、以下の形で行う。おそらく、日本の大学では誰もやってこなかった形式だ。

授業の1週間前に、予習の動画を用意する。学生は動画を観て、授業支援ツールのページに質問(できればコメントをつけてもいい)を私に提出する。

教室では、私が今の国際情勢、国内政治等の解説も交えながら、学生の質問に90分間答え続ける。すべて、準備なしの即興とする。

鋭い質問で、答えられないものもあるだろう。それは、次週答えることを約束する。

これで、元々の講義に加えて、学生の疑問を元に、もう1つより深く、より広いことを話せる。うまくいけば、教育効果が2倍になる。日本の大学の教育システムの範囲内ながら、欧米並みの効果を狙う「反転授業」だ。

まあ、うまくいくかどうかわからない。ただ、どうしてこんなことをやろうと思ったのかといえば、それは大学での「講義形式」の授業の限界を感じたからだ。

コロナ禍が、ウェブ授業を劇的に進化させたことはいうまでもない。それに、いわゆる「Z世代」と呼ばれる若者の性質が加わって、講義形式の授業の形骸化を進めてしまった。

Z世代は、例えば映画を観ても、最初の部分を早送りして、クライマックスだけを観るという。他大学の話だが、5つの講義の動画を同時に視聴して、それが判明して単位を与えられなかったというケースもあるという。

私の前期の大教室授業でも、もうこれはダメだなと思うことがあった。要は、授業中でもパソコンを開くのが当たり前になって、私がアドリブで話している部分とか、おそらく学生は別のことをやっている。

なにより、ウェブと対面を同時に行う「ハイブリッド授業」の場合、学生は教室に来ない。そして、私の授業をパソコンで流すと同時に、何か別のことをやっている。

私は、前述の学生に単位を与えなかった大学のような対応をしたくはない。別に、5つ同時にいろんなことをやって、それでも試験で合格点を取れば、それで単位を与えていいと思うのだ。

同時に、5倍のことをやれるわけでしょ。それで何が問題かと思う。僕らの頃には考えられないくらい、多くのことを今の学生はできるということだ。

私は、IT技術の発達など、コロナ過でできてしまったことは、後戻りさせる必要はないと思っている。それで空いてしまった時間と場所は、新しいことすることを考えるべきなのである。

だから、私の講義でのアドリブは、10年上に渡って学生に好評だったと信じているが(笑)、もう、学生はその時間を早送りとか省略するようになった。それが時代の流れだ。

だから、私は基本的に、もう大学の教室で「講義」はしない。講義は、動画で行う。そして、教室では、今までにはない、新しいことを行う。そう決めて、新学期に臨む。

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