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『ぬいぐるみとしゃべる人はやさしい』

『ぬいぐるみとしゃべる人はやさしい』を見た。
以下、ネタバレありの感想である。

この映画の感想を述べるには極めて個人的な事柄に触れざるを得ない。
何に共感したか、何を感じ取ったか、何が辛いか。
普段は蓋をしている感情と向き合わなくてはならない。
社会人として自然に振る舞っている(かのように見える)日常の自分から離れて、もう二段階ほど深い階層に入っていかねばならない。
そういう意味でこの文章は純然たる感想ではなくてごく私的な書き付けにすぎないが、気持ちを整理するためにこういう形で残しておくべきだと考え、久しぶりにブログを書くことにした。


この作品は主人公の七森がぬいぐるみに話しかけるサークルにおける他者との交流を通じて広い意味で人を愛することができるようになる話だと受け取った。
原作は未読なので、読めば変わる可能性はある。


映画的表現としてよくハマっていると感じたのは衣装だ。
「白城みたいな女の子は絶対骨格ウェーブ」、「鱈山や光咲のようなファッションの先輩はサークルに一人は絶対いる」、「肩周りにフリルのついた袖のブラウスは確かに藤尾っぽい女の子が着ている」、など。
それぞれのキャラクターに合った服装が設定されていて、その観察眼が恐ろしいとすら思った。
主人公の七森も心境の変化に伴ってどんどん身につける服が変わっていく。
学生服やスーツのダークカラーから白へ、また落ち着いた色味へ。
髪型も含めて登場人物たちの変容が表されている。
私は衣装がストーリーとリンクしていればいるほど素晴らしい映画だと思っているのだが、『ぬいしゃべ』は私の期待を遥かに超えてきた。


『ぬいしゃべ』は何にも似ていないユニークな作品だが、鑑賞後の感覚は身に覚えがあった。


彼らが部室でぬいぐるみに話しかけている様子や敢えてスムーズになされない会話の感じ、世の中の中心的な価値観になじめないことで起こる摩擦に敏感であることに苦しめられている状況がこれらの映画や演劇に通底するものがあると感じた。

私はぬいぐるみに話しかけることはしなかったにせよ、ぬいぐるみと寝起きし、留学先へいくつかのぬいぐるみと共に旅立ち、新しいお友達を連れ帰ってきた人間だ。
学生時代のまだ世間擦れしていなくて、人間関係に不器用で、感受性が豊かだった頃に「ぬいぐるみに話しかける」という手段を得ていたら違った人生になっていたのかもしれないと夢想する。
コミュニケーションのぶつけ合いで他人に縋っていたあの時のことは思い出すだに恥ずかしい。
甘え方を知らず、自分の気持ちもよく分かっていなかった。表層的な感情をそのままぶつけることしかできなかった幼すぎる自分は、あるいはぬいサーのように否定されることのない場所を求めていたのかもしれない。


七森と麦戸の友情は見ていて危うくて、それでいて清しいものだ。
学生時代というモラトリアムが終わっても続くタイプの関係性なのかどうかは分からないけれど、彼らの十代の終わりと二十代のはじめを振り返った時に必ず思い出す人間のうちの一人になるのだと思う。
その年代を語る上で外せない存在は貴重だ。

映画の終盤で二人は対話を通じてその友情を確固たるものにした。
傷つく可能性を内包しているけれど、他人同士が少しでも分かりあう部分を増やすためには会話が必要で、ぬいぐるみへの一方的な語りでは決してなし得ない。
この会話で七森は「他人の分からなさ」を受け入れることができるようになったのではないだろうか。
これはある種の諦めでもあって、他者と自己の境界線を引くことにも繋がる行動であるようにも感じる。


作中で「嫌なことを言うやつは嫌なやつであってくれ」という趣旨の七森の発言があった。
これは色んな意味で刺さった。
嫌なことを言われるだけでなく、当然ながら自分も嫌なことを言ってしまうことがあるからだ。
私は自分の中の偏見や当然だと思い込んでいる価値観が怖い。
いつも正しくありたいのに、私は完全にフラットでいることができない。
吐いた言葉が相手を傷つけてしまう可能性から逃げ出したい。

仕事であれば、ビジネスの話よりも飲み会の方が怖い。
社会で一般的な価値観が当然とされている場が息苦しい。
そこから外れると白眼視されるし、自分もそのような態度を取ってしまうこともある。
あのとき傷ついた自分と同じような状況にある人を自分が作り出してしまうことが怖い。
怖さと弱さに強制的に対峙させられるから職場の飲み会が嫌いだ。
会社にもぬいサーがほしいくらいだ。


最後に七森と白城の話をしたい。
七森が白城の家に泊まった日の描写は心が痛かった。
白城のある種の決意を七森はふいにした。
七森は自分を分かるために白城を利用したのだから、こういう瞬間が来ることを予見していなかったはずはない。

とはいえ、私はかなり七森側の人間だ。
彼女の気持ちを考えると本当に申し訳なく思うけれど、私があの状況に置かれたら、きっと七森と同じようなことをすると思うし、相手にもそれを求めてしまう。

七森のやり方は決して褒められるものではない。
けれど、彼のことも分かる自分がいる。

まだこれはうまく言葉にできないから、今日はここで筆を擱くことにする。

※旧ブログよりサルベージ:2023/5/1

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