郡司芽久『キリン解剖記』(ナツメ社, 2019)

長い首を器用に操るキリンの不思議に、解剖学で迫る!「キリンの首の骨や筋肉ってどうなっているの?」「他の動物との違いや共通点は?」「そもそも、解剖ってどうやるの?」「何のために研究を続けるの?」etc. 10年で約30頭のキリンを解剖してきた研究者による、出会い、学び、発見の物語。
郡司芽久=著『キリン解剖記』/ナツメ社「内容紹介」より

キリンが好きで、キリン柄のものを買い集めたりするくらいにはキリンを意識して生活している。
2つ目の学部を卒業する時に、年上の友人に「卒業遠足」として動物園を案内してもらった。動物が好きな方で、その動物園にはお友達が勤めているということでバックステージツアーを計画してくださった。そこでキリンの赤ちゃんに蹴られたという貴重な思い出が自慢だ。(もちろんとても危険なので大事がなくてよかった。うっかり背後に近付いてしまった私が悪い)

母に聞くと私は小さい頃、キリンが好きだったらしい。
動物園に行くとキリンの前から動かなくて、たいそう気に入っていたとかその程度のエピソードしかなかったような気がするが、なんとなく幼い私が好きだったのならまあ今の私がキリンを好きなのも納得できる。

しかしいわゆる「理系」の勉強にはいつの頃からか苦手意識があって(多分小4の時に算数のテストで0点を取ってから)、ずっときちんと授業を聞かずに生きてきた。(もちろん苦手だからと言って授業を聞かなくていい理由にはならない)
植物も好きだが、主に木が好き、彼らに直接向き合う道を選ばなかったのはそういう理由だった。生物のテストで13点を取っているのに樹木医になりたいというのは冗談がすぎる。

また生き物を扱うことに正直抵抗もある。
単に自分の血も見られないのに解剖ができるか、という話で、採血などはずっと目を閉じて好きなアイドルのことを考えることにしている。(脳内は自由なのでアイドルがまなちゃん頑張れ!あと少し!とか言ってくれる)
小5でニジマスの解剖をやって以降、経験がないのでわからないが生き物の体、その内部を観察することは相当苦手だと思われる。

そういうわけで郡司さんのような第一線のキリンのスペシャリストに並々ならぬ憧憬と尊敬の念を抱き、発売日に入手したのが『キリン解剖記』である。
それから8ヶ月、全く読めない読まなければならない本たちに埋もれていたところをようやく救出して、ようやく読み始めた。
実を言えば、遅々と進まない自分の研究を眺めて煮詰まる生活の中、全く違う分野の本を読むことで頭をマッサージしたいと思ったというのもある。
本書はそれに応えるかのように初学者に優しい、易しい文体で書かれていた。

結論から言うと、郡司さんのご研究が自分の研究から全く遠いところにある思っていたのは間違いだった。
本書には郡司さんのキリンにまつわる研究の歩みが書かれており、読み進めるごとに月日が進み、キリンのスペシャリストとして経験や業績を積み重ねて行く日々が綴られている。
もちろん具体的なアクティビティは異なるが、大学生として、大学院生として、研究者として対象に向き合い、悩み苦しみ、研究を進めていくその様子は、おそらくどの分野の研究者でも共感するものであろう。

郡司さんが初めての解剖で苦悩し、無力感を味わう場面は本書の中で、そして郡司さんの人生の中でとても重要な場面なのだが、これは自分がフィールドで、また論文を書こうとする時に度々味わう感情に似ている気がした。
見ているのに何を見ているのかわからない、貴重な機会を得ているのに自分は無駄にしているのではないか、自分が知りたいことがわからない…そうした悔しい、もどかしい、自分が嫌になるような思いは、きっと研究につきものなのだろう。
しかし、その瞬間はとても孤独で無力だ。
本書に先生や先輩が登場するたびになんとなくホッとするのは、自分に重ね合わせているからかもしれない。

そして、名前にこだわるのではなく、(例えば)筋肉そのものを見るということが語られている箇所も自分には思い当たるものがあった。
観察している現象をどんな理論で説明できるのか、どんな言葉で説明するべきなのかということで頭がいっぱいになる。
しかし、先行研究を見ると実はもっと平易な言葉でただ観察された事柄が綴られていたりして、その方がよっぽどわかりやすいということがある。
また同時に、筋肉をはじめとするキリンの身体の内部構造については、学術的な言説や理論が全て繋がっていることを象徴しているかのようにも思わされた。(それはややこじつけかも知れないけれど)
観察の結果もそうだ。全ては独立していない。

最初は「別」の分野の研究に触れるのだ、というややおこがましい思いで読み始めたが、そもそも全ての研究、どころか事象が地続きであるということを思い出させられた。

そして、小さい頃から「好き」な「キリン」を研究対象とされていることにも、そのことが郡司さんにとってとても大切であることにも、背中を押された。
私は小さい頃から「アイドル」に惹かれていた。
アイドルが主人公のアニメに憧れ、アイドルになりたかったし、話し始めた3歳くらいの時にテレビを見て「マッチ」と発声していた(言いやすかったのだとも思う)。
音楽番組のアイドルを見て真似していたことも覚えている。
アイドルファンになったのは中2だが(数学のテストは30点だった)、その前から「好き」があったのだなと思う。
「アイドル」を研究しようと思った、というよりは先生からの薦めもあって研究対象を「アイドル」に決めた、それは修士になってからで修士に入った時点では全く違うテーマを掲げていたが、幼い頃の「好き」が対象になっていることについては、とても励まされた。

さらに第4章、「何」を研究するか、は私の心に深く刺さり、今も刺さったままだ。
「アイドルの研究をしています」とは言っても、アイドルの「何」を研究するのか?
不思議なことや、興味深いことはたくさんあるが、「何」を研究するのか、というのは恐ろしいくらいに大きな課題になる。
さらに、私だったらキリンの「何」を研究するのか?
もし自分が今後、動物や植物に向き合うことがあれば人文社会学的なアプローチになるのだと思うが、どんなトピックがあるのか考えてみたいと思った。
博物館、アーカイブ、生と死、解剖、身体、歴史、観光、ジェンダー?…思ったより多くの切り口がありそうだ。

自分が生物のテストで80点くらいはちゃんと取っている世界線だったとして、解剖や解体について知的好奇心が湧くのか、そもそもいい刺激になるのだろうか、考えてみるが、今のところは想像できない。
しかし読後は、この自分の手の中でどのように筋肉が存在し、どのように動いているのかと、少し考えるようになった。
きっと最初にあった生き物やその体内への恐怖心みたいなものが薄れた。
本書から得た新たな視点で自分の研究に再び向き合い、「もう少し頭が良くなってから」自分のディシプリンでキリンを見てみたい。

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