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神野オキナ・雑文集

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#昭和の思い出

「おじさん構文」はどこから来たのか

「おじさん構文」はどこから来たのか

2021年9月27日、ラーメン評論家を自称する人の文章が話題になり、顔文字やノリツッコミをしつつ自分の責任を「あれは冗談だよー」と図々しく回避しようとする文章が悪い方向で話題になり、それが典型的な「おじさん構文」というだけではなく、むしろ80年代のタウンやファッション誌で流行った文章である、その本流は椎名誠のエッセイの口調や橋本治の桃尻文体からじゃないか、という話題が出まして。

それを元につらつ

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8年前の「風立ちぬ」感想。

8年前の「風立ちぬ」感想。

2013年8月8日「風立ちぬ」鑑賞。
徹頭徹尾、プロの手腕でノスタルジーとハイレベル作画で飾られた「クリエイターの都合」の物語。
否定的な気分で見に行った私でさえ「キライになれない」と結論づけてしまうぐらいよく出来ている。
そして、ここで描かれる「クリエイター」は男だから、女だからでは無い。
クリエイターをしている人間の奥底にある「これだけがんばったんだ、どんな結果が出たにせよ、何を生み出したにせ

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モデルガンの思い出(1)

モデルガンの思い出(1)

今からざっと四十年以上昔から、銃器類が好きでした。
昭和30年代から40年代にかけて、空前のガンブームというものがありまして、その残光がまだあった頃です。
それも拳銃。ライフルやアサルトライフルは「戦争に使うもの」という罪悪感がどこかにあったのと、やはり軍服来た人たちが持ってるもの(今みたいに警官がアサルトライフルを持つことは想像も出来ない時代でしたから)、というイメージがあり「ヒーロー」の武器だ

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モデルガンの思い出(2)

モデルガンの思い出(2)

これから母の治療費の精算も含め、家が傾くことを知っていた父は、私を東京に当時にしてはかなり贅沢な小旅行させてくれましたが、そこでモデルガンを買うという気分にはなれず(ローマンでの失敗が尾を引いていたのかもしれません)、また預けられた先は敬虔なキリスト教との叔母と、某社の重役の奥さんという「上品」なところだったのでプラモデルを買うのがせいぜいでした。

そして、その次に性懲りもなく手にしたのは東京マ

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1965年5月25日

私的な話なんですが、つい先日父が世を去りまして。去った後に残ったものをあれこれ整理していました。

ただどうでしても処分しきれなかったものに写真があります。

そしてアルバムを色々整理しておりましたら、その中に母のアルバムがありました。

ちなみに母は父に先立つこと30数年前、私が小学校五年生の時に34歳の若さでこの世を去っております……がんでした。

母が死んだ時、私は10歳で、妹は6歳。不幸中

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911/2001

911の日、食えなくて週三日の警備員に戻っていた私は、その報道をポケッとみていた。

冗談みたいなことが起こって、それがあれよあれよと進展していく様をたまたま警備先のテレビで映っていた(まだアナログ放送の時代だったので出来たのだろう)FEN(Far East Network - 極東放送:米軍の放送局のこと。沖縄ではテレビ放送も行っている)で見ていたのだ。
最初のヒット作になる「あそびにいくヨ!」

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