蛙(芥川龍之介 小説 独自解釈 1)
引用:青空文庫 芥川龍之介「蛙」
芥川龍之介 蛙 (aozora.gr.jp)
芥川先生の書いた小説「蛙」について考えてみたいと思います。寝転がって、古い池を眺めていた時に思いついた話かなと思います。
その池には蛙がたくさんいます。蛙は一日中「ころろ、からら」と鳴いています。
それを聞いているうちに、芥川先生はこう考えました。ただ鳴いているのではなく、彼らは何か議論を交わしているのではないかと。そして、蛙たちにキャラクター設定をして、ドラマ仕立てに書いています。
芦の葉の上にいる蛙が、まるで大学教授のように話を切り出します。
「水は何のためにあるか、我々蛙が泳ぐためにある。虫は何のためにいるか、我々蛙が食うためである」
周りの蛙たちが「そうだ、そうだ」と賛成しています。今度は、白楊の根元に眠っていた蛙が目を覚まして発言します。
「土は、何の為にあるか。草木を生やす為にあるのである。では、草木は何の為にあるか。我々蛙に、影を与える為にあるのである。従って、全大地は、我々蛙の為にあるのではないか」
再び周りの蛙たちが「そうだ、そうだ」と賛成します。その近くで、蛇が蛙たちを見つめています。
芦の葉の上にいる蛙が再び話します。
「空は何の為に。太陽を懸ける為にある。太陽は何の為に。我々、蛙の背中を乾かす為にある。水も草木も、虫も土も、空も太陽も、皆、我々、蛙の為にある。森羅万象が、我々の為にある。
自分はこの事実を、諸君の前に宣言すると共に、全宇宙を我々の為に創造した神に、心からの感謝を捧げたい。神の御名は讃むべきかな、である」
その言葉がまだ終わらないうちに、蛇の頭が伸びてこの蛙を咥えてしまいました。
池中の蛙が驚いてわめいているうちに、蛇は蛙を咥えたまま草むらの中へ隠れてしまいました。大騒ぎの中、年の若い蛙が泣き声を出しながらこう言っているように聞こえたそうです。
「水も草木も、虫も土も、空も太陽も、みんな、我々蛙の為にある。では、蛇はどうしたのだ。蛇も我々の為にあるのか?」
その問いかけに対し、年配の蛙が最後にこう答えました。
「そうだ、蛇も我々蛙のためにある。蛇が食わなかったら、蛙は増え続けて池が狭くなる。だから蛇が、我々蛙を食いに来るのである。食われた蛙は、多数の幸福の為に捧げられた犠牲だ。そうだ。蛇も我々蛙の為にある。
世界にありとあらゆる物は、ことごとく蛙の為にあるのだ。神の御名は讃むべきかな」
この世界の全てのものは我々のために存在していると言う考え方は、非常にポジティブで素晴らしいと思います。自分たちを食べてしまう蛇でさえも、蛙のために存在しているわけですから、とてもありがたい存在なわけです。
とかく、いろいろな事に不平不満を言いがちな人間に対する芥川先生のメッセージなのかなあと思いました。
家の中に突然現れて驚かされる大きなアシダカグモにしても、ゴキブリなどの害虫を食べてくれるありがたい存在です。ねちねちと嫌味や小言を言ってくる会社の上司にしても、私の心を鍛えてくれるありがたい存在なのかも。
全ては神が、我々のために与えてくれたものだと思えるならば、幸せなのかも知れませんね。皆さんはどう思いますか?
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