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紹介したいnote記事「神野守先生が紹介してくださった」

kuzumimanさんの「神野守先生が紹介してくださった」という記事を紹介します。

 私が以前、記事を紹介した事についてkuzumimanさんが感想を書いてくださいました。なるほどと思う事がたくさんありましたので、紹介させていただきます。

 まず「ネタバレ」について書いています。「ネタバレ、私はこの言葉が嫌いだ」と。その理由はこうです。

あなたが ネタ?を話した所で 作品の根本的な部分には到底辿りつかない」

 これを読んだ時に「痛いところを突かれた」と思いました。私自身、毎日のように人の記事を紹介しており、自分なりの解釈を書いているからです。

 そして「多分、ご本人が言いたい事とは違うだろうな」と自分で思いながらも書いているからです。kuzumimanさんの記事は更にこう続きます。

「私が、上の文章を書いた訳は一つある。神野先生の小説を紹介させて頂こうと思った。しかし、私がどんなに神野先生の作品を紹介しても、神野先生の作品を語るには言葉も学も足りない事を初めに言っておきたいからだ。紹介なんて、とんでもない事かもしれない。これは感謝なのだから」

 これを読んで「なるほど」と思いました。「作者の根本に触れるなんておこがましい行為」なのだと。そして、私の書いた”紹介したいnote記事「完全パングラム」”についてこう書いています。

「特に嬉しい所がある。神野先生の文章の中で、私の記事を2つ紹介して下さっているのだが、今まで誰にも触ってもらえてなかった部分に触れてあるのだ。カユいところに手が届く。なんと優しい事なのか。そこに触れて、おもしろい記事を書いていただいている。整えられた文章、とても好きだ。これは、正直お金を払っても享受できない事だと思う」

 私は「面白い記事」と思ってもらった事が意外でした。昔から真面目に言っているつもりなのに「面白い事を言う」と言われる事が多く、普通の人とは感覚が違うなのかなと思っていましたが、自分ではよくわかりません。

 更にkuzumimanさんは、次のように書いておられます。

「つまり、神野先生が紹介して下さった行為は、人間の根本的な感情を揺さぶる行為だと感じた。どれだけ人間の感情に入り込めるか、それだけを基準に作品を作っている人なのかも知れない」

 「人間の根本的な感情を揺さぶる行為」なのだと。それだけでなく「どれだけ人間の感情に入り込めるか、それだけを基準に作品を作っている人なのかも知れない」と。今正に、この文章に私は心を揺さぶられております。

 そしてkuzumimanさんは、芥川龍之介先生が大好きだそうです。

「記事を読んでいくと"芥川龍之介"について書かれているではないか。先生!私も、芥川龍之介が大好きです!私は、芥川龍之介の作品の中で『蜜柑』が一番好き!だ」

 私も芥川龍之介先生が大好きで、芥川先生の作品を独自に解釈した本を刊行しています。

 noteでも紹介しています。

 『蜜柑』については私も独自解釈をしており、noteで紹介しています。

 kuzumimanさんは、「蜜柑」に対する解釈を次のように書いています。

この作品の好きな所は、一文で三人の登場人物の目線からの風景を描写している所だ。この一文を読んでもらいたい。


するとその瞬間である。窓から半身を乗り出してゐた例の娘が、あの霜焼けの手をつとのばして、勢よく左右に振つたと思ふと、忽ち心を躍らすばかり暖な日の色に染まつてゐる蜜柑みかんが凡そ五つ六つ、汽車を見送つた子供たちの上へばらばらと空から降つて来た。私は思はず息を呑んだ。さうして刹那に一切を了解した。
            芥川龍之介 『蜜柑』筑摩書房(大正八年四月)


上記の文章は、
・蜜柑を持っている娘
・蜜柑が空から降ってくるのをみた子どもたち
・刹那に一切を理解する主人公

この三人の視点が描写されている。さらに、後半の文章の末の文字を「~た」「~だ」「~た」と同音でつづっている。

芥川は文章の語尾を同音で終わらせるのを好まないが、ここではあえてそうして、主人公の慌てる様子を表現しているところが素晴らしい。

この物語、誰が何といおうと美しい。主人物が汽車の中、新聞を読み憂鬱な気持ちになるところから物語が始まる。

そして、柑橘類のような暖かな爽やかな気持ちを読者にプレゼントし、物語は締めくくられる。

読むまでに5分とかからない短編だが、私はここに芥川龍之介の文章の素晴らしさが詰まっていると感じているし、疑いもない。

文章は基本モノクロだ。モノクロだが頭の中で色が付き、言葉が誰かの声で語られ、映画のワンシーンより色濃くなっていく。

神野守先生が紹介してくださった|kuzumiman (note.com)

 とても芥川先生に対する深い愛情が感じられる文章です。読んでいて「なるほど」と思い、素晴らしいと思いました。そして芥川先生を何故紹介したかについて次のように書いています。

なぜ、芥川龍之介の文章に触れたかというと、ちゃんと理由がある。
先生の文章を読んでいて、芥川龍之介の文章が連想されたからだ。
伝わらないかもしれないが、筆が柔らかな印象である。

私なんかは、「ちゃんとしないとサンタさん来ないよ」
と母から小さいころ言われた記憶にしがみついて、どうにか
「ちゃんと」生きたつもりで、付随した文章がある感じだ。

しかし、先生は違う。
冒頭でも述べたが「ネタばれ」そんな言葉で言い表せられないほどの表現が書き連ねられている。

神野守先生が紹介してくださった|kuzumiman (note.com)

 「芥川龍之介の文章が連想された」と言われて、すごく幸せな気持ちになりました。自分自身、芥川先生にはとても親近感を覚えています。痩せて骨ばっているし、希死念慮に悩まされるところも似ています。

 次にkuzumimanさんが「未来小説」の事に触れてくださいました。

先生の作品で『夢を叶える短編集1:未来小説』というものがある。念の為に言っておくが先生は、小さい頃からの夢である小説家になった。夢が現実となった人だ。

この短編は、様々な人の夢を集めたものである。夢を集める過程で、どのような単語が依頼者から集まったのか気になるところだ。

それらの単語を先生はどのように文章にしたのか。夢をかなえた先生は、どのように文を人生を組み立てたのだろう。依頼主の夢を文章とすることで、夢の持ち主の目標が達成に至るに違いない。

小説の主人公たちは、ノートに自分の夢を描いていく。ただ書くのではない。もう夢が叶った事として文章を書くのだ。

そこには、願望ではなく単に感謝の言葉がつづられる。だから未来小説なのだ。

神野守先生が紹介してくださった|kuzumiman (note.com)

 もう、すごいとしか言いようがありません。未来小説をここまで深く理解してくださって感無量です。作者である私自身よりもよくわかっておられます。

 そして最後の締めの言葉がまた秀逸です。

「話についていけない人は、ぜひ先生の作品のページをめくってもらいたい。きっと豊かな気持ちになれるはずだ」

 紹介記事を書いている身として、とても参考になる紹介記事でした。このような文章を書けるkuzumimanさんを是非紹介したいと思い、急ぎペンをとりました。

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