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紹介したいnote記事「浅き夢」

冬月剣太郎 猫詩人🐈さんの「浅き夢」という記事を紹介します。

かの男も
ただの人なり
かの女もただの人なり
われもまたただの人なり
浅き夢の川のほとりで
せせらぎの光に照らされて
小石のような日々を積みあげる
心を鬼にして

浅き夢| 冬月剣太郎 猫詩人🐈 (note.com)

「かの男もただの人なり。かの女もただの人なり。われもまたただの人なり」

 「かの男」は「彼」、「かの女」は「彼女」を表し、それがある特定の男女を示すのか、それとも広く一般的な男女を指すのかはわかりません。

 続いて「われもまた」とあります。これらから考えると、何か作者の身に起こり、「特別な人など誰もいない。皆、ただの人なのだ」と考えるに至ったのかなと思いました。

「浅き夢の川のほとりで、せせらぎの光に照らされて、小石のような日々を積みあげる。心を鬼にして」

 「川のほとりで小石を積み上げる」と言う表現が、さい河原かわらを思い起こさせます。賽の河原に関しては、以下のような内容です。

三途の川の手前にあるのが、賽の河原(さいのかわら)です。賽の河原では、幼い子供達が石を積み上げています。一日中石を積み上げ続けても、鬼に蹴飛ばされてしまいます。それでも子供達は一日中石を積み上げ続けなければなりません。子供達はなぜ賽の河原で石を積み上げ続けなければならないのでしょうか。

賽の河原とは?意味・由来に関する基礎知識|葬儀の知識|葬儀・お葬式なら【公益社】|葬儀の知識|葬儀・お葬式なら【公益社】 (koekisha.co.jp)

賽の河原(さいのかわら)とは、死出の旅(しでのたび)の途中にある河原です。仏教の教えでは、人は死ぬと冥途(めいど)の旅に出ます。死出の山路と呼ばれる約800里(約300キロ以上)の道のりを49日かけて歩くことになります。暗い山道を一人寂しく歩いて行くと、賽の河原に出ます。賽の河原の向こうには、三途の川があり対岸へ渡らなければなりません。三途の川へ辿り着くのが、ちょうど初七日の頃と言われています。

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三途の川を渡りきると、脱衣婆(だつえば)に服を脱がされ懸衣翁(けんねおう)が木に服をかけます。脱いだ服の重みが前世で犯した罪の重さと同じであると言われています。つまり、服をかけた木のしなりが大きければ大きい程、罪が重いということになります。身ぐるみをはがされ裸で長い道のりを歩いて、閻魔大王の法廷まで行きます。閻魔大王の法廷に辿り着くのが49日目と言われています。

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親よりも先に死んでしまった子供は三途の川を渡ることはできません。三途の川の手前にある賽の河原で、石を積み上げ続けることになります。子供達の石積みは、毎日朝6時間、昼6時間の合計12時間です。半日もの間ずっと石を積み続けるので、指先からは血が流れていますが、それでも石を積み上げ続けています。一生懸命石を積み上げて塔を作っているのですが、鬼がやってきて積んだ石を壊してしまいます。どんなに一生懸命石を積み上げても、必ず鬼に壊されてしまうことから、賽の河原には「無駄な努力」、「きりがないこと」という意味があります。

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賽の河原で石積みをしているのは、親よりも先に亡くなった子供です。仏教では、親よりも先に亡くなることは罪とされています。また、仏像や仏塔を作ることは、大きな徳に繋がると考えられています。幼い子供は大きな仏像や仏塔を作ることはできませんが、現世にいる親のために石を積み上げて幸運を祈ります。そして、子供達は親よりも先に亡くなってしまった罪を償うために仏塔を作っているのです。

子供達が石を積み上げても鬼がやってきて壊してしまいますが、これには理由があると言われています。鬼は無意味に積み上げた石を蹴っているのではなく、子供の祈りが親に届いていないからという説があります。親が子供の死を悲しみ苦しんでいる間は、子供は賽の河原で石を積み上げ続けなければならないのです。

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賽の河原にいる子供達は、現世にいる親のために「一つ積んでは父のため、二つ積んでは母のため」とつぶやきながら石を積んでいます。これは仏教の教えによるもので、親よりも先に亡くなることは五逆罪(ごぎゃくざい)の一つとされています。五逆罪とは、五種類の重い罪悪のことです。

<五逆罪とは>
・「殺父」・・・父を殺すこと
・「殺母」・・・母を殺すこと
・「殺阿羅漢」・・・悟りを得た聖者を殺すこと
・「破和合僧」・・・僧団を破壊すること
・「出仏身血」・・・生身の仏陀の身より血を出すこと

五逆罪を一つずつ見て行くと、「親よりも先に亡くなること」というものはありませんが、子が死ぬということは親を苦しめる罪であると考えるからです。

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 この詩からは、「まるで賽の河原のような無駄な努力だとしても、小石のような日々を続けるしかないのだ」と言う作者の覚悟のようなものが感じられます。

 

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