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お金を出すという事。

「お金を出す」とは本来とても幸福を感じることだ。間違いない。

それを幸福と思えないのには何か問題がある。

「生」に直結する“お金を人に差し出す”という行為は、言い換えると「生」を人に差し出すに等しい。そう思えば自己犠牲の精神に近いし、助け合いの精神とも言える。

人間は本来、人に良いことをしたら幸福になる、気持ち良くなる、というメカニズムが組み込まれている。だから「お金を出す」は幸福を感じるはず。なのに幸福感が無いのは何か問題があるというわけ。

それは「騙し取られる」「ぼったくられる」「強制的に払わされる」が代表的。幸福感どころか翻って嫌悪感が強くなる。人はポジティブな感情よりネガティブな感情の方が5倍強いらしいから相当だろう。

一方で「助ける」「貢献する」「力になる」コレには幸福を感じる。もし感じられないならそれは上記が“心に無い”と言ってもよい。ご祝儀を何で払わないといけないのか?なんてツイートが話題になった事があるけど、これも同じでその人を祝う気持ちがないから。それなら“欠席”で返信すれば良いだけなのだけど。

もしくは断ると自分の評判が悪くなると考えるからかもしれない。これも相手ではなく自分の方を立てようとする行為だから、結婚式に相応しくないし、不誠実だとも言える。

なんでそんなことを考えたかと言えば、結婚式で友人たちに頂いたご祝儀袋を先日開封したから。これは生活に困った時に最後の砦として残していた。離婚して2年経つ。正直、見るのも嫌だった。だが無い袖は振れないのが現実、支払いに充てる為に開封したのだ。

すると思いの外だったけど元気が出た。

まず、ご祝儀袋そのものが“その人っぽい”ものが使われていたからだ。

派手好きな人、好んでいた色、昔ながらの伝統を重んじる人、自分のキャラクターに合ったもの、何も飾らずシンプルなもの。それを見ながらその人が脳裏に浮かんできた。

またお金がなく生活に苦しい人がいることも知っていたけど、その人からも一般的な金額が入っていて感慨深い気持ちになった。どうやって用意したのか想像せざるを得なかった。そういえば、式の半年前くらいに「あると使っちゃいそうだから」と言って先に渡してくれた人もいた。

離婚こそしてしまったものの、そういう事を思うと元気が出たし、人にそうして差し上げる事の尊さみたいなものを感じた。

だから“お金を出す”という行為は人に気持ちを出すという事でもある。人からの気持ちを受け取るのは、やっぱり幸福だ。

日本はなぜか無償で差し出すのが美徳という考え方があるけど、それはただの建前である事が多い。そのシステムの上流に位置する人がお金を少しでも多く貰いたいだけだったりもする。

“無償の愛”は親から子だけでいい。それが生命の営み。子から親ではない。

次世代に繋ぐのが生命の責務だと思う。時間は前にしか進まない。

あるアーティストが“お金は愛の数値化だ”と言った。それは皮肉ではなく真実だと知った。

今は全くお金がないけど今回ご祝儀を見て、人にお金を多く払いたい気持ちが大きくなった。それだけ沢山の気持ちを沢山の人に伝えたいと思った。だから稼がないといけない。人と自分を幸福にする為にも。





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