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有料読書会、その1-1.アラン・ヤング著 中井久夫、他 訳 『PTSDの医療人類学』 みすず書房 「序説」と、「日本語版のための序説」

読書会を始めますと書いて、しばらくたちました。やっと個人的に少し余裕のある時期に来たので、この機会に進めようと思っています。
私が面白いと思った本のご紹介して、その本の精神科療養とどう繋がるか‥直接に、すぐにということではありませんが‥そういう事を書いていこうと思います。そして‥勇気がないので、将来的にということですが‥フィードバックをいただいて、互いの理解を深め、これからの毎日に役立てられたらなぁと夢みております。

今回は、「序説」と「日本語版のための序説」です。
著者アラン・ヤングはベトナム戦争の帰還兵を治療する入院施設に行き、治療の様子を直接見聞きして、この本を書きました。

ヤングの調べたかったことは、そういう患者さんたちがどのようにして診断をつけられ、治療をされ、そのプロセスのなかで病態がどのように変わっているかです。そして、そういった営為を通してPTSDの概念がどのように作られ、変わっているかです。そういった点に目をつけて、観察したのです。
つまりヤングは予断なしに、まっさらな目で診療の様子をみて、そこから何らかの結論を得たのではなかった。完全にそうする事は実際には不可能だとはいえ、出来るだけそうしようと思ったのでもなかった。予め知識と問題意識をもって、解答を得るために病院で実地に調査したのです。

ヤングの予め持っていた仮説とは、戦争だとか大災害といった破局的体験は精神に多大な影響をもたらすけれども、それ自体が「外傷性記憶」と「PTSD」を引き起こすのではないというものでした。つまり破局的体験を受けた後に、「外傷性記憶」と「PTSD」が起きるためには他の要因がいるということです。

本の中ではまず、「外傷性記憶」や「PTSD」という概念が作られていった歴史が丁寧に追って説明されます。そしてベトナム帰還兵のPTSDを治療する入院施設で、著者ヤングが見聞きした模様が描写されます。
ヤングが注目したのは、「記憶の可塑性」と「素因」でした。
記憶の可塑性というのは、例えばこんな事です。破局的体験を受けて、人が何らかの記憶を持つ‥記憶というのは、事柄だったり、それに伴う気持ちだったりします。何かのお祝いの細部と共に、晴れがましい気持ちを同時に思い出すというように。ただし思い出し方というのは、その先ずっと同じではありません。思い出す時点で自分が不幸せな気持ちだったら、同じように晴れがましいと感じるのは難しいでしょう。またお祝いのときに感じたちょっとした瑕疵が、自分にとって重大な問題についてだと後で気づいたとしたら、それ以降はお祝いを思いだす時には、同時にむしろその問題についての方を詳しく思い出すかも知れません。破局的体験が「外傷性記憶」と「PTSD」に繋がるかというときに、この「記憶の可塑性」はどう影響するでしょうか。
素因というのは、ある人が何らかの症状をどれぐらい来たしやすいか、何らかの病気にどれぐらいなりやすいかということです。ここでヤングの面目躍如‥と言ったらいけないでしょうか‥ヤングは治療者ではなく医療人類学の研究者なので、患者を見たらストレートに治療を考えるのでなく、他の角度から観察することを許されるというか、それが本業です。ヤングは、ある人がどのぐらい「外傷性記憶」の症状を起こしやすいかよりもまず、「外傷性記憶」としてカウントするべき症状がどのように選ばれたのかを調べました‥結果は、ベトナム帰還兵(のうち、それらしい症状のある人)が、出来る限り「外傷性記憶」を持っている「PTSD」に該当し、恩給だの戦傷に対する治療だのを受けることが出来るように、決められていました。つまりベトナム帰還兵のもっている破局的体験の記憶が、予め決められていた「外傷性記憶」に該当するかどうかを検討するのでなく、彼らの破局的体験の記憶を「外傷性記憶」と定義していたのでした。そうすればベトナム戦争に従軍して、破局的体験を受けた人が「外傷性記憶」があれば、その人が従軍前にそのような症状にどれぐらいなりやすかったか、つまり素因を考慮することなく、従軍のときの体験による疾病と診断できるわけです。このような「外傷性記憶」の定義の仕方は、正しいでしょうか? 
そのような疑問を持って病棟に乗り込んだヤングが何を見たか、それが本文に活写されています。

で‥私がこの本を読んで、何の役に立つのか‥ベトナム帰還兵だろうとイラクだろうとウクライナだろうと、私のクリニックにそういう方は今まで来られていません。
PTSDはというと、定義によっては当てはまる方もいますが、多くはありません。
では?

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