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【書評】知的財産権の正当化根拠の現代的意義

『知的財産権の正当化根拠の現代的意義』
山根崇邦(知的財産法政策研究)
担当:托鉢

1.選択理由
 対慶應義塾インゼミの際に、「本研究では著作権制度の正当性に焦点を当て、現代における望ましい形はどうなるか」という問題意識にしたがって進めることとした。今回は多くある正当性理論の内、自然権としてのアプローチをしているものを検討する。これは、ポスターセッション作成時に支持できないと決着させ、紙幅の都合で記載をしなかったため、改めて検討をすることで研究の考察を豊かにしようとするものである(要は、なんでそうしたか忘れたため)。

2.内容
 自然権としての説明の代表格は、ロックの労働所有論によるものである。これは、労働の伴ったものについてはその労働を加えた者の財産とされるべきというものである。具体的には、①労働の投入によって、②生産されたものに対して報酬を得る(功績)ほどの、③価値を創造したことに対して、その成果に所有権を持たせるとする。ただし、資源の腐敗や浪費をすること(腐敗の制限)、または他者にも十分その資源が得られる状態(十
分性の制限)でなければ労働を伴っていても所有は制限されるとしている。この十分性の制限は、知的共有資源の拡大を図るため、規制行為の指定、保護対象、保護期間の設定というかたちで取り入れられている。また、功績は労働の内容(投入した資源など)に関わらずまちまちなため、正当に評価できないとされている。
この理論に対しては、まず労働の投入について、投入した時間や労働の形態、期待できる成果などの面から、知的生産における労働の定義が難しいことから適応が困難とされている。また、報酬について、排他的権利は強さに過ぎることや、無償活動の存在から必ずしも排他性が支持できるとは言えない。さらに、価値創造については、創作物が非競合在世あるために価値への評価が相対的になること、創作物の作成は決して1人のみでできるものではないことから、これも説明としては難しい。そのほか、但し書きについて、腐敗の制限は物質的には支持できないのはもちろんだが、占有させることによって社会全体への利益に支障が出ることから支持できると考えられる。一方で、パロディなど「その著作物でなければならない」場合があり得ることから、十分性の制限は必ずしも支持できないといえる。
以上から、ロックの労働所有理論は必ずしも妥当しないと本稿は論じている。

3.批評、感想など
 ロックの理論が「必ずしも妥当しない」のは確かであるが、著作物の創作には確実に①労働などの資源が投入されており、②創作に対する功績が認められるべき、③社会的価値が創造される、という所有を認めるべき要素がある。よって、ロックの労働所有理論は著作権制度の正当性を説明するには足りなくても、その下地を構築する説明であると考えられる。上で紹介した批判も踏まえ、その棟上げをどのようにするべきか、本稿の続きを読み進める。

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