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加藤弘之「国体新論」現代語訳

「国体新論」は、加藤弘之の前期の代表的な著作で、明治7年12月に谷山楼より刊行された。加藤弘之は1836(天保7)年に兵庫県の出石藩の兵学師範の家に生まれたが、伝統的な兵学に飽き足らず、江戸に出て佐久間象山の門に入り、洋学に転じた。1860(万延元)年には、幕府の蕃書調所の教授手伝となり、翌1861(文久元)年に日本で最初に立憲思想を紹介した『隣草となりぐさ』を著し、議会制度の必要性を説いた。明治維新以後も『立憲政体略』(明治元年)や『真政大意』(明治3年)などで、立憲制の移植に努め、明六社に加わって啓蒙活動を続けた。

ここで「国体」という用語について、注意しておこう。現代人が「国体」と聞くと「天皇を倫理的・精神的・政治的中心とする国の在り方。第二次大戦前の日本で盛んに用いられた語」(大辞林)を思い浮かべることが多いのではないだろうか。幕末期の水戸学など国学者は、この意味で「国体」を用いていた。これに対し加藤弘之は「主権の所在によって区別される国家形態」(大辞林)という意味で「国体」を用いており、「国体新論」という書名はこの点を踏まえているのではないか。

この現代語訳の底本としては、『明治思想集Ⅰ』(近代日本思想体系 30)、筑摩書房、1976年刊行に所収のものを用い、『日本の名著34 西周 加藤弘之』、中央公論社、1977年刊行を参照した。後者は、現代語訳ではないが表記の現代化がなされており、大いに参考にさせていただきました。

現代語訳「国体新論」

加藤弘之 著、上河内岳夫 現代語訳

総論

 およそ文明開化が不完全な国々では、いまだかつて「国家・君民の真理」を理解していないがゆえに、天下の国土はことごとく一君主の私有物で、その中に住む人民万民はことごとく一君主の臣僕しんぼく[家来、しもべ]であるものと思い、君主はもとよりこの臣僕を「牧養ぼくよう」する[牧場で家畜を飼う]任務があるが、またこれを自分の意志にしたがって制御することができ、臣僕はひたすら君主の命を聞いて、一心にこれに奉仕するのをその当然のつとめであると思い、かつこれらの姿をもってその国体が正しい理由であるとする。これをどうして野卑で卑劣な風俗と言わないでおくことができようか。

 試みに思ってみよ。君主も人である。人民も人である。決して異類の者ではない。しかるに自分だけその権利を極めて、このように天と地ほどの懸隔を立てるのは、そもそも何ごとか。このような野卑で卑劣な国体の国に生まれた人民こそ、実に不幸の最上と言えよう。されども、その人民らもまた、もとより真正な道理をわきまえ知らないがゆえに、このような浅ましい国体をも決して不正だとは思わず、もとより天の道理で当然のこととして、甘んじて君主の臣僕となって、一心にこれに奉仕するがゆえに、たいそうな虐政があっても国乱が起きることもなく、すこぶる泰平の姿で、数十百年の間続く国もあるが、元来は不正な国体であって、国家・君民の真理に甚だしくもとるがゆえに、決して真に人民の安寧幸福を得るに至らないのは、もとより当然のことと言える。

 しかるに日本や中国などの開化が不完全な国々では、古来いまだかつて国家・君民の真理が明らかになっていないがゆえに、このような野卑で卑劣な国体を実に道理に合わないものだと思った者が絶えていないだけではなく、かえってこれを[道理に適っている]として、ますますこれを養成するようになったのは、実に嘆かわしいことと言える。『詩経』に「普天・率土、王土・王臣」(小雅、北山篇)[普天ふてんの下、王土にあらざるは率土そつどひんも、王臣に非ざるは莫し(通釈:大空の下に、王の土地でないところはない、地の果てまでも、王の臣でない者はいない)]と言い、また孟子が、[舜が]「富天下をたもつ」[(舜王が)富として天下を自分のものとする](『孟子』、万章上篇)と言ったことなどは、全く国土を君主の私有とし、人民を君主の臣僕としたものであることは明らかであるが、古来いまだかつてこの語をもって道理に合わないとした者がいるとは聞かない。

 されども中国はさすがに早くから開明に向かった国であるがゆえに、決して他の未開国と同一視すべきものではないのみならず、ことに感服すべきことも少なくない。すでに『書経』に「民はこれ邦の本」(五子之歌篇)と言い、また『孟子』も「民をたっとしとなす。社稷これに次ぐ。君を軽しとなす」[民を一番尊いものとする。国家を次に尊いものとする。君主を一番軽いものとする](尽心下篇)と言い、また『帝範』に「民は国の先、国は君の本」と言っていることなどは、すこぶる国家・君民の真理にかなう論と言うべきで、その他に歴世の仁君・聖王または名賢・大儒[優れた賢者・碩学]などの論説には、感心して褒め称えるべきものが少なくなく、また政治の実際でもすこぶる感嘆すべきことが多くある。また我が国でも仁徳天皇が「君は民をもって本となす」とおっしゃったことなどは、すこぶる感戴[ありがたくおしいただく]すべき詔勅であると言わねばならない。

 されどもこれらは仁君・聖王および名賢・大儒などの言行にとどまることで、これによって実にその国体を改正するまでには至らなかったようである。そのうえ「富、天下をたもつ」と天下国土を君主の富と言っていた孟子が、また同じ口で「君を軽しとなす」と言うのは、どんなに表裏が矛盾したことであろうか。天下国土の所有主である君主をもって、その国土の食客である人民より軽いとする道理はあるだろうか。実に理解できない妄言であると言えよう。おそらくさすがに孟子という賢者であるから、「民は本にして貴く、君は末にして軽い」という道理はすでに理解していたけれども、天下国家を一君主の私有とすることの誤りはいまだ理解できなかったことは疑いがない。かつ上述のような公明正大な論説があるにもかかわらず、古来、日本と中国の制度ならびに風習を考察すると、国土・人民をもって君主の私有・臣僕しんぼくとなさなかった確証はたえてなく、また名賢・大儒と仰がれている者でも、このような姿が誤りであることを理解していた者は一人もいなかっただけではなく、かえってこれをとして、しきりに尊王卑民の説を唱えて、ますますこのような野卑で卑劣な姿を養成したことは明瞭である。

 なかんずく、我が国で国学者流と唱えるやからの論説は、真理に背反することが甚だしく、実にいとうべきものが多い。国学者流のやからは、愛国が切実であることから、しきりに皇統一系を誇称するのはまことによみすべきであるけれども、おしいかな国家・君民の真理を知らないがために、ついに天下の国土はことごとく天皇の私有であり、人民万民はことごとく天皇の臣僕しんぼくであるとして、したがって種々の牽強付会の妄説を唱え、およそ我が国に生まれた人民はひたすら天皇の御心をもって心とし、天皇の御事とさえあれば善悪邪正を論じず、ただ甘んじて勅命のままに尊従するのを「真正な臣道」であると説いて、(もっとも甚だしい一例を挙げると、近ごろ何某とか言う国学者の著書に、「君が令するところ民に利があるや、民これを敬守する、もって道となすなり。その民に利あらざるや、民これを敬守する、もって道となすなり」と言う)、これらの姿を我が国体と見て、もって我が国が万国に卓越する理由であると言うようになった。その見方が卑劣で、その説が野卑なことは、実に笑うべきものと言わなくてはならない。

 我が国の皇統が一系でかつて革命がなかったことは、甚だ慶賀すべきのみならず、なお天壌とともに無窮にわたらせ給わんことは、私も切望する所であるけれども、だからと言って天下国土・人民万民を一人の天皇の私有・臣僕とするような野卑で卑劣な風習をもって、我が国体とする道理は決してあるはずがない。天皇と人民とは決して異類の者ではない。天皇も人であり、人民も人であるので、ただ同一の人類中において尊卑上下の身分があるだけで、決して人畜の懸隔があるのではない。人が牛馬を自分の私有として、自由にこれを使用するのはもとより当然であるけれども、天皇は我々人民と同じ人類なので、たとえ天皇の権でも我々人民を迎えるのに牛馬のようにし給うのをよしとする道理は決してあってはならない。しかるに国学者流が唱える論説にしたがう時には、君民の間は、結局人と牛馬に異なる所がほとんどまれになるだろう。どうして陋見ろうけん鄙説ひせつ[狭く卑しい見解や説]と言わずにいられようか。

 ただしこのように言うと、上のような陋見ろうけん鄙説ひせつは、まったく日本や中国のみに行われるようであるけれども、決してそうではない。万国ともに開明の域に進まぬ時にはみな同じことで、ヨーロッパでも、近古[それほど古くない昔]の初めまでは、天下国土・人民万民を一君主の私有・臣僕とする国体であったが、最近人文知識がようやく開けるのにしたがって、国家・君民の真理が初めて瞭然となるようになり、旧来の野卑で卑劣な国体が次第に廃滅して、現今の公明正大な国体になったのである。

 また中国を初め、すべての開化が不完全な国では、ややもすれば国家上のことに天の神を引き合いに出すことが常であって、あるいは神勅を唱え、あるいは天命を説くなどのことが多い。これはあるいは天の神を畏敬し、国事を重んじる心から出たこともあるかもしれないが、多くはその君主が、知識が蒙昧な人民を自分の思うままに使うための権謀から起こった風習であるだろう。中国で人君を「天子」と呼び、君主の位を「天位」と呼んで、あるいは無道な君主を誅伐ちゅうばつするに当たっては、「某、罪多し。天、命じてこれをきょくせしむ」[某が、多くの罪を犯しているので、天が朕に命じてこらしめようとする](『書経』、湯誓)と言い、あるいは「天の罰を行う」(同、泰誓)と言い、「天、命じてこれを誅せしむ」[天は命令を下して、これを誅伐させる](同、泰誓)と言う。また、天下を治めるのは天の命じる所であるとして、あるいは「帝のことを熙《ひろ》む」[天帝の事を広める](同、舜典)と言い、「天工は人それこれに代わる」[天の功は人間が代わって行う](同、皋陶謨)と言い、または、「天功をたすく」[天帝の事業を助ける](同、舜典)など、その他にこの類いは列挙するのにいとまがない。まさしくこれらはみな人事で、天の神に関係のないことであるのに、強いて天の神を引き合いに出すのは、甚だ不条理なことである。もっともこれらのことも決して中国のみに限られるわけではない。いずれの国も太古の開化が進まない時には、すべて天の神を引き合いに出すことが常であった。このように万事にわたり天の神を引き合いに出す国を、西洋語で「テオカラチー」という。すなわち訳して「天神政治」または「代天政治」という。

 およそこの政治の国では国家の大主は、天の神であり人ではない。人は仮にこれに代わって政治をなす者であるという説を唱える。甚だ荒唐無稽の説と言うべきである。太古のインド、ペルシアなど、その他の有名な国々でも、このような説を唱え、また欧州でもギリシア、ゲルマンなどでは、その君主はみな天の神の子孫であると言い、その政治はあるいは天の神に代わり、あるいは天命を奉じて施す所と称して、いわゆる祭政一致を旨としていた。その後、開明が次第に進むようになって、このような陋習ろうしゅうもまたようやく廃滅したけれども、なお暴君などは、天の神を引き合いに出して自分の威権をほしいままにしようとすることが少なくない。ことに1600、1700年代に及んですら、フランスのルイ14世という王は「ちんは天の神が現出する者である」と自ら誇称して、大いに暴虐を極めたのであった。また現今になってもロシアなどは、その国法で「皇帝の大権は天の神の勅託に出ずる」としている。これらのことはみな甚だ国家・君民の真理に背反することなので、すこぶる治安に害があることを知らなくてはならない。

 ある人が、この論を非難して言うには、「あなたが、外国で国家上のことに天の神を引き合いに出すことに反駁するのは甚だよろしいが、あなたの論の中で、ひとり我が天皇は諸外国の王のように卑しい君主ではない。全く真の天孫に渉らせ給うことが疑いない由を論じないことから考えると、あなたは暗に本邦の国体をも誹謗するものと思われる。畏くも我が天皇がまさしく天孫に渉らせ給うのは、神典[『古事記』]に挙げて明らかなことで、疑うべきではない。しかるにあなたは神典をも疑って、我が天皇もまた、かつて未開な人民を制御する権謀のために天の神を引き合いに出し給うことがあったとするのか。あなたがもし実にそうだとすると、その罪は決して浅くかつ少なくはない。自省することを請う」と。

 しかるに私はまたあえて神典を疑うわけではないが、本居宣長・平田篤胤などの説でも、およそ神典に挙げられたことは、すべて神々の御事業ゆえに実に奇々妙々なことで、決して人知をもって思いめぐらすことができない由であるので、以前は神典上のことと謹んで尊信することはよかったが、今日の人間界の道理には合わないことであるので、国家上のことを論じるについては、絶えて関係しないのがよいと私は思うのである。国家は人間界に存在するものなので、いやしくも人間界の道理に合わないことは、断然取らないのをよしとしなくてはならない。

 以上で論じるように、私は従来言うところの国体をもって、決して公明正大なものとしないだけではなく、かえって甚だ野卑で卑劣なものとするが故に、今欧州の開明論によって、以下の数章に国家・君民の真理を概論して、公明正大な国体を示したいと思う。国家・君民の権利・義務およびその関係が、以下の数章で論じる道理に合うようになって初めて、公明正大な国体が備わるものと分かるはずだ。

第1章 国家・君民が成立した理由の大原因

(この書物では、もっぱら君主国について論じるがゆえに「君民」というけれども、「君」の字をもって必ずしも「君主」に限ることを必要としない。また「民主国の首長」を指すこともできる。以下同様である)

 そもそも太古に国家・君民が初めて成立した根源については、種々の説があるが、とりわけその4、5について挙げる。第1の説には、太古に天の神がその子を地上に降臨させ、あるいは衆人の中において才徳が抜群の者に神勅を下してこれを君主と定め、もってその他の人民を統御させ給うたことより、初めて国家・君民が成立したといい、第2の説には、太古に人民がおのおの自由の権をもって、その意思を合わせ、約束を設けて互いに結束し、その中から賢人君子を公選して政府を立て政権を握らせ、もってその他の人民が管轄を受けることとなったことから、国家・君民が初めて成立したという。また第3の説によれば、太古の未開の世には人民は、天然同居という風俗で、互いに結束することもなく、政府もなく、憲法もないけれども、互いに闘争することもなくして、おのおのその生を安泰にしていたが、その後だんだん風俗が乱れて、強が弱をしのぎ、大が小を圧することとなって、闘争がつねに絶えなくなったので、衆民は止むを得ずその中の有徳者に依頼して、その保護を願うこととなったことから、ついに君民が分かれ、国家が初めて成立したという(やや柳宗元の論に近い)。また第4の説によれば、太古の人民の中に威力の強大な者が、ほしいままに他の人民をしのぎ、これを制圧して、自らその君主となったことから、国家・君民が初めて成立したといい、また第5の説によれば、人民はもともと一種族がはびこったものであるので、その宗家である者がおのずから父母のような威光があって君主となり、数多くの支族を子供のように愛してこれを統御したことから、国家・君民が初めて成立したという。

 以上のいくつかの説のほか、なお異説があるけれども、ことごとくこれを挙げる必要はない。ところで特に最近の諸大家が研究した説によって考えると、以上の数説の中で、第1、第2の説といったものは、あるいはこれを疑う論が多いけれども、第3の説以下の根源については、必ずこれがあったことに疑いはなく、なおその他の根源もあったかもしれないが、決して各国とも同じ根源から成立したものではなく、みな相異していたであろう。

 されどもこの種々の根源は、一つとして国家・君民の成立の大原因と呼ぶには十分ではない。ただたまたまその成立を助けただけであって、真に国家・君民の成立の大原因というのは、全く他にあることは明らかである。それならば真に国家・君民の成立した大原因というのは、いかなるものであるかというと、すでに2000年余り前にギリシアの碩学であるアリストテレスという人が「人は必ず互いに結束して国家を形成する天性を備えた者である」と言ったように、その大根源は全く人の天性にあるのである。

 おそらく人は禽獣のように、ただ天然に同居して、全く各個に生活することができるものではない。必ず互いに結束し、ともに国家を形成して、人々がともに生活すべき天性がある。そうしてなぜ人にはこのような天性があるかと、その道理を探求すると、これは全く人が万物の長である理由で、もし人もまた禽獣のようにただ天然に同居し、全く各個に生活して絶えて同じように生活することがない時には、決してその安寧幸福を得ることができないので、たしかに天の意志が、特にこの性質を人に付与したことが明瞭である。およそ禽獣以下になると、ことごとく天然に同居して各個生活するのみで、国家・君民の姿をなすことは絶えてないけれども、ひとり人になると決して全く独立独行することはできない。必ず互いに結束してともに生活する道があるのは、全くこの道理からでてくるのである。全地球は甚だ広大であるけれども、いずれの地に行っても、人民は互いに結束して、統治者と被治者との区別をして、ともに生活する姿がない所がたえて存在しないのは、たしかに人にこの天性があって、国家・君民が成立する理由の大原因となっている確証である。

 かのアメリカ、アフリカ及びその他の場所の未開野蛮の人々でも、必ず互いに結束して部落をなし、酋長がいて部下の衆を統制し、部下の衆はその命令を聞いてともに生活する風俗がないところはない。もっともこれらの野蛮な人々のごときは、もとより真の国家と呼ぶに足りないもので、西洋ではこれを「国家の萌芽」と呼んでいるけれども、その衆人が互いに結束して統治者と被治者の区別があって、ともに生活するという一事になると、ほとんど真の国家を彷彿させる。ただ統治者と被治者の権利・義務およびその他の関係といったものは、実に天地の懸隔があることは、もとより言うまでもない。このような理由から考えると、国家の成立の大原因は、すなわち人の天性にあるものであって、この大原因は万国ともに同一であることは、もとより疑いを入れることができない。ゆえに国家・君民の成立の原因は、実に天意から出たと言ってよいけれども、かの第1の説のように天の神が直接に神勅を下して、君民をお定めになったと言うようなことはない。天の神は、特に人間性にこの原因となるべき種子を付与されただけである。

第2章 国家の主眼は人民であり、人民のために君主があり、政府がある理由の道理

(大権を統一する君主とこれを補佐する諸職官とをともに具備する大府を指して政府という。ゆえに以下あるいは単に政府という時でも、君主は必ずその頭首に位するものと理解すべきである)

 国家・君民の成立の道理は、前章で論じたように、実に人の天性から出るもので、人にこの天性があるのは、すなわちその安寧幸福を求めるのに緊要であるがためであることが、すでに明らかなので、この道理によって成立した国家は、またよろしくこの道理に合う国体がなくてはならないことは、言うまでもない。そうであるならば、この道理に合う国体とはいかなるものかと言うと、概言すれば、すなわち国家においては、人民を主眼に立て、とくに人民が安寧幸福を求めるのを目的に定めて、そうして君主および政府は、もっぱらこの目的を遂げるために存在することをもって、国家の大主旨とする国体を言うのである。そもそもこの国体を、かの古来日本や中国などで天下国土・人民万民を一君主の私有・臣僕とした国体と比較する時は、その公私正邪はどうであろうか。さらに一言を費やす必要があろう。

 日本や中国などで従来国体とする所は、このように甚だ天理に背反し、人間性に背戻はいれいする理由がひとたび明らかになると、人々は従来の頑迷な論、卑劣な見解を去って、真正な国体を育成するのに努め、たとえ万世一系の我が国でも、また万国と同じように国家の主眼は人民で、天皇および政府は、とくにこの人民を保護し勧導[勧め導くこと]して、その安寧幸福を求めさせるために存在し給うものとなすべく、天皇および政府もまた特にこの道理にしたがって、その職を尽くし給うべきことが緊要である。しかるに国学者流の者は、これらの道理は夢にも知らないので、特に皇統一姓のみを誇称して、みだりに尊王卑民の説を唱え、しきりにこれを主張するようなことは、その志はもともと正しくなくはないけれども、その論は真理に合わないので、ますますかの野卑で卑劣な国体を養成するようになった。どうして嘆かずにいられようか。

 しかるに欧州各国などでは、最近人文が大いに開け、この道理が次第に瞭然となったことから、その国体はようやく公明正大になったけれども、その初めはひとりイギリスのみがほとんど他の各国を卓越していたが、その後、それ以外の各国もまたようやくこの国の風俗を慕倣ぼほうする[手本として真似る]ようになった。なかんずくプロイセンの先王フリードリヒ2世(この王の在位は1740年から86年に至る)という君主は、世にまれな賢君で、当時各国の国体が甚だ天理と人間性に背反して野卑で卑劣であるのを嘆き、『反マキャヴェリ論』(1740年)という書物を著して公明正大な真理を論述した。その中に「私すなわち人君なる者は、あえて天下を私有し人民を臣僕となすべきものではない。ただ国家の第一等の高官であるに過ぎない」と言っている。これをかの総論に挙げたフランス王ルイ14世が「ちんは天の神が現出した者である」と言った暴言と比較すれば、その公私正邪はどうであろうか、もとより贅言を要しないのである。

第3章 天下の国土は一君主の私有ではなく、これを管理する権利は、特に一君主にある理由の道理

 上で論じた道理を推測して考える時は、天下の国土を一君主の私有とすることが誤りである理由も、おのずから瞭然であるだろう。およそ土地や山川といったものは、天然にこれを所有する者が存在する道理は絶えてないので、初めてその場所を占め、その場所を開拓した者が、これを自分の所有とするのは当然のことであって、これを他人に授与し、あるいは売却するのも、その所有主の自由である。ゆえにまた他人がその授与を受け、あるいはこれを買いとれば、その所有者となるのも、また当然のことである。これはすなわち田地山林におのおのその所有者があるべき理由の道理である。

 しかるに前にも言ったように、日本や中国など開化が不完全な国では、従来天下の全土を一君主の私有となして、ついに今日に至るまで、その誤りを悟らない者がほとんど多数である。もっとも西洋各国でも、近古の初めまでは全く同じ姿で、天下の国土はことごとく一君主の所有と思い、そうして臣民はその中を分けてこれを借用するもので、実に土地を私有することは決してできないものと思っていたのである。日中・西洋ともに往古、封建制度が行われて、多数の土地を諸侯に分与するようになったのは、もともと天下の全土を一君主の私有としたがゆえである。しかるに西洋各国では早くから所有の真理を悟ったことから、政府が人々の私有地を認許して、あえて天下の全土を一君主の所有とすることがないようになった。我が国でも、先年からこの道理にしたがって人々の私有地が認許されて、ことに地券の制度を設けて私有を保護する道を確定されたのは、実に良政と言うべきである。ゆえにこの制度がひとたび成立して以来は、天下の田地山林にはおのおのこれを私有する者があることを明らかにして、決してことごとく天皇の御有とは言ってはならないのである。

 しかるに今日になっても、いまだかつてこの道理を知らないで、やはり日本国中がことごとく天皇の御有であると思う者が多く、あるいは地券の制度が成立して、人々の私有地が正式に承認されたことはすでに知っていても、なおこれを真の私有とは思わずに、実は天皇の御有の中を分借したもののように思う者がなお多い。そうしてこのように人々が謬見を脱せず、真理を悟ることができないのは、もとより2000年余り前以来の因習の習慣によるけれども、かの「普天王土」と言い「富天下をたもつ」などと言う語が、また大いにこの原因となり、ことに国学者連中がしきりに愚論謬説を主張したことから、ますます世の惑いを増すことになったのである。すでに先年、某府の『告喩書』と題する書物を見たところ、その中に国土はもちろんこの国土の上のありとあらゆるものが一個として天皇の御有でないものはないので、今日の我々の衣食住をはじめ、みな天皇の御恩によってしばらくこれを拝借して用いることと心得て、謹んでこの高大深遠な皇恩を感戴[ありがたくおしいただく]すべき由を詳細に論述したのを見た。また近ごろの説教に関する書物の中にも、天下の田地はことごとく天皇の御有なので、これを拝借して耕種する人民は、もとよりその高恩を感謝するために租税を納めなければならない由を説いていた。これらの愚論はもとより歯牙にかけるに足りないけれども、その弊害はますます愚昧の民心を惑わして、ますます真理開明の妨害をなすことが、実に少なくないことを知るべきである。

 このゆえに土地にはおのおのその所有主があって、実にこれを私有することはもとより当然であるけれども、そうであってもその者は、単にその土地を自己の意志にしたがって自己の用に当て、あるいは家屋を構え、あるいは耕種をなし、あるいは牧畜を開き、あるいは他人に貸与するなどのことをなしうる権利があるのみで、その土地に憲法を施行し、その土地に借住する他人を管轄する権利を持つと言ったことは、決してできない所である。土地に憲法を施行し、民衆を管轄することなどは、もとより君主政府の職掌なので、土地の所有主は謹んで土地に関する憲法を遵守し、かつその土地に借住する他人とともに、君主政府の管轄を受けなければならないのは、もとより論じるまでもない。このゆえに土地を私有する権利と土地を管轄する権利とは、全く異なるものであり、所有権は地主にあって、管轄権は君主政府にあるという道理を知らなくてはならない。しかるに開化が不完全な国では、従来この二つの権利をまったく混同したことから、大きな弊害を生じるようになった。

 ただしこう言う時には、君主政府には絶えて所有する土地はないようであるけれども、決してそうではない。政府もまた土地を持つことは甚だ緊要である。ことに政庁・議事堂・裁判所・城堡[城と砦]・学校および王居など、その他すべての諸官舎を置き、官用に当てる土地は、必ず政府の所有でなければならないことは、もとより明らかである。ゆえに人民の私有の土地でも、もし国家のために必要なことが生じる時は、政府は厳命をもってこれを買い上げる権利がある。ただし相当の代価を償うのはもとより当然のことである。その他に西洋では、別に歳入を得るために政府の所有とする田地山林もあり、また全く君主の私家に属する田地なども多くある。されどもこれらもまたみな政府あるいは君家の私有と呼ぶのである。

第4章 君主及び政府の人民に対する権利・義務ならびに立法・司法の二権

 前の数章で、国家・君民の成立の大原因から、国家の主眼は人民であり、人民のために君主政府が存在する理由、ならびに天下の国土は一君主の私有ではなく、これを管理する権利が、特に君主政府にある理由の道理など、ほぼすでに明らかなので、ここには君主政府が人民に対して施行すべき権利・義務のあらましの意味を論説しよう。

 すでに数回論じたように、国家の主眼はまったく人民にあるので、君主政府の職掌は、概言すれば、この人民を保護してその生命と権利と及び所有を安全ならしめ、およびこの人民を勧導[勧め導くこと]して、その風俗と知識と及び諸業の開明を裨益することのほか、一事もありはしない。

(開明した国では、君主政府が人民を勧導することがやや少ないけれども、開化が不完全な国においては、このことは甚だ緊要である。しかるに西洋の諸学者の中にも、政府の職掌は特に保護のみを要するという由を説く者があるけれども、決してそうではない。もっとも保護は全く政府の特権に属するものであり、ことに最重要であることは論じるまでもないけれども、勧導といったことも決してこれをそのままにはしておけないのである。すでに西洋の文明各国でも、政府が、学術および農商およびさまざまの工業を奨励する事務に尽力し、あるいは警保権をもって民間の風俗の退廃を防御することを要するというようなことは、全く勧導に従事するのである。ドイツなどは、政府が厳命をもって少年に尋常の教育を受けさせる権を施行する法がある。これらのことはすこぶる自由権を害するようではあるが、国家の盛衰はことに人民の知識によるので、アメリカ、フランスなどでも次第にドイツの法にならうことになった。まさしく政府は単に保護のみをその職掌とすることができない理由である。ただし勧導は決して全く政府の特権とすべきものではない。元来人民が相互にこれをなすことは当然なので、人民の開明が増進するのにしたがって、政府がこの事務を減少するのが緊要である。そうでなければ、あるいはかえって真正な自由権を害する恐れがある。)

 さらに君主政府の職掌を約言すれば、人民が安寧幸福を求められるようにすることに従事するほかに一事もありはしないのである。ゆえに君主政府の人民に対する権利・義務は、ただこの職掌上にあるのみである。今またこの権利・義務を概言すれば、君主政府は人民を保護勧導するために、人民の上に立ってこれを統制する大権利を持つ。そうしてこの大権利は、単に権利としてとどまるのみならず、また直ちに君主政府の義務となるがゆえに、君主政府はあえて人民の上に立って、これを統制するという務めを放擲することができないのである。思うに元来人民のために労役すべき君主政府が、かえって国家尊重の位置を得るのは、特にこの道理によるのである。このことから君主政府は、いろいろな政令を施行し、法制を創設し、訴訟を裁断し、和解を決定し、外国と条約を結び、征伐を施すなどの諸権利を初め、ならびに人民から租税を徴収し、兵卒を徴募するなど、その他の数多くの権利を君主政府は必ず掌握して施行しなければならない。そうして人民は謹んでこの権利に素直に従うべきで、あえてこれに違反することはできないのである。ただしこういう時は、君主政府の権力はすこぶる強大で無限であるようだけれども決してそうではない。すでに前の数章において明らかなように、君主政府はあえて自己のために人民を使役するものではないので、その権利を施すには、通例ただ人民の公共の交際に利害があるような事柄の上にとどまって、その他の純然たる私事上には及ぼすことができないものとする。

 ゆえに君主政府の権力でも、全く公共の交際に利害のない私事を裁定することはできない。これらの純然たる私事になると、もとより各民の自由に任せるべきことは当然である。もし君主政府が、これらの私事をもなお裁定することができる時は、各民は自由の権を失うがゆえに、決して安寧幸福を求めることができないことは必然である。思うに自由権は天賦であり、安寧幸福を求める最重要の道具であるからである。いわんや人民の霊魂思考上になると、君主政府はもとよりあえてその権利を施すことができないものとする。なぜならば君主政府は、かの日本人や中国人が思っているように、あるいは天の神の命を受けて、あるいは天の神に代わって人民を治めるものではなく、また人とは異類の神仙でもないので、全く同類である人の天賦の霊魂思考を制御する権利はないことは、実に明らかであるからである。これはすなわち奉教の自由およびその他の何ごとにかかわらず、各人が自ら思考する所を論述書記する自由権(出版の自由はまたこれに属する)というものが生じる理由で、これらのことが全く君主政府の権限の外に属することはもとより当然である。

 ただしこの自由権でも、もし倫理に反し、公道に背き、これによって国家・人民のために障害を生じることがある時は、これを防御することが君主政府の権利・義務となるのはもとより論じるまでもなく、かつ国家に戦乱などがあるに当たっては、単にこれらの権利のみならず、その他の私権でもしばらく束縛制限しなくてはいけないことがある(私が訳したブルンチュリ著『国法汎論』、下巻第3冊、「政府非常権の部」にこの道理を詳述する)[『国法汎論』は、ブルンチュリ『一般国法学』の抄訳]。しかるに各国の君主は、上述などのやむを得ない事故がない時においても、ややもすれば、人民の私権はもちろん、ついに教法・学問および論説などすべて霊魂思考上に関わることの上にその権力を施し、ほしいままにこれを制御しよう思い、あるいは教派を取捨して、これを許しかれを禁じ、あるいはこの学問は是でありかの学問は非である、この論説は可であるかの論説は不可であるなどと、みだりにその許否を定めるなどのことが多い。実に自己の権限を犯した所業と言えよう。君主政府がこのような専恣せんしの政治を施して人民を圧制するのは、いわゆる「黔首けんしゅ[人民]を愚にする」で、結局、人民の精神気力を衰弱させるがゆえに、国家の精神気力もそれにしたがって衰弱するようになる。国家の精神気力がひとたび衰弱するようになると、どうして君主政府ひとりが隆盛を保つことができるだろうか。これは君主政府が、単に人民を害するのみではなく、また自らを害するのである。どうして恐れないでいられるだろうか。されどこれまた必ずしも専恣の心で、これをなすわけではない。かの国家・君民の真理がいまだ明らかになっていないがために、天下万民のことは、ことごとく君主政府が裁定するのを当然と思い、その上こうすることが実に仁政であると思うことから、ついにこのような姿になったのである。このゆえに君主政府の権力は、公共の交際に利害がある事柄の上にとどまって、純然たる私事および霊魂思考の上にはあえて及ぶことができないものであることを知らなくてはならない。

 しかるに古来、君主政府は往々その人民のために存在すると言う道理にもとり、その権をほしいままにして、純然たる私事および霊魂思考を束縛して、もって人民を苦しめたことがあったので、欧州の文明各国では、君主政府の諸権利の中で、特に法制を制定・改定する大権はあえてひとり君主政府に委任すべきものではないと言う論が起こって、別に立法府(あるいは議事院、公会、国会または両院と呼ぶ)なるものを立て、いわゆる人民の代理者を挙げて、君主とともに立法の大権を握らせることになった。また訴訟を裁断する特権といったものも、往々君主政府の専横を免れずに、不正の賞罰が多かったために、これまた別にほとんど独立不羈の法院を置いて、これに司法の大権を委任することとなった。ゆえに君主はこの大権を統括すると言う名はあるけれども、その実権はほとんど微々たるものになるに至った。ただ政令を施行し、および和戦を決定する大権ならびに行軍用兵などのその他の権は、全く君主にあって、大臣がこれを補佐することになった。ただしイギリスのごときは、これらの諸権でも、またその実はたいてい立法府の手中に帰して、君主政府はほとんど実権を失ったような姿になっている。

 このように欧州では、立法・司法の二府を置いて、君主政府の権力を分割し、かつ国憲憲法を制定して、つとめて君主政府の暴政を予防することになったがゆえに、最近の欧州各国の政体を称して「君権有限政体」あるいは「立憲君主政体」という。また原語の字面にかかわらず、もっぱら意味を訳して言うときは、「君民同治」あるいは「立君定律」ともいう。実に古来未曽有の良い政体と言える。また「共和政治」という政体といったものは、君主を立てず民選をもって大統領などを挙げて、これに政令の権力を委ね、かつ別に立法府を置き、人民の代理者を挙げて法制を議定させて、ならびに独立不羈の法院を立てて、もっぱら司法の大権を委託するがゆえに、政府の権力が、通例、専横に至る憂いはなく、したがって人民の権利も甚だ大きなものになるので、これまた良い政体と言える。ゆえに立憲政体には、君主政体と民主政体との二種があるけれども、ともに良正善美の政体というべきものであるので、一概にその優劣是非を論じることはできない。とくに各国は、古今の沿革由来とおよびその人情・風習とによって、その適否を論じてよい。

 立憲政体は、このように良正善美のものであるけれども、これをもって現今の世界万国に適当なものであると思うのは、大きな謬見である。およそ諸国は、人文がすでに開明進歩して、少なくとも中等以上の者(身分が中等以上の者を言うのではなく、国中で中等以上の家産がある者を言う)が、ほぼ物事の筋道を弁じて人情を解するほどの国でなければ、この政体は決して用いてはならない。もし開明がいまだこの度合いに至らない国において、この政体を用いるときには人民が、自分の代理者を選択する知識が甚だ乏しいがゆえに、決して至当の人物を選択することができないことが必然であるので、選択を受けて代理者となった者の公論は、また頑愚で取るに足らないことはもとより論を待たない。勢いがこのようになるときには、決して国家に益がないだけではなく、あるいは大きな害が生じる恐れがないようにできない。現今のドイツの大学者フランツという人の論に「立法府に必須とする所は知識である」と言っている。しかるに知識の乏しい立法府を置き、その公論を取って法制を議定しようと思っても、どうして国家のために益をなすのに十分であろうか。ただ国益をなさないのはまだそれでよいけれども、あるいはこれによって国に害が生じるようになると、真に恐るべきことではないだろうか。

 このゆえに人文知識がいまだ立憲政体を立てるのに適しない国においては、止むを得ずしばらく「君権無限の政体」(あるいは「君主専治」または「立君特裁」という)を用いて、国家の諸権力をひとり君主政府に収攬しゅうらんしなければならないけれども、そうであっても決してその専恣を許すべき道理があることはない。かのフレデリック二世が言ったように「君主といえども、その実は国家の第一等の高官にすぎない」ものであるので、たとえいまだ立憲政体を立てていないとしても、つとめて条理によって自己の権力を制限し、人民のために図るべきことはもとより論じるまでもなく、かつ純然たる私事および霊魂思考の上にはあえてその権力を施すことなく、特にその自由に任せるべきことが最も緊要である。このゆえに「君権無限の政体」と呼ぶけれども、決して君主政府の専恣を許す政体を指すのではない。ただ立法府のために政権を制限されない政体を指すのである。現今のロシアなどがすなわちこの政体を用いている。スイスの大学者ブルンチュリ(私が訳した『国法汎論』の著者である)の論に

「現今の欧州においてなお君権無限の政体を用いるのは、ひとりロシアのみであるが、この国の文明開化ははるかに他の各国に劣るがゆえ、人民が自ら私事を営む才力はすでにこれを備えているけれども、いまだ国事が何ものであるかを知らない者がほとんど多数なので、この国において現今なお無限の政体を用いるのは実にやむを得ないのである。すでに数年前にこの国で農民に自由権を許して、尋常の平民とする盛大な事業があったのも、全くその皇帝が無限の大権を握っていればこそなしえたのである。なぜならば、従来農民を自分の僕隷として自由に使役していた貴族は、当時大いにこの盛大な事業を拒み、かつ平民はたえて国事にあずかる才能もなかったからである」

と言っている。思うにフランツの「立法府に必須とする所は知識である」という論が確実であることを証明するものだろう。もっとも総論に挙げたように、ロシアにおいて現今なお皇帝の大権を「天の神の勅託に出る」とするようなことが、間違っているのはもとより論をまたない。ただし、かの君主政府がもっぱら専恣の権力で人民の自由を束縛圧制する政体といったものは、これを「君権無限の政体」と呼ばずに、「君主専制の政体」という。実に嫌悪すべきものである。

 以上論じるようになることから、君主政府の権利・義務は、君権有限政体の国と無限政体の国において、おのずから大小強弱の相違がないわけではないけれど、そうであっても君主政府はあえて純然たる私事および霊魂思考の上のことを裁定することができないのは、この両政体ともに同じでなくてはならないことを知るべきである。されども無限の国においては、君主政府の権力がとかく専恣になりやすく、ついに民権を妨害する弊害が多いのは、おのずからやむをえない勢いであるがゆえに、人民の知識が進歩するようになれば、この政体はつとめて排除して、有限政体となさねばならないのである。ドイツの学者ビーデルマンの論に、「実に、有限政体を立てるのに至当な時を知るのはもっとも難しいことであるが、遅速ともに大害があるものなので、謹んでこの時を誤ってはいけない」と言っている。

第5章 人民の君主政府に対する権利・義務

 数回論説したように、人民は国家の主眼で、君主政府は特に人民のために存在するものなので、人民はただ君主政府の保護を受けて、その安全を得るがゆえに、あえてその保護を求める権利を持つ。(前章で政府が勧導をなす権利・義務がある由を説いて、ここで人民が勧導を受ける権利があると言わないのは、思うに勧導は前にも言ったように全く政府の特権ではなく、もともと人民が相互になすべきことであることから、通例は人民が強いて政府の勧導を受ける権利がないからである)。ただし、この権利は数種に分かれていて、かつ各国の憲法にしたがっておのおの差異がある。そうではあるが、いやしくもこの権利があれば、必ずまたこれに対する義務があるのはもとより当然の道理である。ここをもって人民は必ず君主政府の権利を認許して、その命令と処分とに謹んで恭順する義務を負わなければならない。(この義務はまた数種に分かれ、かつ各国の憲法にしたがっておのおの差異がある)。これはすなわち国家の主眼である人民が、かえって自分のために労役する君主政府の下に立って、もってその尊厳を畏敬しなければならない理由である。(共和政治国などでは、ややもすれば慢心して政府を見下す風習があり、甚だ道理にもとるものである)。そうでなければ君主政府は、決して人民にその安寧幸福を求めさせることができないからである。

 それなら人民の義務は、ただ君主政府の命令と処分とに謹んで恭順すれば十分であるかと言うと、決してそうではない。さらに緊要な義務がある。すなわち納税の義務、軍役の義務のようなものがこれである。およそ君主政府はその職を尽くすために、文官武官の数多くの役人を置かなければならない。政庁・官署を設けなければならない。軍隊・軍艦を備えなければならない。城塞・堡塁を築かなければならない。その他に多数の緊要な施設を完全に具備しなければならない。およそこれらのことは、一つも人民の保護勧導に他なるものではない。このゆえをもって政府は必ずこれらの諸事の費用を人民に課して、これを償わざるを得ない。ゆえに人民はその家産の大小貧富に応じて、租税を納める義務を負わざるをえない(人民は、君主政府の恩に報いるために租税を納める義務を負うと思うのは、甚だ誤りである)。また国家に内患外寇の憂いがある時は、人民は決してその安全を保つことができない。ゆえに軍備はつねに必ず厳格でなければならない。ここをもって人民たる者は、必ず身命を捨て、軍事に労役する義務を負わざるを得ないのである(軍役義務の規律は欧州各国で相異なる。『国法汎論』下巻第5冊に詳らかである)。これはすなわち人民たる者が、必ずこの二個の義務を負わなければならない理由である。

 人民たる者の君主政府に対する権利・義務の大意は、前段に概論する通りである。ゆえに人民は決して単に権利を持つ者と思ってはならない。また単に義務を負う者となしてはならない。必ずこの二者の一つを欠くことができない理由を知るべきである。ゆえに人民には二個の姿がある。すなわち権利を持つ姿と義務を負う姿である。そうしてこの二個の姿があるがゆえに、また二個の呼び方がある。すなわち権利を持つ姿については「民」と呼び、義務を負う姿については「臣」と呼ぶのである(ただし前の数章で言った「臣僕」とは全く相異なる。臣僕というのは自分の身体精神ともに完全に君主に委託して、ひたすらその命令を聞き、一心にこれに奉事する者を指すけれども、ここに「臣」と呼ぶのは身体精神とも決して君主に委託するのではない。ただ自分が保護勧導を受けるために謹んで君命を奉じる者を指すのである)。しかるに開化が不完全な国になると、人民は義務を負うことが甚だ大であって、その権利はすこぶる微弱である。

 しかるに文明開化の立憲国になると、上で論じた権利・義務のほかになお人民に一種特別な公権利がある。いわゆる「発言権利」と呼ぶもので、すなわち人民自身の代理者である立法府の議員を選択する権利である。ゆえにまたこれを「選択権利」[選挙権]とも言う。前に論じたように立法府は君主とともに法制を議定するものであるが、決して君主の選任ではなくして、もとよりこれを選択する者は発言権利を持つ人民であるがゆえに、この人民は直接に立法の議に関与するのではないけれども、その代理者にこのことに関与させるがゆえに、すなわち人民は「与政の権利」[参政権]を持つという道理である。ゆえにこの権利を呼んで「特別の権利」と言うのである。これをもって立憲国といったものは、私事において君主政府の抑圧を受けないだけではなく、かえって自己の権利を国事上に施すことができるのである。確かに人民の権利は盛大であると言えよう。

 されども人民の代表者に国事に参与させるようなことは、決して現今、万国一様に行われるべきことではない。ひとり人知が開明した国で行うべきで、かつたとえ開明の国でも、発言権利[選挙権]を国中のすべての人民に許すことはできず、ことに婦人・少年・狂人・刑人および極貧で養育を受ける者などはもちろん、その他にこれらの事故がない者でも、家産が貧小な者などには、止むを得ずこの権利を許さないのである。思うに決して貧小な民を賤しむのではないが、貧小な者になると多くは学問に従事することができないので、知識が蒙昧で物事の道理を識別することができないためと、かつ貧小な民は通常身分がなく家産がないために、真に国家を憂い人民のために図る道を知らないからである(フランスで過激な論を主張して国害をなす者は多くは貧小な民である)。ただし共和政治の国では万民がことごとく国事に参与するのを天理の当然であるとし、この権利を人が生まれながらに持つ権利すなわち人権であるとするが故に、一般の発言権利として国内の人民にはことごとくこの権利を許すのを天理の当然とするけれども、このことはかえって道理に背くものである。フランツの説によると、たしかに人が生まれながらにして持つ権利すなわち人権とは、全く一個の身に固有の数種の権利であり、その他は私権でも今日の交際から生じるもので、いわゆる「得有の権利」なので、まして国事に参与する権利といったものは、決して人権と呼ぶべきものではなく、元来この権利を許すと否とは、もっぱら国家の治安の状況に着目して定めることが当然であって、許して害があるように見える者にこの権利を許さないのは、もとより正理であると言わなければならない。たしかに共和政治の国などは一般の発言権利を許すという名はあるけれど、その実はそうではなくて、通例は人の召使いとなる者あるいは救育を受ける者などにこの権利を許さないのは、すなわち真に一般の発言権利を許すことができないことの明証である。近来、イギリスの碩学[J・スチュアート・]ミルが、「婦人でも必ずしも知識が男子に劣る者ではないので、これまた発言権利を許すことは当然である」と言っている。すこぶる公平な論であると思われる。されどもこの論を誤りであるとして取らない学者もまた多い。その是非当否と言ったことは、浅学の私があえて識別する所ではないので、よろしく諸碩学の議論が、他日定まる日を待たなければならない。

 以上論じたように、人民は必ず君主政府の保護を得て(そればかりでなく勧導をも受けて)、その安寧幸福を求める者であるがゆえに、君主政府の命令と処分とは必ず謹んで恭順遵奉しなければならないことは道理の当然であるけれども、そうであってもこの恭順遵奉のことは、決して全く限界がないわけではない。およそ君主政府の権力は、たとえ君権無限の国でも決して真に無限の専恣せんしを許すのではないと言う道理を推考すれば、人民の恭順がまた無限になる道理は、決してあってはならない。君主政府は、もしその権限を超えてみだりに人民の権利を妨害することが明らかになるようになると、人民はあえてこれに恭順しない権利があるのみならず、かえってこれに恭順しないことをもって人民の義務としなければならない。されどもこのような時に当たって、人民はただ恭順しない義務を負うのみならず、また努めて君主政府の悪を匡済し、その命令・処分を正善に復帰させる義務を負うものと知らねばならない。ただし人民の多数が焦慮尽力して君主政府の悪を匡済しようと思っても、君主政府があえてこれを用いずに、なお暴政を行って、人民を傷つけ殺すことがいよいよ甚だしく、とうてい免れる道がないようになると、止むを得ず君主政府に抵抗して暴政の大被害を免れ、もって天賦の人権を全うしないわけにはいかない。古諺こげんは「人が天の神に恭順するのは、人に恭順するよりもさらに大なることを要す」と言っている。アメリカがイギリスに抵抗して、ついに大災害を免れ、独立不羈を得るようになったのは、すなわちこの道理から出るのである。そうであるが内乱のようなことは、国家の危害がもっとも大きなものなので、人民たる者は必ず公明正大で一点の私のない心をもって君主政府の命令・処分を考察し、その命令・処分が実に残虐無道で天下の公論がすでにこれを許さない時でなければ、あえて抵抗の所業を企ててはならない。人民がもし匡済の術を尽くさずに、軽率にこのようなことをするならば、単に国家の乱民であるのみならず、また天の神の大罪人であるだろう。

第6章 人民の自由の権利および自由の精神

 フランスのモンテスキューという大学者の言葉に、「自由はドイツの森林の中から芽生えた」と言っているように(ビーデルマンの説は、「自由は実にドイツの森林の中から芽生えたが、初めて実を結んだのは実にイギリスである」と言っている)、自由の権は全くドイツがいまだ開化に向かわなかった世に起こったものである。すでにその前のギリシア、ローマなどは、大いに制度文物が開明した国で、人民がことごとく国事に参与する権利を持っていたほどであったが、人民私事の自由権はかえって少なかったが、ドイツ人は未開の名を脱しないころから、すでに私事の自由権を唱え始めたのである。しかるにその後欧州各国は、封建世禄の制度が盛んになって、自由権はすこぶる妨害を受けたけれども、最近文明開化がだんだん進むようになって、この権の勢力がさらに強大になったがゆえに、ついにその妨害を払い除けて、当世になって実に確乎不抜のものとなった。もっとも自由権を認許する有様も、各国の憲法にしたがっておのおの異なっているが、今二、三の最重要な自由権を挙げれば、すなわち自分の生命を保全する権利、自分の身体を自由に使用する権利、自分の所有を自由に処分する権利、自分が信じる教法を自由に奉じ、および自分が思考する所を自由に論述書記する権利、同志と相結んで自由に事を図る権利(学術・商業などについて会社を結ぶことを言う)などである。おそらくこれらはもとより最重要の権利であるがゆえに、各国は大抵同じように認許するけれども、その他になると各国でおのずから相違がある。なかんずくイギリス、アメリカの二国になると文化は各国に冠たるもので、したがって憲法も良正であるがゆえに、自由権を許すこともまた甚だ大である。

 自由権の種類は数多いけれども、前段で挙げる所の諸権利といったものはもともと天賦のものであり、この権利がなければ絶えて安寧幸福を求めることができないものなので、この権利はあえて他から奪うべきはずのものではない。もし他からこれを奪う時は、その安寧幸福をもあわせてこれを奪うものと言える。このゆえに人民があれば必ずこの自由権があるのはもとより当然のことである。しかるに開化が不完全な国においては、君主政府はややもすると、暴権をもって天賦の自由権すらなおこれを奪い、もって君主政府の臣僕・奴隷とする。人民の不幸は真に嘆くべきことである。特に文明開化の立憲国のような国は、全くこれに反して、上で論じた所の人民は、私事上の自由権のほかに、なお公事上の自由権というものがある。すなわち前章で論じた人民の国事に参与する権利がこれである。太古のギリシア、ローマでは人民が代理者を立てる法はなく、すべての人民がただちに国事を議論する権利を持ち、そればかりでなく大小のことすべてを公議で定めるという法があったので、人民は公事の自由権を握ることは甚だ大きかったけれど、かえって私事は各人の自由に任せることが少なかったので、私事の自由権は甚だ微々たるものであった。現今の制度は代理者の法を立てて、すべての人民にただちに国事を議論させずに、かつ大小のことは、ことごとく公議をもって定める法ではないので、人民の公事の自由権は太古のように大きくないけれども、私事は大抵本人の自由に任せるので、私事の自由権は太古の制度の数倍になるようになった。確かに現今の制度は至当であると言うべきである。ただし今まだ立憲政体を立てていない国においては、人民はいまだにこの公事の自由権を持つことができないのは、すでに前に論じた通りである。

 自由権の道理は上で論じた通りであるので、人民たる者はよくこの道理を知って、必ずまた自由の精神を備え、いやしくも自分の精神をあえて他人に託することはしないという心がなくてはならない。思うに人民自らが卑屈になって、その自由の精神を失い、もってひたすら君主の臣僕・奴隷となるのを欲する時は、おのずから真正な安寧幸福を求める道を失い、したがって国家の精力がまた全く衰弱するようになるのは必然である。ゆえに各民はみな自己のため、および国家全体のためにこの精神を保持して、いやしくも自らを卑しめるという心を生じてはならない。しかるに前にも論じたように、日本や中国その他の開化が不完全な人民は、自ら君主の臣僕であると思うがゆえに、尊王の心が過度になるのみならず、自らを卑しめる情がまた過度であって、自由の精神などということは夢にも知らない。自分の身体・精神はひたすら君主に委託して、ただその命令を聞いて一心に君主の仕事に勤労することを人民の真の道であると思って、絶えてそれが誤りであることを悟らないのである。

 例の国学者連中の論に、「我が皇国はかしこくも天照大御神の詔勅によって天孫降臨したまいしより、万世一系の天皇が臨御したもう御国なれば、我が国の臣民たらん者は、つねに天皇を敬戴し、ひたすら天皇の御心をもって心とし、あえて朝命に違背すべからず」と言う。我が国の臣民が、天皇を敬戴し、朝命を遵奉するのはもとより当然の義務であるけれども、「天皇の御心をもって心とせよ」とは何ごとか。これはすなわち例の卑屈心を吐露した愚論である。欧州ではこのような卑屈心がある人民を「心の奴隷」と呼んでいる。我々人民もまた、天皇と同じ人類であるので、おのおのが一個人としての心を備え、自由の精神を持つ者である。どうしてこの心、この精神を放擲して、ひたすら天皇の御心をもって心とするという道理があるだろうか。我々人民が、もし自己の心を放擲して、すたすら天皇の御心をもって心にするようになると、どうしてほとんど牛馬と異なる所がありえるだろうか。天下の人民がことごとく牛馬となるに至ると、その結局の有様はどうなるだろうか。人民がおのおの自由の精神を備えてこそ、実際上の自由権をも握ることができ、したがって国家も安寧を得て、国力も盛強に至るだろうが、もし我が国の人民がその精神を捨て、ひたすら天皇の御心にのみしたがって、それによって実際上の自由権を失うことに甘んじるようになると、我が国の独立不羈はほとんど困難である。国学者流の卑屈論の弊害は、どうして浅くかつ少ないことがあろうか。このゆえに人民で愛国心がある者は、すべからくこの精神を育成することに努めるべきである。もしいやしくもこの精神を非とし、例の卑屈心を是とする時は、たとえ愛国の情がいかに深厚であっても、真の愛国の道を失うがゆえに、好んで国家の衰退を促すようなものである。いわゆる贔屓ひいきの引き倒しというものである。どうして恐れずにいられようか。

 我々人民が、自由の精神を失って、ひたすら天皇の御心をもって心となし、もって心の奴隷となる弊害はこのように大きいけれども、そうであっても君主政府の命令・処分が、自分の所見と合わないことがあれば、これを拒んでこれを破っても妨げがないというわけではない。もし君主が一号一令を発するごとに、人々が自分の所見にしたがって、あるいはこれを遵奉し、あるいはこれに違戻することができる時には、とうてい君主政府の権力が行われる期待はないだろう。勢いがこのようになるに至ると、たとえいかなる良正の政府でも決して政令を施すことができなくなるのは必然である。ゆえに人民たる者は、謹んで君主政府の命令・処分を遵奉することを通例として、その命令・処分がたとえ自分の所見に異なる所があっても、国家・人民に大害があると思うことの他は、止むを得ず一個人の所見を曲げて、君主政府に服従しなければならないのである。これもまた義務の緊要なものと言わなければならない。もっとも自分の所見を述べて、これを君主政府に忠告することは、さらに善であるとする。そうは言うものの決して君主政府の心をもって心とせよと言うのではない。たとえ君主政府の命令・処分のいかんに関わらず、自己の心はあえてこれを失ってはならない。ただ止むを得ずこれを曲げて、しばらくこれにしたがうだけである。ただし、君主政府の命令・処分が、もし倫理に背反し、あるいは人民の私権を妨害するなどのことが明瞭になるに至れば、決してこの例ではないので、あるいは自己の所見を述べてこれを拒否し、あるいは全くこれに違反し、また実にやむを得ないようになるとこれに抵抗することも、ただよくないことではないだけではなく、かえって正道に合うとしなければならない。

第7章 国体と政体とが相異なる道理ならびに政治の善悪公私は必ずしも政体によらないことの道理

 以上の数章で論説する所は、国家・君民の真理をもって君民双方の権利・義務およびその他の関係を上で論じた道理に合わせるようになって初めて、公明正大な国体が備わっているとすべきということである。現今の欧米のほかには、いまだかつて上述のような国体が完全に備わった諸国はないが、他の各国でも、結局上述の国体を得るに至らなければ、決して真正な国家と呼ぶのに十分ではなく、かつ真正な治安を得ることができないことが明らかなので、各国はつとめて速やかに上述の国体を求めることが甚だ緊要であるとする。されどもこの国体というのは、いわゆる政体とはおのずから相異なるのである。国体は眼目である。政体はこの眼目を達する方法である。ゆえに国体は万国ともにいやしくも前の数章で論じた道理に背くのを許してはならないが、政体は必ずしも一つになる必要はない。あるいは君主政体であっても、あるいは民主政体であっても、公明正大な国体を育成し維持するのに十分であれば、あえてその可否を論じなくてもよい。ゆえに政体の可否は、特にその国の古今の沿革由来とその人情・風習によって定めるのをよしとする。現今の欧州各国の多くは立憲君主政体を用い、アメリカ各国の多くは立憲民主政体を用いるのは、すなわちこのためである。かの君権無限の政体と言ったものは、前に論じたように、ややもすれば君主政府の暴政を生じやすい政体であるので、決して良正な政体と呼ぶのに十分ではないが、開化が不完全な国においては、この政体さえもしばらくは必要なものとせざるを得ないのである。されどもたとえ君権無限の国でも国体はいやしくも前の数章の道理に反するのを許してはいけない。国体がいやしくもこの道理に反して、かの野卑で卑劣であることを免れない時は、決して真正な国家と呼ぶには十分ではないのである。このゆえに国体は、万国ともに必ず同一になる必要があるけれども、政体は必ずしも同一になる必要はないのである。これがすなわち国体と政体が相異する理由である。

 ある人が質問して言うには、「国体の理は、実にあなたが論説する所のように、特に公明正大を必要とすることはもとより当然であるという道理を推して考える時には、政体と言ったものもまた必ず公明正大を旨として、特に共和政治を用いることが天理の当然であるべきなのに、あなたの論説にしたがえば、君主政体と民主政体とは、その国の古来の沿革由来とその人情・風習にしたがって選定するのをよしとすると言う。甚だ理解しがたいことである。たとえ立憲政体にもせよ、世襲の君主が賢愚にかかわらず、その位を得て、万民の上に立ち、これを統制することができると言ったことは、実に天理に背反する制度と言わざるを得ない。しかるにあなたは、絶えてこの道理を論じないのはなぜであるのか」。

 私は答えて言うには、「あなたは、ただ精一杯理論を張っているけれども、これは一を知っていまだ二を知らないのである。およそ政体は政治の容姿であって、その実事ではない。実事は重く容姿は軽い。共和政治はその容姿が美しいことは、はるかに君主政体に優るけれども、容姿の美は必ずしも実事の美を生じるには十分ではない。時には、あるいは美を損じることもないわけではない。ゆえにもっぱら実事を尊んで容姿を選ぶことはできないのである。共和政治といったものが、実に良い政体であることは、あえて論じるまでもないけれども、従来君主政体の国において、にわかに共和政治を用いるようなことは、決して治安を得ることができないのみならず、あるいはかえって治安を損じるようになる。フランス、イスパニアをもって殷鑑いんかん[戒めとすべき失敗の前例]としなくてはならない。(ことに我が国のごときは、古来絶えて革命がないので、君民の情誼がもっとも深厚である道理なので、数年の後に開明が進歩した日になれば、必ず立憲君主政体を立てて、君主国の基礎を固くする必要がある)。そればかりでなく今、イギリスとアメリカの両国を比較すると、イギリスは君主政体で、世襲の君主が賢愚にかかわらずその位を得て、加えて世襲の貴族・僧侶がまた大抵は賢愚にかかわらず、上院の特権を握るようなことは、はなはだ公明正大ではないようであるけれども、今日の政治の実際および人民が自由権を持つ有様などを観察する時は、天下衆望が心をよせる大統領が政権を掌握し、天下の公論をもって選挙した上下院が立法権を握るアメリカよりも、さらに優る所があるという。アメリカの大学者リーベルと言う人の論に、「君主国の人民は、真の自由権を得ることができないと思う者があるが、甚だ誤っている。自由権は決して王の有無によるものではない」と言っている。イギリスの政体制度は上述のように、ほとんど公明正大ではないようであるけれども、最も公明正大な政体を用いるアメリカに優るのは、甚だ怪しむべきことのようである。よって今そのそうである理由を探ると、確かにイギリスの政体は上のように君主政体であるがゆえに、政権が君主の掌中にあるという名はあるが、その実はそうではなくほとんど立法府にある。そうしてさらにその実を探ると、また立法府にあるのではなくて、これを選挙する人民の多数にあるのである。ゆえに名は君主政体であるけれども、その実は真の民主政体であるかのようで、加えてこの無名有実の民主政体は、アメリカのようにことさらに制度をもって定めたものではない。ただ古今の沿革由来より自然の勢いによって知らず覚えず次第に成立したものであるので、実に人情・風習にぴったり当たるので、かえって名実ともに正しいアメリカに優るのである。これはすなわち政治の善悪公私が、必ずしもその政体によらないことの証明である。ただしなおまたここに一例を挙げれば、すなわち1700年代の末に暴力的で過激な勢力をもって起こったフランスの共和政治は、初めはすこぶる公明で寛大な政令を施す様子であったが、ついに大いに変化して、実に古今未曽有の苛政を施し、残酷暴戻が至らない所がなく、その前に君権無限の政体で施した暴政よりもさらに数倍するようになった。これは、すなわち政治の善悪公私が必ずしも政体によらない第2の証明である。そのほか君主政体の国でも、その実権が君主ではなく、かえって役人あるいは貴族などの掌中にあるものがある。あるいは民主政体の国でも、ひとり放逸無頼な暴民が威力をほしいままにする国がある。これらはみな名実が相反するもので政治の有様は、必ずしも政体によらない理由である。そうではあるが私の考えは決して政体を選ぶ必要はないと言うのではない。実に良正な政体を選ぶことが緊要であることは、前に論じた通りであるが、政治の実際がすべて政体の良悪のみによるものと思うのが誤っている理由を示すのである。

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