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「第一次動乱期=大正時代」とすると「第二次動乱期=平成時代」が成り立つのではないか…な…

こんにちは…なんだかnoteを始めて数日であまり纏まりきっていない長ったらしい文章を読んでくださり反応をいただけたりとても嬉しいです,ありがとうございます.大変恐縮です….

たまには私の研究のお話をさせていただこうかと思いました…なんとなくです.根っからの大正時代好きです.専門家はまだ名乗れませんが.
修論を書く前になんでこの研究になったかなと振り返りながら勝手に長々と書いてます.すみません.
某公立大の工学デザインというか…所謂総合大学のデザイン科(一応理系で数学は3Cまで必要なんだけど入試にはデッサンもある)で視覚伝達デザインの研究室にいます.一言で言ってしまえばグラフィックデザインなのですが,もっと社会とデザインの関わりや地域とデザインであったり,広告ポスター・パッケージデザインなど2次元だけに留まらないグラフィックデザインをやっているようなところです.
私の専門としてはパッケージデザイン,そして近代日本デザイン史となるのですが,デザイン史の研究室の教授は定年で退官されてしまったので研究室が存在しておりません.(私立大だったら先生もう少し長くいらして研究室続けてくださったのだろうかとか考えてしまう…)


現代はインターネットの普及により,消費者動向はSNSなどによっても左右されてしまい,昔ながらのデザインが完全に残っている商品は少なくなってきました.そして消費者に振り回されてしまうと,飽きられた時に短いスパンでのデザイン変更がなされデザイナーに負担がかかり,また最悪の場合は生産中止に追い込まれてしまうこともあります.このようなデザインを私は消費型デザインと定義しているのですが,これから柔軟な社会に対応できるよう,消費型デザインではなく長く愛されるロングセラー商品のデザインを模範として取り上げ,何か法則性があるのでは,ということを模索し,検証して現在修士で研究を行っております.

元々日本らしいものとか好きでして,週末和装とかもたまにしてましたし今は時間がないのでちょっとできてませんがまたやりたいですし,日本らしいデザインってなんだろうということで大学院の研究を始めました.学部時代の卒業制作はポスターでしたが,留学時代に感じた生活様式の違いを可視化するという目的で作成しました.というのも,留学時に感じたこととして,
①フランス人が興味を持っている日本文化は漫画・アニメだけではない
②生活スタイルが違うということ=今まで積み上げられてきた各国の文化が違う
③無宗教国家の日本に対し,多民族国家のフランスにはベジタリアンや宗教上の理由で食べない食材がある方に対してのメニューが豊富
というのが結構大きかったです.

①についてですが,勿論クールジャパンと政府が謳うくらいですし,最近はオタク文化ややおい,そういったものが受け入れられ日本の特色として売り出されているので外国人から見た日本のイメージって漫画とかオタクだけ…?というのは嘘だと断言したいですね.個人的に笑
勿論漫画やアニメが好きな方はたくさんいらっしゃいますし,自国の作品が世界に通用し愛していただけるのはとても嬉しいことです.誇らしいことでもあります.ただ,それを日本の文化そのものとして全面的に売り出すのはあんまり…といった感じです.あるフランス人は,「勿論日本のアニメや漫画は好きで,BD(バンド・デシネ)とは違う.ただ,私はそれこそ漫画が好きだったのかもしれないけれど,日本が好き.その入口が漫画だった.漫画を読んで日本人の生活を知って,日本の文化に持った」と言う.一例としてあげるなら,世界でもブームとなったBENTOだろうか.これは少女漫画『オトメン』がブームの発端とも言われており,舞台は現代の日本の高校で,皆が同じ制服という規定の服装で過ごし,そして教室で弁当を広げる場面が,私服で学校に行くのが当たり前の外国人には新鮮だったという.そして弁当箱を繰り返し使うということでエコであり弁当のおかずにも家庭が反映されるのでなんとも不思議だっただろう.日本人からしたら,昨日の残り物だし…というところをそんな目で見られていたのだ.そして他の漫画やアニメで日本人の生活を知って興味を持ったので,漫画やアニメは日本に興味を持ってもらうための入口のようなものだったのではないか.つまり漫画だけを押し出しているのではなく,漫画を通じて日本の生活や習慣に興味を持ってもらっているという解釈をした.弁当もそうだが,普段日本人が何気なくやっていることが実は一番外国人にとっては面白かったりするのかもしれない.

②については,まあ,そのままです.歴史を辿ればわかる話ですが,留学中は寮生活だったのでフランス人だけでなく,フランス人以外の学生さんとも親交がありました.朝シャワーは敷居が低いのですが,土足生活,土足ベットなんかはちょっと抵抗ありましたね….

③これもそのままですが,日本の食文化は割と自由な気がします.お葬式には仏教が多いですが勿論キリスト教のご葬儀をなされる方もいらっしゃいますし無宗教というよりかは宗教の混在でしょうか.そのため国としてNG食材というものもなく,ベジタリアンのフランス人の友人が来日した際にはメニューが…とポロリとこぼす場面もありました.現在は観光客の増加によってそういった方向けのお店も増えてきてはいますが.

また長くなりそうですが,そういったことがきっかけで食文化にとても興味があります.食文化は結構時代によって国内でも違うので,国のアイデンティティであると同時に国の歴史でもあると感じています.その中で私が注目したのが駄菓子でした.
お菓子好きなのもありますが,長い間パッケージも変わらず質素なものは本当に質素で,安いし親子三世代くらいなら共通の話のネタにもなる.こんなコミュニケーションデバイスってあります?
いや,びっくりしたんですよね.そしてその駄菓子のパッケージデザインというのは色々と分類ができるのですが,私は駄菓子を父から教えてもらい,それを持っていたら祖父母が子供の頃は…と話が続いていきました.祖父母はもう他界しておりますが,ボンタンアメが印象的でよく祖父母の家に行くともらっていました.そしてそれを面白おかしく,食べ方を知っているか,と父が私を茶化す.知らずにオブラートを剥こうとして大失敗したこともあります.

駄菓子というジャンルではキリがないので何かに絞って研究を進めていたのですが,このボンタンアメに思い入れがあったのでそれを調査なり工場見学で初めての鹿児島訪問をしたり,パッケージの箱を解剖してみたり標本のようにデータベースを作っていったんですね.
ずっとメール上でやり取りをしていた企業の方と工場見学の時に鹿児島でお話をして,貴重な資料も見せていただいたり手袋越しに発売当初のパッケージを触らせていただいたりもしました.(社員さんにもマニアじゃん…と言われたほどです,認めていただけました…!)
当時はキャラメルがハイカラな食べ物で,箱もキャラメル箱だったり,森永のミルクキャラメルが模範でした.パッケージから見えてくることというものは面白いです.
ボンタンアメの生まれた大正時代は鎖国後の日本に輸入されたものが,やっと庶民の手に届いた時代です.明治はまだ上流階級,それこそ鹿鳴館で踊っていたような華族や上流階級にしか行き渡らず高級品が多かったのです.そして何より砂糖というものが貴重で,栄養価が高いということで明治後期〜昭和初期に発売されたお菓子のパッケージの多くに「滋養」や「栄養豊富」といった記載があり,健康食品としてお菓子を売り出していたと考えられます.
後に薬事法や公正取引商法のような法律によってパッケージに記載すべき事項というものに制限がかけられていくのですが,当時のパッケージを見ただけで砂糖がどれほど貴重であったのかが見て取れます.

また,大正時代は印刷技術も発達したため今までより大量生産が可能,そして大衆消費社会の誕生によって雑誌も増え,娯楽雑誌や同人誌の発行も多く差別化を図るために各印刷業者は書体を工夫したりしていました.「流行」が生まれたのもこの辺りからで,当時は三越やデパートなどの大型商業施設が毎年流行を作っていました.そしてパッケージデザインはどうかと言いますと,図案家(現在のデザイナー)たちはやはりメーカーに他の商品との差別化と消費者の購買意欲向上のための商業芸術が求められていきました.今までの芸術とは違った,「デザイン」の起源なのではないでしょうか.
そこでこの流行の生まれた時代に図案家たちが取り入れたのはフランスで流行していたアール・デコ様式で,ミュシャのような装飾が特徴です.そして商品名やロゴの書体を飾り文字にすることで他の商品との差別化を図り,和製アール・デコというデザイン史上の言葉が出来上がるほど,新しく輸入した西洋の文化を日本に取り入れてみせたのです.まさしく和洋折衷なのですが,具体的にどういった点が大正時代らしいのか,というのはれっきとした基準もなく図案家各々の頭の中にあったのだと思います.
それを解明したいな,というのと,その図案家たちの作品を通してデザインという観点から当時の社会性を覗き,当時の人たちの思考や生活というものを研究していきたいと思っております.

かなり私の主観に偏ってはいるでしょう,専門家の方々すみません.ですが大正時代大好きでしてやはり私の夢は大正時代の人の頭の中を覗くことでして,それをグラフィックデザインという観点から研究することに新規性を見出しています.当時のデザイン教育については色々と先行研究もありますが,その時代らしさとは何かというものを,前後の時代含め分厚く調査し比較していくことで大正時代を浮き彫りにできるのではと思っております….

平成という元号が変わるということもあり,平成生まれの私にとっては初めて元号が変わる瞬間を見るわけですが,だからと言って誰も歴史が止まったと感じることはないでしょう.その時代らしさは次の時代が,懐かしみながらこういうものって平成っぽかったよね,と作り上げていくのかもしれないという教授との対話を通じてなるほどと思っております.(平成時代にちびまる子ちゃんやALWAYS三丁目の夕日がヒットしたように)
ただ,平成という時代と共に育ってきた私にとって,昭和や明治よりも短い30年という年月で終わってしまうこと,それは15年で終わってしまった大正時代のように軽視されてしまうのを恐れたこともあります.
市役所では平成の世代の人が,大正時代っていつだっけ?てか大正時代の人って今生きてるの?とか,明治・大正・昭和・平成という並びを知らず大正時代っていつ?と言っているところを見かけたこともあります.ぶっちゃけ大正時代って15年だし短いからあんまり印象ないし…と言う方もいました.
ですが,私たち平成世代にとっても,もしかしたら平成って30年しかなかったし何かあった?と軽視される可能性も0ではない気がするのです.
なんとなくそんな危機感を感じつつ,動乱の15年を平成の動乱の30年と重ね合わせて勝手に親近感を持っておりますが,それもまた私が大正時代を愛するがゆえ似たもの探しをしてしまっているのでしょう.
鎖国後の新しい文化を取り入れ庶民に親しまれた大正時代は天災に見舞われ,女性の社会進出があり,選挙法も改正されました.
第二次世界大戦というニアリー鎖国後のアメリカの文化を吸収し再建した国家で迎えた平成時代は未曾有の自然災害に見舞われ,女性だけではなくLGBT運動の高まり,政治活動も自民党55年体制が崩れ大きく揺れ動いています.

デザインの世界では時代は変わり,ある一つの商品を模倣するデザインから,ブランドを売り出すブランディングデザインの時代に移り変わり,デザインシンキングという言葉も生まれました.もう一度大正時代を再評価し長期型のロングライフデザインを見直すことで,これからの社会の変動にも柔軟に対応できるデザインを生み出すことが可能ではないのかという思いを持っております.
大正時代の人たちはどうやって異文化を自国の文化を融合させたんだろう,とか,どうしてこの色使いで,このモチーフで,このレイアウトにしたら売れると思ったのかとか.当時の商業に対してデザインがどれだけの力を持ち,そのために図案家たちはどう取り組みロングライフデザインとなるものを作り上げたんだろう,とか.この先SNSが主体となるかならないかはわかりませんし,未来のことはわかりません.情報拡散がインスタグラムの写真ではなくなるかもしれないし,ツイッターやフェイスブックの書き込みが商品の宣伝にならなくなるかもしれない.そんな未来でもこのデザインいいから欲しいな,と思われる/思わせるデザインって何だろうとも思いながら大正時代という異文化融合を成し遂げた時代に思いを馳せるのです.という独白でした…長々とすみません.
(書いてる途中は楽しかったですが後で見返したら暑苦しそう…)

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