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短編小説 『虹色ソーダ』

(2517文字)

 「確かこの辺りだと思うんだけど……」

雨が降る中、私は軒下に入ってカバンからスマホを取り出し、地図アプリを開いて目的地を検索した。

『星見神社』

表示された地図と目の前に広がる道や建物を照らし合わせる。

「やっぱりこの辺なんだけどなぁ」

私は眉を八の字にすると、スマホの画面を食い入るように見つめた。
 私は今日、星見神社に写真を撮りに電車を乗り継いでこの街にやって来ていた。
星見神社はこの街の高台にあり、その名の通り星の写真を撮る穴場スポットなのだ。
だというのに私はなぜか道に迷い、先程からずっとこの辺りをウロウロしていた。
それに付け加え、雨も降り出すという始末。

――スマホがあっても迷うって……。しかも雨なんて……。

生まれつきの方向音痴もここまで極めると溜め息すら出ない。
そんな私に雨が追い打ちをかける。

 「とりあえず一旦雨宿りしよう。どこかカフェとかないかな」

辺りをキョロキョロと見回していると、チリンチリンという涼しげなベルの音が耳に届いた。
振り向くとそこには、紺色の壁に白い扉がはめ込まれた、かわいらしい小さなカフェが建っていた。

「ちょうどよかった!あそこでひと休みしようっと」

スマホをカバンの中に戻すと、小走りにそのカフェの白い扉に手をかけた。
 チリンチリンと扉のベルが店内に鳴り響く。
店内は薄暗く、そこかしこにランタンやキャンドルの明かりが灯されていて幻想的だ。
飴色のテーブルとイスで揃えられた座席は、カウンター席が四つと、二人がけのテーブル席が三つ。
他に客はおらず、私一人だけだ。
ひとまず二人がけの窓際の席に腰を下ろす。

「いらっしゃいませ」

まもなく店員さんがやってきて、お冷やを目の前のテーブルに置く。
水晶のように透明な氷が、グラスの中でカランと涼しげな音を立てた。
私はテーブルに備え付けられたメニューを手に取りしばし悩む。

――どれにしようかな……。

視線をメニューの左から右へ移動させていく。
その時だ。

「ん?」

突然メニューの中のとある文字が、キラリと光ったように見えた。
思わず目をパチパチとしばたたかせながら、その文字に目を向けると、そこにはこう書かれていた。

『虹色ソーダ』

「虹色ソーダ?」

どんな飲み物なんだろう?
あいにく、メニューに写真は載っていない。

「……」

 私はしばらく考え込むと、思い切ってその虹色ソーダを注文することにした。
なぜか気になって仕方なかったのだ。

「虹色ソーダをお願いします」
「かしこまりました」


 程なくして、店員さんが注文した品をお盆に乗せてやってきた。

「お待たせしました」

グラスがコースターの上にそっと置かれる。
私は目の前に現れたそれを見て、思わずため息を漏らした。
グラスの中には上から赤・橙・黄・緑・青・藍・紫の順に、色鮮やかなクラッシュゼリーが敷き詰められていた。
ソーダが注がれていても崩れず、シュワシュワと細やかな泡をたてながらグラスの中で見事な虹が形成されている。
店内のランタンの明かりに照らされて、とても幻想的だ。
私はしばらくの間、その虹色ソーダに見惚れていた。
そして、そっとグラスを手に取りストローに口をつけ、ひと口飲んだ瞬間、甘酸っぱい風味とともに炭酸が口の中で弾けた。

「んん、おいしい!」

赤色のゼリーはサクランボ味だ。
少し酸味の効いた風味豊かなゼリー。
口に入れた瞬間、とろりととろけて消えていく。

「次は何かな」

橙色のゼリーはオレンジ味だ。
果肉が含まれていて、プチプチとした食感が楽しい。
黄色はパイナップル。
緑は青リンゴ。
青はブルーハワイ。
藍はブルーベリー。
紫はブドウ。
七色の味が私の舌を楽しませる。
まるで本物の虹から一部をすくい取って、グラスの中に閉じ込めたのではないかとそんなことを考えてしまう。


 「ごちそうさまでした」

空になったグラスを前に手を合わせると、いつの間にか窓から明るい日射しが射し込んできていることに気づいた。
スマホの画面を見ると、午後三時半を回っている。

――もう、こんな時間?早く星見神社を見つけないと。

慌ててカバンを手にして立ち上がるとお会計に向かう。
支払いを済ませ、店を出ようと扉に手をかけたそのとき、「お客さま」と突然店員さんに呼び止められた。
振り向くと――。

「星見神社なら、店を出てすぐ傍の細い坂道を登っていくとたどり着けますよ」
「え?」

なぜ私が星見神社に行こうとしていることがわかったのだろうか?
私は店員さんに星見神社へ行くことをひと言も話していない。
思わず聞き返そうとしたが、店員さんはニッコリ笑うとそのまま店の奥へと消えていってしまった。
私はポカンとしてその場にたたずむ。
しかし時間がないことを思い出してハッと我に返ると、私は慌てて店を後にした。


 「あった……」

店のすぐ傍にあった坂道を登りきったその先に、私が目指していた目的地はあった。
石でできた柱に黒い文字で『星見神社』と書かれている。

――あの店員さんが言ってた通りだ。

赤い鳥居をくぐり境内を通り抜けた先に、街一帯を見渡せる開けた場所があった。
私はカバンを地面に下ろすと三脚を組み立てて撮影の準備に取り掛かる。
カメラをセットし終えると、ファインダー越しに空をのぞき込んだ。
すると――。

「あ!?」

なんとその先に、先ほどカフェで食べた虹色のゼリーが写っていたのだ。
慌てて顔を上げると、雨上がりの澄んだ空にキラキラと虹が掛かっていた。
あのゼリーがとても素敵だったから、思わず見間違えてしまったのかもしれない。

――記念に一枚……。

パシャリとシャッターを切る。
そしてそのまましばらくその虹を眺めていると、やがてあのソーダの炭酸のようにシュワッと、空の彼方へ消えていった。

 
 あの日の夜の星空はそれは見事なものだった。
あの虹色ソーダが忘れられず、後日またあのカフェに行ってみようと足を運んだのだが、なぜかたどり着けていない。
またしても私の方向音痴のせいなのか、それとも夢だったのか、または雨の中の不思議な出来事だったのか……。
今となってはわからない。
ただあのグラスの中に閉じ込められた美しい虹は、私の心の中に確かに刻まれている。
ひょっとしたらあの虹色ゼリーは、空から虹がグラスの中にふわりと舞い降りたものだったのかもしれない。

              おわり。

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