時代の変化
昨日の衆議院の補欠選挙で、立憲民主党が三連勝を重ねた。順当な結果で嬉しいが、三選挙区ともゼロ打ちだとは思わなかった。とはいえ島根1区以外は自民党が候補者を擁立しない、いわば裏金問題による不戦敗だ。また、岸田政権の運営方針に関わるとはいえ、結果が政権交代に直結するわけでもなく、まだまだ油断は禁物である。勝って兜の緒を締めてほしい。
この結果を受けて、時代の趨勢は変化していることを感じている。それは2012年12月、自民党が政権与党に返り咲いて以来の「何でも反対野党」「反対するなら代案出せ」なるものの終焉ではないか。一時期は流行ったこのようなフレーズをほとんど聞かなくなって久しい。
「何でも反対野党」「反対するなら代案出せ」とは自民党や日本維新の会の議員や支持者が好んで使ったフレーズであり、立憲民主党や共産党など「野党共闘」系の議員や支持者を罵倒し「我々の足を引っ張る鬱陶しい連中」であることを印象付けるジャーゴンである。
安倍政権の高支持率の維持と旧民主党系野党の分裂や論争による支持率の低迷を背景に、「代案もないのに与党になんでも反対する野党」として印象付けに成功し、安倍晋三による長期政権が続いた。
デフレと現状維持、インフレと現状変更の親和性
数年前より複数の人の口から「最近は現状維持を好む人が多い」と聞く。個人的にこれには無理もないと思っていて、その理由は日本では失われた30年として、デフレ経済が30年続いたからだと思っている。給料や物価が低減する傾向が続くデフレ下では、下手に動かず現状維持に努めた方がうまくいく場合が多い。要は現状維持を好むというのはデフレ時代のマインドなのだ。
デフレが続き、野党の支持率が低迷する中では「何でも反対野党」「反対するなら代案出せ」の大合唱で「悪夢の民主党政権」時代を演出し、現状維持するだけで支持を得ることができた。だが、今やコロナ禍後の経済活動の復調やウクライナ戦争やガザ紛争によって世界的な物価高が起こっており、それに対して賃上げが望まれるインフレの局面だ。
インフレ時代は政策の見直しや組織の再編など、政治・経済・社会のあらゆる局面において積極的な対応が求められ、消極的な現状維持では取り残される。今や現状維持ではインフレに対応できないことに人々は気づき始めている。
「悪夢の民主党政権」とやらももう10年以上前である。時代はデフレからインフレへと変化しているのに、これから言及するいわゆる「冷笑系」が、10年以上前の昔話を持ち出して自民党の裏金問題などを擁護して現状維持を望むこと自体が滑稽だ。
冷笑系もXも凋落しつつある
「何でも反対野党」「反対するなら代案出せ」の時代が終わりつつある中、もう一つ感じているのは、冷笑系が幅を利かせる時代も終わりつつあることだ。ここでいう冷笑系とは、Xに多い自民党(あるいは維新や国民民主党)支持層で、野党共闘系は断固として支持せず、「デモなんかしても世の中変わらない」「権利を主張するなら義務を果たせ」「芸能人は政治に口出しするな」「フェミニストや活動家が女性やLGBTの印象を悪くしている」などといわゆる「リベラル」的な主張や思想を嫌悪して嘲笑し、逆張り的に保守側を持て囃す人々のことである。
変化を厭う現状維持と、自分は何もせず他人の理想や熱意を嘲笑う冷笑系は親和性が高い。デフレは現状維持を好む怠惰で無気力な冷笑系にとっては都合のいい時代。長く続いたデフレこそが、冷笑系が増えた最大の要因だとわたしは思っている。
今やTwitterはイーロン・マスクに乗っ取りで私物化され、Xと改名され、今も数々の改悪がなされている。今でこそ膨大なユーザーを擁するXだが、冷笑系をはじめ多くのユーザーは、時代の変化に対して何もせず現状維持を続けている。これでは凋落は不可避にして不可逆の局面だろう。
SNSと選挙の食い合わせの悪さ
また、今回の選挙ではSNS(特にX)における選挙活動の限界も示された。ご存じのとおり、日本の選挙は一人一票である。政治に知識や関心がさほどない無党派の一票も、ある政党の熱心な支持者の一票も、その重みは等しい。
一方、誰かがSNSで熱狂的にある政治家や候補者を支持しているとしても、その人が選挙の投票権を持っているとは限らない。選挙区内の多数の人から浅く広く支持を受けることが求められる選挙と、地域関係なく少数の人から狭く深く支持を集めるSNSとでは食い合わせが悪いのだ。
作家の百田尚樹率いる日本保守党の飯山陽候補は東京15区で投票数5位につけたとはいえ、ネットでの熱気に比べれば、実際の投票行動にはあまりつながらなかった印象がある。
かつて東京都知事選挙に出馬して「ネットでは私がダントツの支持なんです」と言った候補者がいたが、同一人物が複数回投票できるネットアンケートなど、世論調査の代わりにもならない。阪神の試合のある甲子園球場の前で「あなたは阪神ファンですか?」と質問するのと同じである。今回の補選でそれが改めて証明されただけである。
先にも言ったが、Twitterはすでに私物化され、改名され、改悪の途上にある。東日本大震災を機に情報インフラとして数多のユーザが利用する巨大SNSとなったが、皮肉にも一富豪によって情報収集と情報発信をSNS一辺倒とすることに翳りが見え始めた。
いくら大規模とはいえSNSの大多数の意見は世論と乖離している。エコーチェンバーの中でいくら囀っていても、投票行動につながらなければ意味がない。となれば、政治家が票を集めるには、狭く深くではなく、浅く広くを志向する必要がある。選挙活動の重心をSNSではなく街頭に置いて支持を集めなければならない。政治家も有権者も、時流の変化を感じ取り、いい加減そのことに気づくべきだ。