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ちくわ記念日

私とSちゃんは大学で出会い、すぐに意気投合した。私たちは考え方や趣味嗜好がとても似ていた。

同じバッグ、同じブーツ、同じ文房具。一緒に買いに行ったわけではないのに、たまたま同じ持ち物を持っていることがよくあり、気づく度に私たちは驚いた。一緒に買い物へ行くと、同じ洋服に目が留まり、おそろいで色違いを買うこともあった。

就職活動に備えて一緒にリクルートスーツを買いに行ったときは、何軒もお店をまわったにも関わらず、2人して同じスーツが気に入り、またしてもおそろいを購入した。

「こんなことってある?」「私たちは前世で双子だったに違いない」2人でよくそう言って笑った。

お互いに一人暮らしで食べ物の好みも合う私たちは、時々一緒に料理を作った。ある夏の日、私たちは大学の授業で行う英語劇の準備をしていた。夜になり、私は簡単な夕食を作った。Sちゃんは私が作った「ちくわの卵とじ」を「優しい味ですごく好き」と言い、気に入ってくれた。ちくわと人参と玉ねぎを煮て卵でとじただけの、シンプルで安上がりな料理だ。

Sちゃんはレシピを教えて欲しいと言い、彼女の料理のレパートリーにも同じメニューが加わった。あの日、Sちゃんが喜んで料理を食べてくれたことは、今でも懐かしい思い出だ。

その後、私たちにはさらに驚くべき出来事があった。なんと同じ企業に就職が決まったのだ。就職氷河期といわれていた当時、私たちは何社もの会社説明会に足を運んだ。その結果、たまたま同じ企業に興味を持ち、たまたま2人とも採用されたのである。

「まさか就職先まで同じなんて!」とびっくりしたのと同時に、6人の同期の中にSちゃんがいることは心強くもあった。大学を卒業し社会人となった私たちは、同期として、時に悩みを打ち明け合い、時に励まし合いながら仕事に励んだ。

それから数年が経ち、またも驚いたことに、私たちは同じ年に結婚することになった。なぜか「結婚しよう」と思うタイミングが重なったのだ。

結婚する年まで同じとは、もう何度目の共通点か分からない。Sちゃんは夏に、私は同じ年の冬に結婚した。もちろんお互いの結婚式にも出席した。

Sちゃんは結婚後もちくわの卵とじを作っていたようだ。「義実家で作ったらお義父さんがおいしいと言ってくれた」と報告してくれたこともあった。

その後、私が妊娠・出産してからも、Sちゃんは忙しい合間を縫って会いに来てくれ、私の息子をかわいがってくれた。Sちゃんは子どもが好きだった。私は、「Sちゃんと一緒に子育てができたらいいな」と漠然と考えていた。しかし、その日が訪れることはなかった。

私の息子が6歳のとき、Sちゃんは子宮頸がんでこの世を去った。

それから私は定期的に子宮がん検診を受けている。「Sちゃんの分まで生きる」というのは、私の極めて勝手な考えだと自覚している。ただ、なにか悲しいことやつらいことがある度に、もう一人の私が私に語りかけるのだ。「喜びも苦しみも生きているからこそ。精一杯、生きろ!」と。

現在、私はライターになり、健康に関する記事を書くことも多い。子宮頸がんは早期に発見すれば比較的治療しやすく、予後のよいがんとされている。また、子宮頸がんの発生に関わるHPV感染を予防するワクチンを接種したとしても、定期的な子宮がん検診の受診が大切だといわれている。一人でも多くの人に子宮頸がんのことを知ってもらいたいと思う。

Sちゃんはいつも私に寄り添ってくれた。私は「Sちゃんのように誰かに寄り添えるような文章を書きたい」という思いで今の仕事を続けている。

驚くほど共通点の多い友人との出会いは、私の人生にとってかけがえのない宝物だ。ともに過ごした思い出や、いつも支えてくれたことへの感謝の気持ちは、生涯忘れることがないだろう。

参考サイト:国立がん研究センター・がん情報サービス

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