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親の雑誌 電子版のご紹介

今日は自社のサービスについて紹介したい。親の雑誌電子版だ。

自分史作成サービス『親の雑誌』から生まれた、人々の人生を綴った人生メディアで、今年の3月末から正式スタートしている。

親の雑誌 電子版とは

自分史作成サービス『親の雑誌』を通じて、取材してきた北海道から沖縄まで全国にお住まいの60歳から105歳の「親御さん」の自分史を、ウェブメディア『親の雑誌 電子版』として公開させていただいている。希望をいただいた方から随時アップデートしており、現時点で20名ほどの自分史コンテンツを掲載している。

いわゆる有名人ではない、市井の人々の自分史が集まるところがユニークだ。大正、昭和、平成、令和。時代の変遷にあわせて、人々が、どのような思いで、どのように生活していたのか、当時の仕事観や家族観、人生観を知る貴重な資料でもある。

元気がない時に

親の雑誌は、聞き書きという形式でご本人がお話いただいたことをそのまま語り口調で書きおろしをさせていただいている。そのため、その人らしさをそのままに、さまざまな人生があることを感じていただけるものと思う。目についた方のものを気の向くままに、読み物として読むのも面白い。

自分が最近よく思うのは、これら電子版の記事は、元気がない時、なんとなく気持ちが盛り上がらないときに読むのが良いのではないかということだ。とかく、偉人の話や有名人の話はすごかったり、大変な苦労を乗り越えて大成功をしていたりするが、やる気が出ないときに読むと圧倒されてしまったり、自分と偉人は違う、といった気分になってしまうものではないだろうか?

親の雑誌を続けて読むと見えてくるのは、与えられた場所で(もちろん、自ら場所を求めることも含めて)悩み、努力する姿であり、その結果、振り返って気がつく幸せの形だ。それは何を成し遂げるかというよりも、どんな場所でどんな結果がついてくるにせよ、できることをできる範囲でやり続けることの大事さだ。

それも、とにかくひたすら歯を食いしばって働くという意味でもない。ときには休むこともあるし、自分のペースを守って無理ない範囲で一生を歩む選択肢もある。それで結果、十分にできたと思える人生を築いてきたと実感できることに、大きな価値と意味があるのだと思う。

そうしたインタビューを読むことで、今つらい思いをしている人、今やる気を出せずにいる人にとって、「自分はこれはこれでよいのかな」「こういう時期もあるよな」「でも、最後にはまあなんとかなるだろう」といった思いを持てるのではないか。そんなことを最近感じている。

テーマで読む

テーマで読むことが面白い。キーワード検索の機能がついているので、右上の検索窓にキーワードを入れると、その単語が出てくる自分史が出てくる(恐縮だが、キーワードが該当する箇所までは出せないのでご容赦ください)。

例えば、「戦争」というキーワードを入れれば、戦争に関わった人たちのお話が出てくる。

そうすると、

私は田舎に住んでましたから戦争で大変な目に遭ったってことはないんですけど、東京はひどかったらしいですね。焼けた新聞が風に乗って飛んできたことはありました。終戦の1年後くらいに東京に行ったんですね。おにぎり持って行ってたんだけど、そのおにぎりを上野の公園で食べてたら、いつの間にか、汚れた男の子が3人、後ろ立ってのぞいてたの。どうしようもないから、少しずつあげましたけど、それからは、ああいうところで食べるんじゃないなって思いました。兄は、ビルマに行ってラングーン作戦に参加しました。川でお米を研いでると、球が飛んで来たって言ってましたね。それほど向こうの兵隊さんの整備が精巧だったんですよ。もう1人は中国に行きましたが、おかげさまで、無事に戻ってきました。
 戦時中はうちの部屋を軍人さんに貸していました。少尉、大尉、中尉って住んでましたね。真ん中の部屋にその軍人さんの女中さんが3人も寝泊まりしてたよ。炊事班の人もいて料理を作って朝昼晩、お膳に乗せて持ってくるんですよ。それで、頭の上に捧げて、当番兵に渡すんです。
 小学生のころ太平洋戦争が始まりました。15才のころに少年兵を志願したけれど、小柄で身長が足りなかったから、身体検査で落ちて試験も受けられなかったんです。今思えば命拾いしたんですよね。戦争に行った同級生は戦死してしまいましたから。
 終戦は17才で、実家のラジオで聞きました。戦争が終わって、自由に好きなことができると思いました。友達は3人ほど戦地に行ったと思います。弟は愛知県豊田の軍需工場にいたときに空爆されて、15才くらいで死にました。豊田に埋葬されましたから、お参りに行きました。
 戦争中の思い出は、爆弾でやられた航空隊の屋根をトラックに積んで片づけたりしたことです。あれは終戦の前、6月でした。自転車で航空隊の中を走りましたが、爆弾がいっぱい転がっていて走るところがなかったです。当時ここの航空隊で通門権をもらっていたのですが、おそらく民間では私を含め2人くらいしかいなかったです。
 戦争中は政治については何も考えなかったですね。日本が勝つとも思ってなかったし。今の鹿屋の航空隊の会議室で、あのハワイ真珠湾攻撃の案を練ったと聞いています。桜島をハワイに見立てて訓練したらしいです。その会議室は今もそのままあります。私は戦時中もあまり不自由はしませんでしたね。地元の鹿屋航空隊にいたから。うちは農業していたから、米もありました。
 中学校4年生のときに終戦です。終戦は航空隊で迎えました。みんな涙を流していました。私は訳がわからんかったですね。終戦になって、航空隊からスコップを1本もらってきました。戦争が終わった日に家に帰ってきましたよ。そして、みんなまた学校に復帰しました。1級先輩の人たちも一緒に勉強しました。予科練から帰ってきた人が多かったですね。あと1カ月早かったら特攻隊に行ってた、という連中もいました。

こんな話を見つけてくることができる。特定のテーマに絞られていない分、当時のいろいろな場所でいろいろな戦争とのかかわり方があったのだ、ということがよくわかる。また、戦争体験記は数多くあるが、その後の人生にどうかかわっているかまで書かれているものは多くないと思う。自分史から戦争体験を読むと、戦争も人生の一部であり、それがその後の人生にどう影響を与えているのか、ということを考えることもできる。これは他の文章ではなかなかできないことではないか。

また、それ以外のキーワード、例えば地域や職業で調べることも面白い。大阪で調べれば大阪を舞台に、それぞれの時代でそれぞれのドラマがある。自分の職業や、興味のある職業を調べてみる、なども面白いのではないか(もう少し掲載数を増やしますのでしばしお待ちを・・・)。

自分史でありつつも、そんな風にちょっとずつ斜め読みをしたり、横比較ができるところに、電子版の魅力はあると思う。これから少しずつ機能も加えて、さらに比較や抜粋をできるようにしていきたいと思っている。

要望などもあればぜひ気軽にコメントいただきたい。


神山晃男 株式会社こころみ 代表取締役社長 http://cocolomi.net/