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荘子と聞き上手

聞き上手の理想形が荘子の中にあった。

荘子

荘子は、紀元前300年ごろに活躍した、中国は宋という国の思想家。その前に生きた老子の言葉と合わせて「老荘思想」といわれ、道教の開祖の一人ともいわれる。ただ、どうやら荘子自身はそもそも自分を老子の後継者と思っていたわけでもなく、道教じたいも、後世の人々が老子を祖として祀って始めたようなので、あくまで荘子として、彼の残した文章を読むのが正しい向き合い方と思われる。

有名なところでいうと、「胡蝶の夢」の逸話など、寓話を用いて教えを説くのが得意なスタイルのようだ。また老子と違って政治から距離を置き、とにかく一個人としていかに心を自由にするのかこだわった思想家ともいえそうだ。

和して唱えず

そんな荘子の書物の中でもひときわ印象的なエピソードが、哀駘它(あいたいだ)という人物を紹介する話。始まりはこんな感じだ。

魯の哀公が孔子に聞く。『衛の国の哀駘它という男は、ひどく醜いらしいが、不思議なことに一緒に住むと男でも離れられなくなるらしいし、女などは彼を見ただけで「誰かの妻になるよりあの人の妾になりたい」なんて両親にねだる始末。そんな妾候補は十人単位じゃきかず、今も増えているらしいじゃないか。そしてどうも彼は、自分の考えなど主張することもなくただ相手の話に同調するだけ(和して唱えず)。人の死を救ってあげられる権力があるわけじゃなし、人の飢えを満たす財力があるわけでもない。ほんとに見た目も醜くて、知識だって国内のことに限られるらしい。こんなありさまなのに、多くの男女がその前に集まってくるのは、これはきっと常人と違ったところが彼にあるのだろう』

(玄侑宗久「荘子」NHKブックスより抜粋)

そしてこの哀公、結構すごいことに、この評判を聞いて実際に哀駘它を呼び、付き合いを始める。そうしたら1年もたたないうちに彼にほれ込んでしまい、宰相の座にまでつかせる。だが、彼はそれによって、哀公の元を去ってしまう。

なんとすごい話だ。相手の話に同調するだけで、宰相の座まで手に入れられるくらい、多くの男女に慕われるとは。原文ではこのところはこう書かれている。「今だかつてその唱うるを聞くものあらず、常に人に和するのみ」

自分の意見を言わずに、相手に合わせることだけをする、ということ。まさに聞き上手、傾聴の理想とするところではないか。2000年以上前から聞き上手が理想とされていたことに驚く。また、それだけ難しいことなのだろうとも思う。

なぜ宰相の座を去ったのか

しかし、それだけ慕われ、宰相の座までもらえるほど人に好かれるにも関わらず、そうした座に興味を示さないのはなぜか。荘子は、別の人物の例え話をつなげて、彼の才能が完璧だからだ、という。さらにこう説く。

生と死,所有と喪失,成功と失敗,貧困と富,有徳と悪徳,善と悪(飢えと渇き)暑さと寒さ──これらはすべて人間界での自然の推移に伴う事象の変化です。それは昼夜を分かたず生起し,それがいずこに起因するやは判りません。ですからもろもろの事象が自然の調和を乱しあるいは人の心の領域に侵入する,というようなことがあってはなりません。
 人は心安らかに世界との調和の中に生き,幸福にかげりはなく,昼となく夜となく創造物と春日の平安を享受すべきなのです。こうして人は引き続いて,己の中に季節折々の楽しみを生きていくのです。
 このように生きる人こそが,完璧な才能の人と言われるのでしょう

荘子の部屋より

万物のあるがままをよしとして、是認する、ということであろう。仏教の教える悟りに近い気がする。たぶん。そう考えると、あえて宰相という権力の座について我を通すことや、他人を無理に動かすことに価値を感じないということが腑に落ちる。

聞き上手は究極の人格

ある意味で、これこそ荘子が理想的な人格、徳のある聖人としての条件を純度高く説明しているものと言えるのだろう。つまり聞き上手を極めることが究極の人格を形作るということでもあり、逆にいえば人格を極めずには究極の聞き上手にはなれないということではないだろうか。

卑近な例を挙げれば、聞き上手が一番苦手なシチュエーションは、利害関係や感情的に近しい人の話を聞くことだ。例えば夫婦や親子といった、感情抜きに相手の話を聞くのが難しい相手。仕事の取引先との交渉など、利害が一致しておらず、自分の受け答えが自分の得失につながってしまう場合。こうしたシチュエーションでは、我欲が邪魔をして相手の言うことを受け入れたり、理解することが難しくなってしまうことがままある。そもそもすべてを受け入れるべきか、ということもある。

これこそ聞き上手の限界を示すものであり、こうしたシチュエーションにおいてすら自分の感情が動かされず、自分の利害に関するこだわりを一切持たずに話が聞ければ、それが完成された人格ということになるのではないか。

ここまでくると、聞き上手はコミュニケーションの技術の話ではなく、生き方のあり方となってくる。そのような道を進みたいとも思うが、一方で日暮れて道遠し、とも思う。

神山晃男 株式会社こころみ 代表取締役社長 http://cocolomi.net/