【クリスティを当時の刊行順に読む15】『愛の旋律』
クリスティが「メアリ・ウエストマコット」名義で書いた初めての著作。1930年刊行。音楽の天才の生涯を描いた大河小説。
別名義にした理由はミステリ作品を読みたい読者の期待を裏切らないようにとの配慮らしいのだが、それがなんだというくらいしっかりクリスティ要素の詰まっている作品だ。
情緒をしっかり打ちのめされているので今回の感想文は長い。
・『愛の旋律』なのか
なにが『愛の旋律』だよ!というのが読了の瞬間の率直な感想である。確かに音楽の天才が主人公だし様々なかたちの愛が描かれているけれど、どの愛もズタボロじゃねーか。
それもそのはずで原題は『Giant's bread』。愛でも旋律でもない。訳者解説によると巨人の糧、巨人を育むものといった意味あいらしい。
巨人とはなにか。
本作では天賦の才を指している。
ではその糧とは?
環境、友人、お金、愛。即ち天才の人生そのものだ。
ここで重要になるのは、本作の主人公・ヴァーノンは「音楽に捕らわれてしまった」と思っていること。
彼は人生の重大な局面で、①美しい故郷の古屋敷(アボッツ・ピュイサン)②最愛の女性(ネル)③音楽の3択をいつも迫られるのだ。
・美しい故郷か、最愛の人か、それとも音楽か
この三者択一の問題でヴァーノンは②最愛の女性・ネルを選ぶ。
2人の生活はとても幸せなものとして描かれるが、選ばなかったもののことを決して忘れてはいない。なにかある毎にふと考えてしまう。
しかもこれは選ばれた女性・ネルにとっても同じなのだ。
お互いがいれば幸せなのは事実だけど「お金がなくても僕がいれば幸せだろ?」と相手から言われると腹が立ってしまう複雑な心理。クリスティ先生はこれを書いちゃうんだものなぁ。
そして第一次世界大戦・ヴァーノン戦死の誤報をもってネルは再婚し、ヴァーノンは結局②も失ってしまう。
ネルの再婚相手がアボッツ・ピュイサンを購入してしまい①も失う。
しかしここで③音楽に没頭し才能が開花するかというとそうではない。
ここまで彼を支えてきた人を見殺し、周囲の信頼を完全に失ったタイミングで彼の中で音楽が鳴り出すのだ。鬼かな。
・大河小説、人生を書くということ
そもそもなぜ大河小説なのか。
一読者に作家の気持ちはもちろん知りようがないがそれまで刊行された作品との違いを考えてみる。
ミステリ小説にせよ冒険小説にせよ、登場人物の人生の限られた期間しか描写できない。どんな幼少期を送ったか、人生の岐路でどんなことに迷ったか。そういったことは殺人事件に直接関係しなければ基本的には文章にされない。
『牧師館の殺人』の犯人カップルだってセントメアリミード村で再会するまで紆余曲折があり想いの積み重ねがあったはずなのだ。その結果としての殺人だったはずなのだ。
大河小説はその紆余曲折ごと書ける。
『牧師館の殺人』の犯人カップルも、ヴァーノン・ネル夫妻も「芸術家」と「資産の心もとない美人」の組み合わせという点では共通している。
お金はなくとも最愛の人を選べば『愛の旋律』、愛ではなく生活を選べば『牧師館の殺人』になるのかもしれない。どちらも選ばなかった方を捨てきれないのだ。
・脇役の人生を歩んでいる人間はいない
人生を書いているだけに主人公ヴァーノンに関わる登場人物の数も多い。
幼少期に出てきたキャラクターが重要っぽい雰囲気だけを漂わせて後半全く出てこなかったりする。それもまた人生だ。
クリスティの人物描写力は登場人物に物語上の役割を感じさせない効果がある。
あくまで人生と人生が交差した部分のドラマを書いているのであって、書かれてなくても登場人物たちの人生は続いているよ、といったことを感じとれるのだ。
『スタイルズ荘の怪事件』からそうだったわけではないから、1930年時点までに鍛え上げられたものだと思う。
作中、最も人間くさい登場人物はネルだと思うが、ヴァーノンの母・マイラも捨てがたい。
マイラにとって良き母良き妻としてふるまうことが最優先事項であり、相手にも良き〇〇を求めるタイプ。そこに個人としての尊重はないのだから周囲の人間はたまったものではない。
夫・ウォルターがボーア戦争で戦死した際、決して夫婦仲が良かったわけではないのに「勇敢な夫の未亡人」という面に思い切り浸りドラマの主人公になれてしまう。
そんな訳で実兄以外の大抵のひとから嫌われているマイラだが、彼女の姪であるジョーは「ああだからこそ彼女は生きていけるのよ」と評価している。
それはそうかもしれない。
夫の不貞があろうと、そもそも資産目的の結婚でろうと、自分は幸せでいなくてはならないという意思がマイラは強い。現状を嘆いてばかりいるけれど彼女は精神的にタフだ。
この、1人の人間の多面性をいわゆる「キャラブレ」させずに書ききれるというのもものすごい技術だ。
・天才クリスティの1930年
1930年はクリスティにとって大きな区切りの年ではないかと思う。
戯曲を書いて(『ブラック・コーヒー』)、ミス・マープルの長編を書いて(『牧師館の殺人』)、大人向けの少しビターな作品を書いて(『謎のクイン氏』)、そしてこの『愛の旋律』を書いた。
ただ、新境地への挑戦をしただけではなくて、作品の質もそれまでのものから二段階くらいギアが上がっている気がする。『おしどり探偵』のような明るくてライトな雰囲気がちょっと懐かしい。
それはもしかしたら、離婚や失踪など、クリスティが苦悩の多かったであろう時期を乗り越え、平穏を得た頃だったからなのかもしれない。
実体験を作品に盛り込むタイプの作家が、「巨人(=傑作)のために自身の人生を喰らわす物語」を書いたということは、きっとクリスティにとって書くことはそういうことなんだろう。
愛していた人の心変わりも、記憶障害も、書くことに捕らわれてしまった以上作品の糧にする。
ものすごい胆力と覚悟だ。
アガサ・クリスティー著/中村妙子訳『愛の旋律』ハヤカワ文庫クリスティー文庫75早川書房 2004年