大人になってみると他愛のないことも、当時はなぜか受け入れられなかったということが往々にしてある。きっと誰にでも。
例えば、母親の作る弁当はいつも茶色だったという弁当にまつわるよくあるエピソード。母親の作るお惣菜はたいていどれも美味しい。わらびと厚揚げの煮つけ、糸こんにゃくとたらこの炒め、肉じゃが、にしんと大根の煮つけ…。作りなれているからか味のぶれもなく、安定したいつもの旨さ。メニューは多少違えど、どの家庭にもある母の味。
しかし、それらを弁当箱に入れたとたんに見た目が茶色で埋め尽くされた地味な弁当「地味弁(じみべん)」が誕生する。美味しいのは分かっているが、よその家のカラフルな弁当がうらやましい。思わずその地味弁を隠しながら食べた記憶があなたにもあるかもしれない。
当時を振り返り、作者はこう語っている。いつも迎えに来てくれていたおじいちゃんの愛を分かってはいるものの、軽トラという農作業に適した軽快に走る小さなトラックは年頃の女の子にとって「恥ずかしい」車だった。
作者はこう振り返っている。この冒頭でお分かりだろうか?小さい頃から大人になるまで時系列に時を辿っている。駅前で作者の帰りを待つおじいちゃんが、軽トラックの中で笑っているのが見える。どれだけ愛情深いおじいちゃんだったのかがここからうかがい知れる。随分と長い間、かわいい孫娘の送り迎えを続けていたおじいちゃん。
そして、先ほどの「恥ずかしかった」に続く。
母親の茶色い弁当しかり、このおじいちゃんの軽トラ送迎しかり、これらは大人になってから知る「得たくても得られないプライスレスな愛情」である。当時の恥ずかしいという気持ちの後ろめたさもあいまって胸の奥がチクッとする記憶の中の愛情。
この経験をしている人は今後の人生に何があっても、強く立ち向かっていけるくらいの大きな愛情をもらっているのではと、少し大げさな表現かもしれないがそう思う。
そして、最後の言葉。
この「ありがとう」には、目に見えない愛がたくさん詰まっている。
このブログでは、「あの人との、ひとり言」コンクールの入賞作品の中からランダムにチョイスした名作たちを紹介して参ります。作者の心情に寄り添ったり、自分もこういうことがあったなと思い出を探してみたり、コンクール応募のきっかけにもなれば幸いです。
ステキな作品に、どうぞ出会ってください。