カメ(青いデルタ)

青いデルタというお笑いトリオの一端を担っています

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最近の記事

顧問がきちんとルールを把握してなかったせいで、3年生で俺だけ部活の引退試合に出場できなかった話

ラグビー部は3年生の最後の大会が秋から始まる。 そのため高3になり周りが受験ムードの中でも我々は最後の大会に備えて夏合宿へと向かわなければならなかった。 しかし、僕はその夏合宿の初日で高校生活4度目の骨折を歓迎する。 練習試合中に脚を痛め、すぐに途中交代。 その場で絶対に折れていると確信できた。 4回目ともなるともはや、脚をひねる数秒前から“このままいけば折れそうかも”くらいの感覚がある。 上級生が少ない事もあったが一年生からレギュラーで出ていたし二年生からずっと副キャプ

    • ラーメン屋のバイト初日にラーメン以外の全メニューを作れるようになってしまい、自分の才能が怖くなって2日目にバイトとんだ話

      大学3年生の頃、ショッピングモール内のフードコート、その中の新規入店のラーメン屋でバイトを始めた。 志望動機は大学から近かった事と、オープニングスタッフという事。 既存のバイト先では、最初の転校生のように扱われる感じや、周りがバリバリ働く中で狼狽えるしかない劣等感が居心地を悪くさせる為あまり好きではない。 オープニングスタッフにはそれがないのが良い。 高1の1学期のような雰囲気でスタートラインも同じ。 ある程度自分がその関係性を築く事に着手できる為、大学生以降始めるバイトはオ

      • 父親がおっぱいアイスをめちゃくちゃねぶりながら食べてたから流石に注意した話

        おっぱいアイスというアイスをご存知だろうか? 形態としては無味無臭のゴムの中にバニラやチョコレートのアイスが詰まっており、先端の突先部分をハサミで切る事で、少しずつ中身のアイスが出てくる。 そしてゴムを押しながら、その突先部分を吸い出すという独特な食べ方と食感が楽しめる。 「ボンボン」「風船アイス」「たまごアイス」など色々な名称があるようだが、見た目と食べ方から「おっぱいアイス」という名称がより一般的かと思う。 実家近くにシャトレーゼがあった事もあり、我が家の冷凍庫には頻繁

        • 新卒内定0だった僕が、宅配便業者に就職したのち芸人を夢見て上京したけど未だに肉体労働から抜け出せていない話

          就活で40社以上落ち内定が0だった僕は、社会に必要とされていないんだと絶望を感じ、同じく社会に必要とされてなさそうな友達のワタコを芸人に誘った。 するとワタコが、就職は決まっていたものの社会に必要とされなくなるのも時間の問題であろうトミーと一緒にやろうと提案し、青いデルタは僕とトミーの大学卒業間近で結成された。(ワタコは浪人したので一年遅れ) 当時、僕らは養成所に通うつもりはなかった。 ワタコが大学4回生の間は夜行バスで東京に行き事務所のオーディションを受け、大学卒業のタイ

        顧問がきちんとルールを把握してなかったせいで、3年生で俺だけ部活の引退試合に出場できなかった話

          高校3年間で4回骨折して2回手術して15本ボルト入れて、いっぱい恋した話

          高1の夏、左腕。 高1の秋、左腕。 高2の冬、右脚。 高3の夏、左脚。 僕も例に漏れず、部活に恋に勉強にひたむきなシーブリーズの匂い漂う青春を過ごした。ギプスと松葉杖と共に。 はじめては高1の夏。 ラグビー部の試合中であった。 タックルを受け良からぬ方向についてしまった僕の左手首は、岡本太郎作品のようにねじれて折れ曲がっていた。 すぐに交代しベンチに下がった僕は救急車で近くの病院に搬送される事になった。 骨が折れると人間は発熱するらしく僕もすぐ寒気と吐き気を催した。 そん

          高校3年間で4回骨折して2回手術して15本ボルト入れて、いっぱい恋した話

          悪ふざけが過ぎてワタコを冷凍室に閉じ込めてしまい殺しかけた話

          21歳の夏、僕はワタコと一緒にとある温水プール施設でバイトをしていた。 そこは大阪では割と有名な大きい施設で、僕たちは夏限定の出店でハンバーガーやらお酒やらを売り、合法的に水着を眺めながら小銭を稼いでいた。 とある日。 店長に地下にある冷凍室からドリンク用の氷を取ってきて欲しいと頼まれた。 その冷凍室は施設内の全飲食店が兼用で使うもので、10畳くらいの広さがあり、棚には数多くの食品や氷が積み重なっていた。 僕とワタコはいつも通り談笑しながら地下へ向かう。 地下に到着し、

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          「明日までに五厘刈りにしないと野球部には入部させない」と言われて五厘刈りにした挙句、野球部に入部せず色々ややこしくなった話

          僕は野球が大好きだった。 小学校時代は地域の少年野球チームに所属し、中学は野球部ではなく隣の市にある硬式クラブチームに所属し中学生活の全てを野球に捧げた。 そのチームでは先輩も同期も含めほとんどが野球推薦で高校進学を決める上に、様々な地方へ野球留学する者も少なくなかった。 しかし僕は地元の公立高校へ進学した。 キャプテンを務めていた僕が公立へ進学する事はそのチームでは少し異例だったかもしれない。 けれど厳しいクラブチームかつキャプテンという重責から、僕は大好きな野球が大嫌

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