【読書日記】1/21 心のへこみの修復法。「雑草はなぜそこに生えているのか/稲垣栄洋」
雑草はなぜそこに生えているのか 弱さからの戦略
稲垣栄洋 著 ちくまプリマ―新書
今日は、気苦労の多い、心のささくれ立つ一日でした。
こういうときには、あちこちで聞き集め&読み集めた私用「杖ことば(※)」ストックの中からその時にちょうどいい言葉を引っ張り出して自分に言い聞かせます。
最近よく使っているのは「雑草は踏まれたら立ち上がらない」です。
雑草は、踏まれても踏まれても立ち上がる、とたくましさの例えによく使われますが、雑草生態学者の稲垣先生によると「雑草は踏まれたら立ち上がらない」のだそうです。雑草にとって大事なのは子孫を残すことであって踏まれても踏まれても立ち上がるのは無駄なエネルギーの浪費です。
しかし、「雑草は踏まれても踏まれても必ず花を咲かせて種子を残す」これが真の雑草魂なのだそうです。
なんだか色々なことが上手くいかなくて落ち込んでいるとき、自分の無力さに打ちひしがれるときには、「もう立ち上がらなくてもいいや、別の方法を探そう」と私的拡大解釈で使っています。
本書では、「雑草」と言われる「弱い」植物がどのような戦略で生き残っているかについて書いているのですが、自分の生き方を振り返って考えさせられることが多くあります。なお、1/19の日記でも書いた、「ナンバーワンとオンリーワン」についても本書に記載されています。
そして、「雑草」とは何か、という定義も色々と紹介されているのですが、それも面白いです。
アメリカ雑草学会の定義では「人類の活動と幸福・繁栄に対してこれに逆らったりこれを妨害したりするすべての植物」。そこまで言わなくても、という容赦のなさです。
一方で日本の辞書では「自然に生えるいろいろな草。また、名も知らない雑多な草」で「生命力・生活力が強いことのたとえ」と比較的好意的。
そして、アメリカの哲学者エマーソンの定義「雑草とは、いまだその価値を見出されていない植物である。」には希望がある。
ものの見方、心次第で自分には別の価値があるかもしれない、とぐたーっとへたれた気持ちが少し上向くのです。
※ 杖ことば:苦しみや不安に満ちた日常の中で、とことん落ち込んでしまうことなく、さりげなく手となり足となり、ささえてくれる言葉のことBy五木寛之氏