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【読書日記】6/12 雪の結晶のような。「詩と散策/ハン・ジョンウォン」

詩と散策
ハン・ジョンウォン 著 橋本智保 訳
書肆侃侃房

南の海に台風がいるから、町にはあたたかい海風が吹き込んで、潮のにおいとたっぷりの水気につつまれています。
そんな気だるいくらいになまあたたかい中で読んだのに、私の心の中に森へと続く雪の道と凍った川辺が浮かび、ひんやりと澄み切った風が頬を撫でていくようでした。

韓国の詩人、ハン・ジョンウォンさんのエッセイ。
詩を読み、散歩を愛し、そこにある光景に詩を見出す。
彼女は冬を愛する。その理由は雪。「白いから、清らかだから、静かだから、溶けるから、消えるから」雪が好き。

私は、温暖な土地で育ちました。だから、雪はめったにない贈り物と感じる一方で雪の積もる土地、冬の厳しい寒さにたいする恐れがあります。
かつて、たった一度だけスキー場に行きました。あたり一面の雪ですが、良いお天気で太陽は白い雪に反射して眩しいくらいでした。
わたしは、それに恐れをなしたのです。こんなにお日様が照っているのに、空気がこんなに冷え冷えとしてすこしも暖かくないのはなぜだろう、お日様のぬくもりはどこに消えてしまったのだろう、と。太陽の熱すらも吸い取って白く冷たく輝く雪ならば、私の命なぞあっという間に奪ってしまうだろう、と。

雪を愛する詩人と雪を敬して遠ざける私は心を通わせられるでしょうか。
ハン・ジョンウォンさんの歩みに合わせてみたこともない韓国の景色の中を行きました。
その途中で彼女は様々なものを拾っていく。「虫食い葉っぱ、木の実、木の皮、石ころ、貝殻」「風、水、羽根、落果がもたらす多彩な音。人がいたらその人たちの声も」と音や言葉も。
次第にちいさなものに詩を見出すその目と耳に心が寄り添っていくように感じられてきます。

本書の中の一篇「散策が詩になるとき」で、インディアンの少女が自分の家に来る道順を教えるその説明そのものが詩語であるといいます。

 垣根のある道を抜けたら、海と反対側の枯れ木のほうに来るの。そのうち、細い流れの川が見えてくるから。そしたらね、緑の木に囲まれるまで上流にむかって歩いてきて。太陽の沈むほうに、川の流れに沿って。そのうちぱっと道が開けて、平らな土地が見えてくるんだけど。そこがあたしんちよ。

詩と散策「散策が詩になるとき」よりインディアンの少女のことば

そして、ハン・ジョンウォンさんは、この詩語をたどって友の家にたどりつくその道行で互いに心を通わせるといいます。

あなたという目的地を入力して一気にたどり着くのではなく、途中、あれこれささやかな苦労や美しさを経て、それらのすべてが合わさったとき、はじめてあなたに辿り着ける。そんなプロセスがあったらいいのにと思う。

詩と散策「散策が詩になるとき」

本書を読むと、目的を達成するための効率性のみを重んずる必要はない、と素直に思えます。
共に行く人の歩調にあわせ、ゆっくりと道筋のあれやこれやを堪能しても良いのだ、と。

いつの間にか、遠く離れた土地に生きる詩人がとても近しいものに感じるようになりました。
私は、私の生きるこの南のまちでこのまちにある詩を見つけながら歩んでいこう、と思うのです。

この本に出合うきっかけとなった方に感謝を込めて。