【雑記R6】6/16 田植えの季節。田の神様をたずねて。
田の神様。
お国言葉で「タノカンサア」と呼ばれる石像で鹿児島・宮崎の一部に分布し、その数2000以上もあるといわれています。
五穀豊穣・子孫繁栄をもたらす「田の神様」
春になると山からやってきて稲作を守り、稔りの秋を見届けると山へお帰りになるとも。
私は、仕事の都合で県内あちこちに移動しますが、時間に余裕をもって出かけるので現地近くで時間調整が必要になることが多く、その時間を使ってその近くの田の神様をお訪ねしてみることにしました。
ですから、私がお会いできるのは移動ルートから大きく逸れないところにいらっしゃる田の神様に限定されるのですが、それでも様々な個性の神様にお会いできています。
また、不思議なことに、この辺りにいらっしゃるはず、と思っていても見つからないこともあります。
その時はお会いするご縁がなかったのだとあきらめることにしています。
私がお会いした田の神様をご紹介します。
1.蒲生町漆の田の神
像の高さが108cm,亨保3(1718)年。
頭にシキという、お米などを蒸す際にセイロとコメの間に敷くむしろのようなものをかぶり、上衣のそではタスキでくくり、長いはかまに立膝して、両手でメシゲ(しゃもじ)をななめにもっています。「農作業姿の神舞型」といわれるタイプです。
途中、車がすれ違えないのではないかと思う細い山道を抜けた先の静かな地域の道の脇に静かにたたずんでおられました。
鳥のさえずりと風の音が優しく田の神様を包み込み、テントウムシやカタツムリなどを侍らせて柔らかく微笑んで闖入者たる私を迎えてくださいました。
その静謐な雰囲気は、まだ、田植えには早い時期でしたから休息中だったからかもしれません。
この田の神様のやさしい微笑みに魅せられて、すっかり田の神様詣でが楽しみになってしまったのです。
2.錦江町役場の田の神様
錦江町役場の敷地にいらっしゃいます。
この田の神様の詳細はよくわからないのですが、全体的に赤みがかった石で、笠のようなシキのような被り物をしてすりこぎとメシゲ(しゃもじ)を持っています。
どこかであったことのある誰かのようなお顔が親しみやすいです。
3.入来町仲組の田の神
像の高さは71cm。宝永8(1711)年。
頭巾を肩までかぶり,僧侶の衣装をつけている地蔵菩薩の形をとった田の神様です。
交通量の多い道筋からほんの少し山の中に入っただけでほのぐらいうっそうとした山際の祠の中にいらっしゃいます。すぐそこに往来の激しい道があるというのにしんとしていて怖いくらいです。
両手と顔面は風化していて、表情はよく分からないのですが、少し前のめりになったようなお姿です。
台座に地蔵菩薩を表す梵字とともに刻印されている銘に「五穀成熟諸人快楽」つまり、豊作になって皆が楽しく幸せに暮らせますように、とあって、田の神様も人々と混じろうとしているのかな、と思っています。
4.隼人町宮内の田の神
像の高さが91cm。天明元(1781)年建立。
大きなシキに、右手にメシゲ(しゃもじ),左手には椀をもっています。
一説にはメシゲ(棒状のもの)は男性を、椀(丸い窪み)は女性を表し、五穀豊穣・子孫繁栄を祈念するのだとか。
今にも踊り出しそうな動的な勢いのある田の神様です。
鹿児島神宮の御神田の前にいらっしゃいます。
この時はお田植え祭りで、儀式用の幕がはられていました。
さあ、これから出番だ!という意気込んだお姿だったのかもしれません。
鹿児島神宮は海幸彦・山幸彦が祀られています。南九州は古事記伝承も多い土地柄で、これについては、また機会を改めて。
5.揖宿神社前田ノ神依代椋ノ木
田の神様だけど田の神像ではない田の神さま。
指宿市の揖宿神社前にいらっしゃる田の神様は、「ムクノキ」です。
「樹木に田の神が宿る」という田の神石像が作られる前の信仰のかたちを伝える珍しい事例といわれています。
揖宿神社も大きなクスノキが聳え立つのですが、このムクノキもご立派でした。
さて、田の神様とはなんでしょう。
私は、「田の神サアガイドブック」に記載されていたこの解釈が一番自分の中でしっくりきます
田の神様を実際に訪ね歩いて、その魅力のとりこになってきています。
また、折にふれて(出来れば、それだけを目的に尋ねていきたい)田の神様に会いに行きたいと思っています。
田植えがあちこちで始まりました。
日差しにぬくもった水をたたえた田んぼ やわらかく苗を迎え入れる泥 あめんぼが小さな水紋を描き、時折水面に低く飛ぶつばめの影が映る
尊い光景に自然に頭を垂れて手を合わせたくなるのです。