【読書日記】5/13 よく考える。「かんがえる子ども/安野光雅」
かんがえる子ども
著 安野光雅 福音館書店
「今日は午後から雨です。傘を持って出かけましょう」
「気温が下がります。暖かくしておでかけください」
何気なく流していた天気予報の際のこんなひとことが気になるようになったのは、本書を読んでからです。
安野光雅さん。旅の絵本シリーズをはじめ、多くの絵本を遺してくださいました。その安野さんによる「考える」ことを考えるための本。
安野さんは、天気予報では、予測される天気や気温など情報のみを伝えれば良い、といいます。
今日は、降水確率が高い。という予測があるならば、洗濯物は外に干さない方がよい、傘は、折り畳みで良いのか、ちゃんとした傘が良いのか、雨だけでなく強風と予報されているなら傘より合羽かな、などを考えて判断するのは聞いた人がすれば良いことだ、と。
「考えることをだれかに託してしまっている」ことが現代は増えているといいます。本来、普通に暮らすことは「考えること」であり、今のように暮らしのあれこれまで、別の誰かが考えてくれる、すなわち自分が「考えなくなっている」ことが問題である、と。
確かに、そうだなあ、と納得しました。
私も子供たちに「雨が降りそうだから、傘を持っていきなさい」とか「午後は暑くなるみたいだから脱ぎ着できる服にしなさい」など、断定的な物言いをしてきたなあ、と反省しています。
こういう時には、どういうことが起こりそうなのかを予測すること、それに対応するために何をしたらよいか、を一緒に考えてやらないといけなかったなあ、と。
見事に「指示待ち」に育っておりまして、「そのくらい自分で考えなさい!」とそのこと自体に腹を立てていたのですが、何のことはない、私の育て方の問題でありました。
他にも「旅の絵本」「もりの絵本」、以前にご紹介した「あいうえおの本」など、安野さんの本は絵だけのものが多くあります。
安野さんは、子どもが見て考えているそばから、隠し絵や絵の仕掛けを教えようとする親が多い、ということにも苦言を呈しています。
自分で発見するからこその喜びなのに、と。
私は、流石にこれに関してはわきまえて我慢しましたが、多くのことについて気長に見守るのは苦手な性質なので、反省しきりです。
さて、本書では、繰り返し「自分で考えることの大切さ」について語っているのですが、そのために「本を読む」ことの大切さについてこう書かれています。
私は、本を読むことが好きです。しかし、「自分で考える」ことにきちんとつなげて来られたか、というと不十分であると感じています。
自分が何かを考えるとき、どうしても「あの本にこう書いてあった」というように参考文献を探すようにしてかつて読んだ本の中に答えを求めてしまいます。
自分の中に蓄えた「考えのタネ」を育てて自分なりの思考の花を咲かせるようにしないとなあ、とさらに反省です。
他にも本書の中に私の中に蓄えておきたい「考えのタネ」がたくさんありました。その中から「かけっこ」についてのことばをご紹介しておきます。
かけっこが苦手だったかつての自分と、そしてそこだけはそっくり受け継いだ子供たちにかけてやりたい言葉です。