見出し画像

【読書日記R6】1/30 地方の読書家。「本売る日々/青山文平」

本売る日々
著 青山文平  文藝春秋

時はお江戸、文政5(1822)年、11代徳川家斉の時代。

「私」は本屋です。
松月堂平助。
黄表紙でも読み本でもなく「物之本」を扱う本屋です。

「物之本」とは何か。今でいうと専門書、学術書、実用書でしょうか。
平助は、本屋であっても「膝栗毛」も「八犬伝」も扱わず、仏書、漢籍、歌学書、儒学書、国学書、医書などに絞って商いをしています。

その商いの一環として、平助は月に1回、城下の店から村々へ行商に出ます。藩内の村の寺や手習所、名主の家を回るのです。

その行商先の村々で出会う本を愛し、本の知識を血肉として暮らす人々の3つの物語。

第一話「本売る日々」
平助の上の上得意先である小曾根村の名主・惣兵衛(御年71歳)は17歳の少女を後添えにもらったそうな。
着物や小物などに相当散財しているらしいから本に使うお金は無いかもしれない、などと下世話な噂話を聞いて恐る恐る出かけた平助に、惣兵衛は妻の喜びそうな本をみせてやってほしいと依頼します。
美しい絵がふんだんに使われた画譜(絵の教則本)を見た妻のとった行動に驚く平助でしたが、その妻に対する惣兵衛の対応が輪をかけて不可解なものでした。
さあ、どうする平助。

第二話「鬼に喰われた女」
平助の行商で回る地域に「八百比丘尼伝説」があるという。
人魚の肉を口にして不老不死になった伝説になぞらえられる不思議と、歌学を教える女性が自分を裏切った男に仕掛けた報復とは何か。

第三話「初めての開板」
平助の弟の娘は病を抱えている。
信頼できる医者を紹介してほしいという弟の頼みに応えて医師の評判を聞き歩くが、とある町医者の評判が二分していて実態がわからない。
医書の伝手をたどり、どこからみても名医と太鼓判を押される医師に件の町医の力量について意見を尋ねて得た真相は?
その過程で平助は念願だった「開板(自ら本を出版すること)」の糸口をつかみます。
さあ、それはどんな本なのか。

私は時代小説が好きですが、お江戸の町人(+奉行所)や、武士(江戸城内+藩)の物語が多く「村」が舞台の物語は少なかったような気がします。

村を治める「名主」。
藩と村、武士と百姓、町民と村民、両者の間にあって双方の価値観の調整役となる難しい立場です。
そんな名主たちが知識を求め、精神の拠り所として物之本を求めるのも当然なのかもしれません。

本書に登場する本好きな名主の言葉をご紹介します

小曾根村の名主・惣兵衛がおばあちゃん猫のヤマを拾ってきたときの顛末。
猫嫌いだった惣兵衛が寒い日に山で死にかけていた子猫を拾い、おっかなびっくり連れて帰る際に肝心の猫はすっかり安心しきって眠りこけていたといいます。そのときの「小さく、ゆっくり上下している仔猫の白い腹」を思い浮かべると「いいじゃないか」と肩の力が抜けるようになった、と。
このエピソードで語りたい真意は皆の耳目を引いた孫のような妻との関係性でした。
そのあたりは本書で読んでいただきたい物語の勘所なので書きませんが、この惣兵衛さんにおきた心境の変化、仕事との向き合い方、村人との向き合い方、本の読み方の変化に共感しました。

いいじゃないか、いいじゃないかってやってるうちに、見えてなかった景色が見えてきたというか。細かいとこまでいちいち目を光らせてた頃はね、見ようとしたところだけは目いっぱい見てるけど、その外のところはなあんにも見てないんです。それですべて見えてる気になってるから始末にわるいし、仕事だけは前へ進んでも妙につまらなかった。景色が広がってみて、そうと知りました。本もそうです。読んでるようで読んでいなかったとこが読めてきて、ずっとおもしろくなりました。

惣兵衛さんは本好き

杉瀬村の名主・藤助が「国学」を学ぶ理由とはなにか。
藤助の屋敷は、7年前打ち毀しに会いました。高利貸しをしていたわけでもなく、名主とはいえ、百姓として生き、誠意をもって務めを果たしてきたのに当の百姓たちに鍬を振るわれて心身ともに折れた名主にとって国学は、幕府絶対の価値観とは別の価値観を示す「心に貼る、とびっきり能く効く膏薬」でした。

私の国学のなによりの効用は「これが唯一の現実」ではないのを実感させてくれることです。この現実だけじゃなく、他の現実もあることを信じさせてくれる。国学は古代を讃えますが、古代を讃えるということは、朝廷が治めていた時代を讃えるということです。つまりは、朝廷を讃えているのです。幕府が治める御代がずっとつづくのを露ほども疑ったことがなかったのに、あ、朝廷があったんだ、と気づかされた。浮遊感って言うんですかね、他にもあるって悟ったときの突き抜けたような感覚はいまでも鮮明に覚えています。あれで、板挟みの痛みが薄れた。なくなりはしないけれど、もう、ずいぶん小さくなった。言ってみれば私の国学は膏薬なんです。心に貼る、とびっきり能く効く膏薬

こんな膏薬を何枚か常備しておくと良い。

本を読むことは、多様な価値観を疑似体験することです。これしかない、と視野を狭くすることは息苦しさにつながります。
そういう意味では、自分の好みのものだけではなく、全く異なるものに挑戦することも自分の糧になるように思います。

そして、本書では、養生訓、群書類従、古事記伝など歴史の授業で習った江戸時代の学術書が多数出てきます。
これらの本がどのような人々に読まれていたのかについて、私は今まであまり考えたことがなかったのですが、そこに光をあててもらったところもこの本の魅力の一つでした。

最後に、平助がとある書斎を見せてもらって述べた感想が大好きです。

本たちが楽しんでいるので、私も余計に楽しくなりました。

なんて素敵な書斎でしょう

なぜ、本たちが楽しんでいるのか。
それは「本どうしが喋り合っているように」感じられたから。「いろんな顔ぶれが揃って」いるから話が弾むのだ、と。
年代も流派も様々に異なる本が一堂に会しているから、いくら語り合っても話題が尽きないから本どうしが楽しんでいるのだ、と。

本どうしが楽しんで話が弾む本棚。
一つのテーマで貫かれた一糸乱れぬ本棚も良いけれど、こういう賑やかに活気あふれる本棚も魅力的です。

さて、私の本棚は、どうかしら?縁あって我が家にお迎えした本たちが楽しんで過ごせるところならうれしいなあ。

この記事が参加している募集

読書感想文

歴史小説が好き