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【読書記録】7/11 夏子さんのどんぐり。「科学歳時記/寺田寅彦」

科学歳時記 
寺田寅彦 角川ソフィア文庫

梅雨末期の豪雨は、前線を北に南に揺らしながらしぶとく居座り大きな被害を出しています。
今日も晴れているかと思いきや大粒で容赦ない雷雨でもって襲い掛かってきました。
梅雨が明けて抜けるように青い夏の到来は、お預けなのかな、と空を見上げています。

そんな季節の巡りを感じながら、寺田寅彦の「科学歳時記」を読んでいます。
本書は、寺田寅彦の随筆のうち、季節を主題にしたものを39篇収録したものです。

物理学者にして夏目漱石の教え子でもあった寺田寅彦の随筆が私は好きです。対象を正確に観察する鋭いまなざしと細やかで穏やかな情の塩梅がちょうどよくて、端正なことばで紡がれる文章に温度があるとしたら「涼しさ」を感じるのです。

本書の中で特に好きなのが「団栗」「花物語」

「団栗」は、寅彦の妻、夏子がある年の瀬に肺病で血を吐くところから始まります。
出産を控えた妻の病状を見守る日々。
二月の暖かい日に植物園へ散歩に連れていくというと喜んで髪を整えようとする妻、その支度が遅いと急き立てて、結局泣かせてしまう寅彦。
それでもなんとか出かけて「人間の心が蒸発して霞になりそうな日だね」というくらいの良い天気。植物園を散策し、ふと夏子が目にとめた団栗。熱心に拾い、自分のハンケチいっぱいにして、さらに夫のハンケチも団栗でいっぱいに充たす。
そして、時が過ぎ、寅彦は、幼い娘を連れて植物園に来ている。
「大きい団栗、ちいちゃい団栗、みんな利口な団栗ちゃん」とでたらめうたをうたいながら喜んでいる妻の忘れ形見を見ている寅彦。

余はその罪のない横顔をじっと見入って、亡妻のあらゆる短所と長所、団栗のすきな事も折鶴の上手な事も、なんにも遺伝して差支えはないが、始めと終りの悲惨であった母の運命だけは、この児に繰り返させたくないものだと、しみじみそう思ったのである。

寺田寅彦「団栗」

寒い冬の庭の眺め、身重にもかかわらず当時は死病といわれた肺病におかされていく妻の不安な様子、弱い冬の光に包まれた植物園。そして、亡き母の面影のある団栗と戯れる幼子。
俳句は心情を述べるのではなく、情景を描写することで思いを表すといいますが、寺田寅彦の随筆は、俳句のような文章だと思います。
感情語はほぼ無いのに、哀しみと愛おしさが胸に迫ってくるのです。

もうひとつの「花物語」は、主に少年・青年時代の思い出を「昼顔」「月見草」「栗の花」「凌霄花」「芭蕉の花」「野薔薇」「常山の花」「竜胆花」「楝の花」に託して語っている郷愁を感じさせる連作集です。

なかでも私が好きなのは「常山の花」
昆虫採集に夢中になっていた寅彦少年。
茂みの奥の桃色の花が梢を一面に覆った大きな常山木。この木で見つけた立派な兜虫。
喜んで虫かごに入れて帰る途中、町の良い家の妻女らしき美しい蝙蝠傘を差した子連れの女性に出会います。
大きな麦藁帽をかぶった幼い子供は、虫かごの中の兜虫を見つけ、寅彦少年から離れようとしません。母親が叱ってもしゃがみこんで泣き出す始末。
寅彦少年は兜虫を道端の相撲取草で結わえて子供に渡してやり、空っぽの虫かごを振りながら駆け出します。

暑いのは閉口ですが、こんな少年の夏はなんだか、あまずっぱくて良い光景だなあ、と思うのです。