すずめの戸締まりの主人公の名字は何故「岩戸」なのか(ネタバレ注意)
すずめの戸締まり、公開初日に観てきました。
私は小説版を先に読んでいましたのでほぼ展開も知っており、セリフの一つ一つに「進研ゼミでやったところだ!」みたいな喜びがあったのですが、動くダイジンの存在によって思っていたより猫映画になっていました。
ただすでにアナウンスされている通り、主題は震災の話です。
映画館で警報が何度も鳴り響くので、まだ恐怖心や抵抗がある方は無理してまで観ない方がいいのかな……と思います。
あの日、日本中が感じていた不安を呼び起こすような、もう取り戻せないものの存在を叩きつけてくるような、そんな映画ですが、それを飛び越えるほどのエールを送ってくれる作品でもあります。
震災を大きく扱うことへの新海監督の覚悟のようなものがヒシヒシと伝わってきて、後半はずっと圧倒されていました。
ここから先はネタバレ込みの感想ですので、観賞後もしくは自己判断でお読み下さい。
まず私が今回小説版を先に読んでいたのは、「君の名は」「天気の子」にも感じられた震災の影響を、新海誠監督がどうやら「すずめの戸締まり」では本格的に描くらしい予感があったのと、主人公の名前である「岩戸鈴芽」が気になったからです。
特に気になったのは名字の「岩戸」です。
岩戸から連想するものといえば「天岩戸神話」でしょう。
太陽の神、天照大神がお隠れになったあの岩戸です。
しかし作品のタイトルは「戸締まり」で、後ろ戸を閉じる話。天岩戸神話は岩戸を「開く」話です。
この食い違いが気になったのと、主人公にこの名字がついているということは巫女さんの家系とかなのかな?と思ったんですよね。新海監督の好きな要素だよなあと思ったので。
結果的に主人公の鈴芽ちゃんは普通の家庭の生まれで、そういった血筋みたいなものはありませんでした。
血筋が関係あったのは閉じ師である草太さんのほうです。
では何故名字にわざわざ「岩戸」を選んだのだろう……と小説版を読んでからも映画を観てからも考えていたのですが、私が出した結論としては、
※この先は本当にネタバレなのでご注意下さい
3.11の日記帳を真っ黒に塗りつぶしていた幼い頃の鈴芽ちゃんが、後ろ戸(岩戸)を開いた先で出会った光(天照大神)が、未来の自分だから、じゃないかなあと思いました。
最初は「すずめ」という名前から岩戸の前で踊ったアメノウズメとの関連を考えていたのですが、小説と映画を通して観たらそう感じてしまいました。
まだ監督のインタビューとか他の方の考察とかちゃんと読んでいない状態なので、これはあくまで私の感想です。
今作は鈴芽ちゃんと草太さんのボーイ・ミーツ・ガールであり、ミミズを封じる為には二人の力が必要だったけれど、鈴芽ちゃんが過去の記憶と向き合う為、未来を生きていく為に必要だったのは、あくまで自分自身、「すずめの明日」だったんですよね。
私は新海誠監督のボーイ・ミーツ・ガールの最高傑作は「天気の子」だよ派の人間です。
今作では草太さんが初期案では女性だったという話もあるそうですし、新海監督はすでにボーイ・ミーツ・ガールとは違う関係に焦点を当てた作品を作りたい気持ちがあるのでは……とも思いました。私の願望込みですが。
「すずめの戸締まり」でとても魅力的に描かれていたキャラクターの一人に、震災で母を亡くした鈴芽ちゃんを引き取り育てていた環さんという女性がいます。
彼女は鈴芽ちゃんのお母さんの妹なので、彼女も震災で大事な家族を亡くしているんですよね。
そしてまだ若かった時期に小さな鈴芽ちゃんを引き取り育て、毎日凝ったお弁当を作り、しかし思春期に入った鈴芽ちゃんからはそれを「重い」と言われ……そんなん普通に泣いてしまうのですが……。
草太さんの友人である芹澤さんの車で故郷に向かう途中、サダイジンに乗っ取られた(?)環さんと鈴芽ちゃんとの口論が小説版では一番心に残ったシーンでした。
ここでの「環さんが言ったんだよ! うちの子になれって!」「そんなの覚えちょらん!」がやがて鈴芽ちゃんにはダイジンとのやりとりで跳ね返ってくることになります。
ダイジンも鈴芽の子に、要石ではない「誰かの家族=うちの子」に、なりたかったんだよね……。
サダイジンが現れてからは大きいネコチャンと小さいネコチャンのイチャイチャが始まるので、猫好きとしてはたまらないものがありましたが、あれもずっと離れて要石としての役割を果たしていた兄弟猫(?)のつかの間の再会だったのだと思うと切なくなってしまう。
話が逸れましたが、小説版を読んだとき、今回は鈴芽ちゃんと環さんの関係にもっと焦点を当てて欲しかったなあと思ったんです。この二人の生活描写がもっと読みたかったという気持ちがあったので。
映画を観たら圧倒的な映像美と壮大な音楽、そして声の演技で台詞の印象が少し変わってきたので、その気持ちはわりと薄れましたが。
「君の名は」でも私は奥寺先輩が好きだったので、新海監督の描く大人の女性が好きなのかもしれません。
あと印象的だったのは、ジブリ映画へのリスペクト。
ダイジンを追うSNS画面での「耳すま」(=耳をすませば)という単語、芹澤さんがオープンカーで流すルージュの伝言、魔女の宅急便以外の映画で聞くのは不思議な感覚でした。
そして閉じ師である草太さんが鍵を閉める際に口にする「お返し申す!」は、もののけ姫でのアシタカの「人の手で返したい」に通じるものがあるのかな、と思いました。
これらは全部いま現在の私の感想なので、見当外れでしたらすみません。
「すずめの戸締まり」が新海誠監督の「集大成にして最高傑作」であるというキャッチコピーには何の間違いもなく、本当に、素晴らしい映画でした。上映期間中にまた観に行きたいと思います。
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