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連続していく学び、言葉の海

 大学生になって、やっとのこさ「学び」を実感できるようになった。
 自分の性格ゆえに、なかなか気のおけない友人と出会うことはできなかったが、講義は楽しかったし、課題は大変でも達成感があった。我ながら、満足できるものを形にするという過程が楽しい。それ相応の評価をしてもらえるのも嬉しい。専門の方の先生方には良くしていただいているし、「あぁ、ここに来てよかったな」と思えることが多い。もちろん不満もあるが、それよりも、ここで成長していきたいという気持ちのほうが強い。長いスパンで考えて「ここで成長して、今抱いている不満を解消すること」まで想像できているのだから、成長したものだ。
 何かを丸暗記すると言うよりも、アウトプット中心のクリエイティブな課題が多いことも自分に合っているのかもしれない。誰がなんと言おうと、例えば学歴マウントに遭っても、それを跳ね返せる自信がある。もちろん、もっともっとやりたいことが沢山あるのだけど。

遊びに行くっていうか、勉強しに行くっていうか

 そんな自分にも、まぁなんというか、新しく友人と呼べる人物ができた。いや、本人に確認を取っていないのでわからない…。ゴチャゴチャと言い訳がましく言おうと思えばいくらでも言えるが、便宜上友人としよう。
 気がついたら大学3回生。あと2年も同じ敷地内で過ごす時間はないのだが、それでも色々楽しいことをしている。
 本当に、大学生としてどうなんだという感じだが、この前初めて授業後にご飯を食べに行った。控えめに言って自分、根暗すぎないか?
 友人とは趣味が合ったり、合わなかったりする。自分にとっては、「合わない」とはっきりわかることがありがたかった。誰かに趣味を話すときに1から10まで解説して、「そんな世界があるんだ~」という程度で終わってしまうことがほとんどだったから。「そういうのはあんまり好きじゃないな」とか「こういうのが苦手だから」とか、嫌いなものでも要点を押さえてはっきり言ってくれるのは本当にありがたい。
 学生という立場上、友人というのが最適なのだろうが、「同僚」という感じもする。一緒に仕事をしてちょうどよい関係性なのだと思う。様々にぶつかり合うこともあれど、譲歩し合ったり納得したりして、任務を遂行するのにちょうどよい関係。仕事する上では自分の意見を押し殺していては前進しないし、意見を交わすことが口喧嘩にならないような関係。友人がどう思っているかはしらないが…。
 夏休みに入ったが、なんだかんだ週に一回くらいは会う約束がある。全体的に授業みたいな内容で出掛ける。自分もそういう、目的があるのが好きだから、友人は体験学習みたいな機会があると誘ってくれるんだろうな。それは同じことを学んできて、共通している知識があるからこそ成立する楽しみというか、学びを通して楽しいと感じられるってとてもいいなと思う。まだ自分から誘うってことはあんまりなくて、自分が誘ったことに対して楽しいと思ってもらえているかを不安に思う経験がないから気が楽なのかもしれないけど、それでも互いに確実に楽しいと思えている自信がある。ま、まぁ、それなりにちゃんとしたところに行っているからな、というところもある。何処かへ行くときの、場所のチョイス、質の高さというのはマストだ。

東大900番講堂講義

 友人とは何かと共通点も多い。好奇心が強め、というところが一緒だからこそ、上手くいっているのかなと感じることも多い。
 ふとした会話中に、友人もオザケンが好きだということがわかった。即座に去年ライブに行った話をしてしまったのは大人気なかったな。去年もらったステッカーもあげた。ちゃんと布教用に沢山もらっていたから、くださった方に伝えたい。言われたとおり、同志に渡しましたよ、と。
 そんな会話をしたのが、たしか7月の第一木曜日だっただろうか。学生って、時間割があるから、いつ何の話をしたのか記憶しやすい。
 東大900番講堂講義のことも、そのときに話した。どうしても参加できない理由があって、友人は申し込みをしなかったのだが、行けたら話聞かせてね、というエールをもらった。どうしても参加できない理由というのは自分も他人事ではなく、2週間予定がズレてたら行けなかったし、友人の分まで頑張ろうというか、絶対に行かねばという思いで作文の執筆にあたった。締め切りギリギリに作文を提出すると、講義に行けなかったらどうしようという気持ちで見返すこと無く今日まで来てしまった。いや、もちろん書き上げてから見直しはしたつもりだったけど。さっき読み返したら誤字のオンパレードで、普段の課題はこんな酷くないよと自分に引いてしまった。
 
 夢を見た。
 メールを確認する夢だ。
 講義への出席は、メールをもって確認できるとのことだった。7月下旬から8月上旬の間にメールが来るらしかった。だから、結構ヒヤヒヤしていた。とりあえず、大学の課題に集中しようと気を引き締めていたのだが、メールを確認しては「ダメだったのでは?」という焦りを感じた。迷惑メールも見て、何も来ていない…と密かに肩を落としていた。
 ところが今朝、Outlookを確認してメールが来ている夢を見た。「行ける!やっぱり行ける!」と思って、もう一度確認して、そのメールが見当たらなくなるという夢。けっこうあるあるじゃないですか?読みたいメールが行方不明になる夢って。
 ボヤボヤと目が醒めて、Twitter…ことXを眺めていると、講義に出席できる旨のツイートが目に入った。そういえば、現実世界の自分はまだ確認していないじゃないか、夢の中ではメールを読んだが。そう思ってOutlookを開くと、迷惑メールフォルダに一件のメールが…。(結構すぐ迷惑メールに入っちゃうの、あれなんでだろうね。マイクロソフトからのメールも迷惑メールに入ってたことあるし。)正直、「あぁ、やっぱりだ…!」と思っている自分がいた。
 メールを開いて、実感が湧いた。本当の意味で目が醒めた。次の瞬間には泣いていた。仕事へ向かう前の母に向かって、早口でまくし立てていた。
 出席できます、という旨のメールを返信し、更に実感が湧いていた。何を着ていこうとか、友人にどう言おうとか。
 メール自体は一昨日届いていたようだが、ちょうど大学の課題を出し終えたあとだったので、完全におやすみモードだった。昨日丸一日も、完全なる夏休みにボーっとしてしまっていた。

とにかくワーっと書きなぐりたかった

 未だに興奮が冷めやらぬ。
 嘘みたいだ、ということはない。我こそが!という気持ちがなかったこともないからだ。作文の文章は稚拙だったが、思いはきっと届くと思っていた。
 なんだか、気持ちがワナワナして、なにかしたいけど何をすればいいかわからないあの感じ。だからこうやって文字を綴っている。
 とりあえず、当日何を着ていこうか考えるのがベストだと思って考えていた。たまたま衣装を製作する機会があるし、作ってしまおうと思って型紙を探したりした。

学びが学びを引き出している

 大学に入ってからの学びは、今までよりずっと楽しい。勉強が嫌い、というわけでもなかったが、本当に自分の興味のあることを学ぶってこんなに楽しいのか、という実感がある。
 学びが連なる感じがある。課題というと、ほとんどが文字情報なのだが、文字がうなっている感じがする。
 自分自身、言いたいことがたくさんある。沢山ありすぎてまとまらなくて、伝わらないことも多い。それをむりやりにでも整理して、できるだけ相手に伝えようとする姿勢が難しい。筋肉痛になるとか、そういう感じでむずい。だけど、それを積み重ねることで、相手との距離感を見つけたり、届いたという実感を得たりしたいる。
 
 とりあえず今日はこのくらいにして、また何かあったら書き殴ろうかな。


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