乳児期(0-1歳)は基礎工事 ー「希望」を手にするときー

画像1

「この子、ほとんど話さないし、笑わないんですよね」

そう言われて施設職員に連れられて診療所にやってきたのは、2歳になったばかりの女の子。彼女は、生まれてからずっと両親のネグレクト(育児放棄)を受け、1歳を過ぎてから施設に保護されました。

このようなお子さんと接すると、生まれてくる環境を選べない子どもの不運を本当に恨めしく思います。しかし、虐待を選択せざるを得なかった両親の心や環境を考えると、それはそれで辛くもあります。

1歳までの時期は「世の中に対して“希望”を持つか、否か」の大切な時期です。人格の基礎を作るとても大切な時期で、建物でいうと基礎工事にあたります。これがないと、いかに立派な建物が建っても、不安定です。

以前発達理論を紹介しました。

今回は各論として「0-1歳乳児期に起こること」について述べていきます。

乳児期の環境 エントレインメンとアタッチメント

生まれたての乳児は、自分のことを自分でできません。お腹が空いたり、暑かったり、どこかが痛くても、自分で取り除くことはできず、他者の助けが必要です。辛ければ、声を限りに泣いて他者の救いを求め、他者の手に生きる全てを委ねます。身近な親の存在、特に母親はこの時期重要です。

赤ちゃんはその中で母親の存在を五感で感じ、安心感を得ます。肌を触れ合う「接触感覚」、見つめ合う「視覚」、母親の少し甲高い声をきく「聴覚」、母乳をはじめとした匂いを感じる「嗅覚」など。

母親にとっても子どもからもたらされる五感はとても心地よいものです。赤ちゃんと接触はオキシトシンの分泌を促し、リラックスの効果が得られるとされています。赤ちゃんの独特な甘くていい匂い(皮脂の匂いとされていますが)は思わず抱きかかえたくなってしまいます。

母と子のお互いの五感を通じてのやりとりは、「エントレインメント(母子相互作用)」と表現されます。そこには、空腹時に母乳を飲むことによる満腹感や、寒い時に温めてもらい心地よい温度を感じることなど、欠乏→充足の相互作用も含まれます。

エントレイメントによる同調は、乳児に精神的な安らぎを与えます。「自分は守られている」「愛されている」「だから安心できる」という思いです。これは母子間の愛着形成(アタッチメント)と言われます。

乳児期の課題 基本的信頼感vs不信感

エントレイメントやそれによるアタッチメントにより、乳児は安心感を得ます。そして、自分の置かれた世界や、母親の与えてくれるものを信頼する気持ち、また与えられるものを不安なく取り入れている自己に対する信頼感が培われます。これを「基本的信頼感」と言います。

その一方で、自分の欲求が満たされない体験にも遭遇し、その時乳児は「不信の感覚」を覚えます。すなわち、乳児期の危機は、「基本的信頼感」と「不信感」の両者のせめぎあいです。ただ、これは不信を完全に取り去ることが必要あるというわけではありません。

不信感も時には重要です。例えば、人がある環境に入り込むとき、それがどれくらい信頼でき、どれくらい不信を抱かねばならないかを見分けられなければなりません。危険に対する準備態勢や不安の予期という意味で不信感を体得することは重要です。

だからといって不信感が強いと、自分に自信がなかったり、人が怖かったり、リラックスできなかったり、「良い子」を演じてしまったりとあまり好ましいことではありません。

大切なのは、「基本的信頼感」が「不信感」より優位であることです。その時に、乳児期の発達危機は解決されます。

希望という活力 待てる子どもに

母親や環境に対して信頼をすると、乳児は未来に対して「希望」を持つことができます。例えば、お腹が空いた時に、初めは不安ですぐに泣いて母乳を求めるかもしれませんが、泣けばすぐに母乳が与えられる行為を繰り返せば、お腹が多少空いてもきっと母乳が与えられるはずと希望を持つことができます。

希望を持つことで一番の行動に表れるのがその子が「待つ」ことができるかどうかです。未来に対して「必ず満たされる」という希望的観測を持っていれば、多少の欲求不満な状況があっても待つことができます。

一方で、母親が忙しすぎたり、気分にムラがあったり、情緒不安定で対応がバラバラになると、乳児は混乱します。「不信感」が増大し、その不安から、子どもは「待つこと」が難しくなってきます。

さいごに 親にとっての乳児期

いかがだったでしょうか。乳児期は「基本的信頼感」を得て、子どもが「希望」を持つために重要と述べました。乳児期は、親にとっても「子どもへの愛情を育む」重要な時期です。

人は動物より一年早く産まれてくるという「生理的早産」という考えがあります。動物学者のポルトマンが提唱した考えで、動物の新生児は自分で歩いたり、泳いだりできますが、人はそうではありません。人は胎内で一人前にならず、体外で一年間は人の助けを前提として無力のままに産まれます。

そのため、親は強制的に子どもにつきっきりになります。人は一生懸命投入したものほど、深く愛することができます。そう考えると、親の愛を育むためには、子どもが無力のままに産まれるのは非常に良いのかもしれません。

最後に愛の重要性についてうたった一節を紹介します。

人生で最も幸せを感じる瞬間というのは、
他人から「愛されている」もしくは、
「自分自身を愛すること」を実感できるとき。
もしくは、自分と同じように誰かを愛するとき。

 ー ヴィクトル・ユーゴー フランスの詩人 ー

最後まで読んでくださりありがとうございました!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?