医療者が「社会課題」を考える理由

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先日「健康格差」に関する講演会が家庭医向けに行われ、健康格差の背後にある「社会課題」に対し、医療者こそできることがたくさんあると思わされた。

日々現場だけでも忙しい医療者が「なぜ社会課題に?」と思うかもしれないが、医療現場には社会課題解決におけるたくさんの可能性が埋もれている。その可能性を引き出すも潰すも医療者次第だと思うと、とても重要な役割を医療者は担っているとさえ思った。

医師が「社会課題」を考える理由というテーマで綴ってみたい。

医療現場の「問題」の原風景

医療現場で仕事をしていると、テレビドラマにも勝る「自然なドラマ」が日々繰り広げられている。テレビドラマはオチが良い方向に落ち着くことが多いが、オチがないことなんて日常茶飯事である。(特定されないために事例の一部を改変)

事例1:別れようと思った矢先に子どもを授かり、生まれた子供が親からの虐待すれすれでありながらも、なんとか保健師や祖父母と協力して親から子どもを守る事例。

事例2:夫からの言葉による精神的虐待に日々耐え、その苦痛が全身の痛みとして現れ、床を日々を這うように生活する女性。

事例3:夫と離婚し、子どもも本人を見限り音信不通となり、親戚から縁を切られた上に、病気のため仕事をすることも難しくなり、生活保護の受給を受けながら日々生きていくことがやっとの女性。

事例4:退職後、仕事がないために介護が必要な母親の年金で生活しているが、田舎で車が生活において必須なため生活保護が受けれず、ぎりぎりの生活をしている男性。

例を挙げればもっとたくさんある。このような事例には、医療だけではもちろんうまくいかず、行政・福祉と連携しながらなんとか好転させようと日々診療(?)をしている。

「問題」をいかに「社会課題」と変換するか

医療現場はたくさんの問題を抱えた方が来られる場所だが、問題の原因を遡るとそれは個人の責任なんてものではなく、「社会の歪み」から生まれたのもであることが多い。

先ほどの事例も親からの虐待、親戚や地域との誤解を含めた関係性の悪化、自身や家族の突然の病気、災害など、「自己責任」とは言い切れない様々な原因がトリガーとなっていた。

視点を変えると、患者の問題は家族や社会システムの歪みの結果であり、問題が提起されやすい医療現場は、積もりに積もった歪みが流れ着く大海である。医療現場は「正統に悩みを相談できる場所」なので尚更である。

そう考えると、患者の目の前の問題を遡ると「社会課題」に行き着くことができる。

「社会課題」に向き合うにあたり医療者ができること

社会課題は「対策」より「発見」する方が難しいと落合陽一氏はいう。課題が解決しない理由の多くは、対策の方法が間違っているというよりは、原因の捉え違いだと。

原因を捉え違えないためにも、医療現場で日々起こる現実の問題の背後に思いを馳せ、遡ることが重要な役割を果たすと考える。特に、医療の「ゲートオープナー」である家庭医が問題を遡って生かすも、留めて潰すも家庭医次第のところがある。

医療現場で感じる問題の背後の社会課題にいかに気がつき、社会システムの良い変化へのフィードバックにつなげられるか。日々、思考停止に陥ることなく行なっていきたいし、社会課題に向き合っていきたいと思った。

最後まで読んでくださりありがとうございました!

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