京大2回生になって仮面生活を振り返る

プロフィール

【名前】アイス
【経歴】洛星高校→駿台予備学校京都校→早稲田大学先進理工学部応用物理学科→京都大学工学部工業化学科
【現学年】二浪の2回生
【休学】無し
【アルバイト】個人指導塾で講師
【サークル】無し

はじめに

 皆さん、こんにちは。ご無沙汰の人もいるかもしれません。昨年度も仮面浪人体験記を執筆させていただいたアイスと申します。今年も仮面浪人体験記を発行することになり、昨年度の改訂版を書くことにしました。
 改訂版と言いましても98%ほどは去年と同じ内容です。京大での学生生活が早くも2年目の終わりを迎えそうになっている今、仮面浪人した過去を振り返ってみようというスタンスで今年は書いています。仮面浪人体験記の主役は今年度入学した1回生なので僕の超長文を読むより1回生の文章を読んだ方が身近に感じると思います。1回生の仮面生活はコロナ禍の中でしたが僕はコロナ禍になるギリギリ前だったのでその辺も違うと思います。今回の僕の体験記は加筆した10章なので、そこだけを読んでも良いと思います。


1. 一浪時の受験終了から仮面浪人を決意するまでの流れ

 私の大学受験歴から書くことにしましょう。現役時は東京大学理科Ⅱ類(以下、東大)を受験し、一浪時は同志社大学理工学部電子工学科・早稲田大学先進理工学部応用物理学科(以下、応物)・東大理科Ⅰ類を受験しました。一浪しても東大に落ちた時はとても残念でしたが、浪人生活と試験本番に悔いはなかったので「自分は何度この大学を受験しても受からないだろうな。」という思いで未練は全くなかったです。しかし私立理系の授業料は年間175万円(国公立3年分以上)と非常に高額で、また東京での一人暮らしに関しても最低月10万円以上は必要です。3/10の合格発表以降、このような金銭的側面から私は時折早稲田入学を渋っていました。その後奨学金の話なども含めて両親と度々話をして早稲田入学を決めました。両親は「私立理系で一人暮らしは確かにお金がかかるが、受験をもう1度しても成功する保障など存在しないので大学生という身分に早くなって欲しい。」というのが本音だったでしょう。家族には感謝しかないです。それでも2年間東大を目指して勉強したけど叶わなかったという現実は辛いものがありましたし、仮面浪人という選択肢が入学式までに何度も頭の中をよぎりました。

 望んだ受験結果ではありませんでしたが、3月末には東京での大学生活を楽しみにしていました。4月初頭に学科ガイダンスがあり、ここで学科全員が一同に会します。応物の一般入試定員55人なのですが教室には110人ほどいました。内部進学の人と指定校推薦の人の多さに驚くと共に結構ショックを受けました。学科ガイダンスの数日後に入学式がありました。入学式の時はまだ少し複雑な気分で、隣の人と肩を組んで校歌を歌う時には少し涙が出そうになりましたが、私学の雄・早稲田の入学式は非常に盛大なものでした。父と母も少し複雑な面持ちではありましたが喜んで東京まで参加してくれました。入学式が終わった後に両親はすぐ京都へ帰ったのですが、別れ際に父が「元気でな。頑張れよ。」って言ってくれたのは忘れないです。

 私の在籍していた応物は留年率が3割ある学科でした。将来の留年が怖かった私は「高額な学費を払って貰っているので勉強を頑張らないといけない。」という思いからサークルに入る気にあまりなれませんでした。新歓にも参加していません(笑)。それでも週2回の個別指導のアルバイトと日々の勉強をこなし、友達とも仲良くしてもらえて充実した日々を過ごせていました。同学科の人が開いた代数論のゼミに参加したりもして大学の勉強を頑張ることにしていました(ちなみに難しくて全然わからなかったです笑)。『住めば都』という諺がありますがその通りでした。今思い出しても早稲田の人達と過ごした日々は大切な思い出です。このようにして前期は楽しく充実した日々を過ごしていたのですが私には1つだけ消えない不思議な感覚がずっとありました。『このキャンパスに4年間通う未来がどうしても見えない』という感覚です。

 前期が終わって夏休みに入り、誕生日を含んだ10日ほど帰省しました。僕が仮面浪人を真剣に考え始めたのは、この帰省期間でした。還暦を過ぎた父親が毎日本当に疲れて帰宅する様子を見て「学部卒まであと3年間以上も早稲田に通っていいのだろうか。」という思いになり始めました。私には高校生の弟がいたのですが、僕が東京の私立理系に通ったために弟には大学進学において様々な制約が生じることにもなっていました。3月頃と似た感情になっていた私は母親に少し相談し、母親も私の思いに一定の理解を示してくれました。このようなことを考えながらも高校同期と久しぶりに会ったりして帰省期間を過ごし、8月15日辺りに東京に戻ってからはバイト漬けの日々を過ごしました。母親とはほぼ毎日何らかのLINEをしていて25日辺りから奨学金の話をしていました。詳細な会話内容は明かせませんが話の流れから「じゃあ、もう一回受験してみたら?」と母親に言われ、私も勢いで「じゃあ仮面浪人するわ。」と答えました。これが27日のことでした。ノリと勢いで決めたような仮面浪人ですが、帰省した時から私の心は決まっていたように思います。家庭内の状況を事細かに書くことは出来ないので一部ぼやかして記述していますが、このようにして私は仮面浪人することを決意しました。ちなみに親との約束が2つあり、

でした。


2. 仮面浪人を決意してから第二回京大実戦まで

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メンバー8人の仮面浪人体験記と対談記事3本、特集記事「退学体験記-三次試験対策-」がまとめて読めるマガジンです。 ここでしか聞けない仮面浪…

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