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ベンチになりたい

夏の終わり、
ファミマ外のベンチに怠い体を委ね、
曇った空を見上げている。

ここ20年で一番"野心"のない瞬間。

昨晩は頭が痛くなって3時に目が覚めてしまい、薬を飲んだ。

そんな報告をしないと落ち着かない程に、油断した心。

こんなベンチで目を閉じたくなるほど、油断した心。

例えば、5つ投げかけて5つ返ってくると、
(そんなはずはない)
(義務的な対応)と思ってしまう。

5つ投げかけたら、3つ返ってくるくらいが安心で生きてきた。
5つ伝えたら3つ伝われば良い方だと思って生きてきたのに。

そんなに丁寧に扱われたら、耐性が弱くなってしまうよ。

真摯に愛される資格は、生まれたあの日に置いてきてしまったんだから。

でも今、
誰よりも見てほしくて
誰よりも聞いてほしくて
誰よりも知ってほしい。

愛されるためではなく、
愛するためにそう思える。

(誰かを、かもしれないし
自分を、かもしれない。)

抱えていた"野心"は、愛されるための道具だった。それはもう、捨ててしまおう。

初めて知った心の軽さに驚きながら、
初めて知った体の重さに親しみを覚える。

今を生きろと言いながら、
人は100年生きようとしている。
それでも、いいじゃない。

何てことのない街の中、ファミマのベンチは優しい。

このベンチみたいになりたいなぁ。

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