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[初産レポ]出産は覚悟しててもやっぱり壮絶だった・・・

あっという間に先月の話・・・8月28日。安倍元総理が「総理辞めます」宣言をしたまさにその日の朝、私は産気づきました。笑

コロナ禍なので立会いと入院中の面会は旦那さんのみ。面会は1日15分など縛りが多く、県外に住む義理の両親はもちろん、県内にいる実の両親にも産後最低1か月は会えません。

そんな環境でしたが、結果的には本陣痛が始まってから6時間で出産という「安産」だった私。でもしんどいものはしんどい。

ドラマできれいな女優さんが、必死だけどやっぱりかわいい顔で「ひーひーふー」って出産するシーンを思い浮かべていたから、まじでキツかった・・・人を産むって本当に壮絶でした。ましてや今年はコロナ禍での出産。この貴重な体験を忘れないように、将来我が子に語ってあげられるように記録してみます。よければ読んでいただけると嬉しいです。

出産予定日までの1週間

出産予定日は8月31日で、お医者さんからは「初産だし恐らくずれ込むでしょう。9月かもね」と言われていたので、ドキドキしながらも「まだ大丈夫だろう!」と食べたかったお寿司を食べに行ったり、テイクアウトを満喫したりしていました。笑 旦那さんは予定日1週間前からお休みをもらっていたので、いつ陣痛がきても大丈夫!な体制にはしていました。

8月28日早朝3:00 陣痛かも・・・?

朝方。なんか生理痛(重めの)のような痛み?鈍痛を感じ、目覚めました。この日は出産予定日前の最後の検診で病院に行く日。隣でグースカ眠る旦那さんの横で「もしかしたら前駆陣痛?」と感じつつも「いや陣痛ってこんなもんじゃないでしょ?!」とお腹をさすりながら過ごしていました。間隔を計ってみると1分間隔の時もあれば15分間隔の時もありました。

8月28日6:00 旦那さん起床

旦那さんが起床。お腹の痛みを伝えると心配そうに腰をさすってくれました。でもまだまだ平気な私。朝ごはんを作って食べて、だらだらしていると尿意があり、お手洗いへ。

8月28日7:00 おしるしキターーーーー!!!

お手洗いに行きビックリ!!!!これがあの世にいう「おしるし」なのか!!!およそ10か月生理がなかったのでおまたから血が出るだけで激しく動揺!!!すぐに旦那さんに伝え、念のため病院に連絡。

病院にTEL「すぐに来てください!」

病院に電話し、状況を伝えると「すぐに来てください」と言われました。「何分で来られますか?」の問いに本当は準備も含め40分はかかるけどパニックになっていたのか「20分で行けます!」って言っちゃい、焦りまくる。笑

8月28日朝8:00前 いざ病院へ!あれ?おさまった?

おしるしはあったけど、まだまだ余裕な私。車に乗ると不思議と痛みはマシになり「絶対1度帰宅して様子みましょう~」って帰されるね!と旦那さんと笑いながら病院へ移動します。自分でも「出産前のいい予行練習になったなぁ~!」なんて思ってました。

8月28日8:00頃 病院到着 入院準備へ

病院へ着くと助産師さんが出迎えてくれました。私の余裕そうな顔をみて、なんてない世間話をしながらお部屋へ案内してくれました。部屋へ入ると、パンツをお産用の産褥パンツに着替えて、入院着を着るように言われました。お腹にモニター(赤ちゃんの心拍と陣痛の程度が分かる機械)をつけると5分間隔で痛みが。ベッドに横になっていたのですがだんだんと痛みが強く、鈍くなってきているように感じました。旦那さんが水を買ってきてくれ、たまに飲みながら痛みと戦います。力の強い人に腰をぎゅ~って押されているような痛みでした。私の痛み度数でいうと25くらい。(MAX100

9:00 「お産は急激に進むかも」と予言される!

主治医が出勤し、内診。(おまたに手突っ込まれるやつ。痛い。)産道がめちゃくちゃ柔らかい!と驚かれる。初産でこれは珍しいみたい。また、私は妊娠前から体重がプラス2キロでのお産だったので、出産のコンディションが抜群らしく、「お産が急激に進むかも」と予言されました。この時点で子宮口1~2センチ。私の痛み度数は40くらい。

10:00 痛みが激しく! 余裕がなくなる・・・

徐々に痛みが激しくなり、痛み度数が45~50くらいに。陣痛の間隔も2~3分くらいになっていました。痛いのに、立ち会う旦那さんを和まそうとしてか、助産師さんが旦那さんにしきりに話しかけます。このころには私の意識は朦朧としてて、目もうつろ。痛みの度に旦那さんの手を握り「痛い~!!!!!!!」って叫んでる。なのに「県外出身なんやね~!」「え~優しいね~!奥さんのこと大好きなんやね~」みたいな声が聞こえてくる。正直「だまっとれ!!!!」って感じでした。笑 さらに旦那さんもへらへら笑いながら会話してる。「うざい!!!こちとらこんなに苦しんでるのにお前ら何へらへらしゃべってんねん!!!!どついたろか!!!(口悪くてすみませんw)」みたいなことをずっと思いつつ、耐えていました。

10:00過ぎ 陣痛促進剤を打つ決断を迫られる!

私は元々痛みに弱い体質で、このままずるずる陣痛の波が続く可能性があるので、陣痛促進剤を打って速度を早めたほうがいいのでは?とお医者さんに提案を受けました。痛みに弱い私がこのまま意識を保ちながら陣痛を耐えきるのは難しいかもしれない、という判断でした。

「痛い~~~~~!!!!!!」

って泣き叫ぶ(病院内が騒然としたそうで・・・)中

「赤ちゃんも頑張ってるの!赤ちゃんが息できなくなるから声はださないっ呼吸に集中!!!がんばりなさい!!」

と助産師さんに叱られる場面もありました。そして陣痛が来てない数分は死んだように意識が朦朧として私の脈も危うい状態だったようです・・・。

11:00頃 陣痛促進剤投与開始

投与を開始してしばらくすると、不規則な痛みの強さが増してきました。この時子宮口2~3センチ。(お医者さんが内診のために指を入れてくるのも痛すぎて失神レベルでした。)手を握ってくれている旦那さんの手が震えているのが伝わってきました。。

初めてみる私の姿に動揺しつつも必死に手を握り続けてくれているこの人に、元気な赤ちゃんを見せてあげなくちゃっ!とこの時気合いが入ったのを覚えています。

12:00頃 子宮口6センチに

この頃からお尻のあたりから何か出るような?間隔が何度か陣痛の度にあって(おまたから物体が出てくることなんて経験したことないのでうんちが出る時のような感覚に近い?って思いました。)そのたびに・・・

なんか出る!なんか出る!!!!!!痛い!!!

って叫んでは助産師さんに厳しく

呼吸!!!吸って吐いて~~~!!!

って言われる時間が続きました。

この時の痛みは大型トラックで何度も腰を轢かれているような、ブルドーザーで両腰を引き裂かれているような、、、感じでした。

14:42 誕生!

いよいよ我が子の誕生!踏ん張って!!!って言われて何度か踏ん張るとポンって感じで出てきてくれました!陣痛の時が痛み指数100なら、いざ産むときは70くらいに感じ、会陰切開の痛みも全く感じませんでした。赤ちゃんの産声を聞き一安心。赤ちゃんは別室でケアを受け、その間に後陣痛(胎盤などがでてくる陣痛)との闘い。でも呆然とした状態で乗り越えていました。。痛み指数MAXの100を経験するとその他の痛みが感じないのかなぁ。

15:00頃 会陰切開の縫合

もう痛みは大丈夫だ!なんて思ったのも束の間・・・会陰切開の縫合が痛すぎた!!!!チクっチクっと針で刺され、糸が通るのもしっかり感じてまたもや泣き叫んでいました・・・

またもや助産師さんに体をがっちりホールドされ、

息はいて!吐きなさい!!!!

って叱られながら耐えました。

するとケアをし終えた赤ちゃんが私の胸に。

生きててこんなに達成感と感動を感じたことはないってくらい。涙が止まりませんでした・・・

生まれてくれてありがとう。「陽向(ひなた)」と名付けた我が娘は、この記事執筆中の今私の左腕でぐっすり眠ってます。あと1週間で生後1カ月になります。

この子がもう少し大きくなった時に、この記事を読んだらなんて言うかな?「お母さん泣き叫んだの~?!恥ずかしい~!!」って言われるかな?笑

皆さんここまで読んでくださりありがとうございます。陽向と共に毎日子育ての勉強!頑張ります!

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