#選択の代償 第32話

おはようございます、#選択の代償、私、亀川がお送りしております。
ここまでで、改めて投資~起業(スタートアップ)~経営の流れがあっという間に駆け抜けたわけですが、投資≒資本となりますが、この『お金』がいかに魔物のような代物かお分かりいただけましたでしょうか?おそらくはもっと次元の高いところで、様々なマスコミや媒体等でいろんな情報発信や評論をされている方々とは異なり、実際に商売(ビジネス)を形成していくその実態は、かなり泥臭ささが伴い、経営者の力量なるものが大きく影響します。また、空中戦と地上戦という表現もあります。空中戦は、策略や情報の量と質が優先しますが、地上戦は、経験値と現場の対応力が求められます。事業において、経営が空中戦と言うのであれば、実務が地上戦という事でしょうか?いずれにしても、ここまでの流れで、多くの情報漏れや経験不足は明白です。
さて、本題に戻りますが、一応は未収の問題は解決したかのように思われましたが、そう簡単ではなかったですね。数回の入金の後に、先方から相談があるとの事で、別途打ち合わせを持つことになりました。
それは、現行の中古車査定システムを別の会社に提供したいとの申し出だったのです。その申し出そのものが、悪いのではないのですが、目的としては最後まで支払えないのでその代替案としてという事です。
いささかというか、こんなにもいい加減に物事をすり替えるのかという事になります。そしてその転売先が、Bシステムという会社だという事です。このBシステムは、元々車検業務をシステム化して、一般の整備工場をFC化していった経緯があります。しかし、このBシステムという会社の評判は、光物、青物と並ぶ生物扱いされており、あまりいい噂さえなかった企業です。当時から、中小企業向けの会計システムなども手掛けていたようで、その営業スタイルは、夜討ち・朝駈けでの強引なやり方で、契約するまで玄関先に座り込むほどとまでその話が伝わってきました。
よって、そんな会社がまともな取引相手になるわけがないと思いつつ、話を一応は聞きました。それも、例の某常務からの口添えでしたね。

日本企業における法人営業は、その大半が引合営業と言われています。つまり、全くの無の状態から、新たなシーズを育て、ニーズを顕在化させ、具体的な案件に至るまでの過程(プロセス)は非常に長く、ハードルが高いものです。これまでのこの会社の営業状況を振返ってみても、殆どが既存及び、紹介によるものであり全くの未取引の状態から新たな関係を構築するのは並大抵ではないです。それは、今回のケースも同じで、この会社にとっての未取引の相手は、そう簡単に『そうですか?』と乗れないのは当然です。
しかしながら、ここまでつぎ込んできた経営資源を無駄にするわけにもいきません。そこで、このBシステム社に向けての提案を整えました。
初回の提案では、非常に興味をしましたのは事実でした。

そして、二度目の打ち合わせにおいて、追加機能の要求があり、再度デモンストレーションとしての修正を加えたもので三度目の交渉に臨みます。それ以上は、具体的に受注という形でなければ、この案件は進められないはずでしたが、今度は完成版を持ってこいとの要求。
この時点で、この案件は先へ進めることは難しいと判断し、一旦保留としましたが、この時点で先の元々の発注元の池袋の会社が、債権放棄という形で、わずか2カ月でサイトの運営も含め撤退するという事態になります。この案件のスタートにおける自社内での大きな意味と価値が一瞬にして気泡になります。すると、アナログ制作部門のデザイナーが『ほら、やっぱり無理だったよね』と吐き捨てます。これには営業部門の担当者含め、この小さい組織の中での不満や不信が出てくることとなります。
そんな中、営業担当だった新井さんが、新規の案件になるかもしれないとの事で、新宿のある会社に同行して欲しいとの事で訪問しました。このF社は、同時期に立ち上げられたベンチャー企業でした。事業内容は、当時はやりの携帯電話の『着メロ』を提供する会社でした。その頃、様々なベンチャー企業の多くは携帯電話を活用したビジネスが、雨後の筍のように出てきていたことは確かです。その中には、こっそり、ダイヤルQ2の進化版の出会系サイトのも横行していました。いつの時代もそうですが、この手のビジネスは、一度ある程度のユーザーを捕まえると安定的に収益があるとの事でした。

このF社が出会い系サイトをやっているわけではなかったのですが、相談された内容は当時としては斬新だったのかもしれません。それは、新たなサイト構築をお願いしたいのだが、それにかかる初期投資の資金が無いので、レベニューシェア(成功報酬型の売上分配)型で付き合ってくれないかとの内容でした。
これには、ハッとしました。というのは、自分が初めて耳にしたことと同時に、このようなビジネスモデルがあるかと気づかされたことです。その場では、一旦話を預かることとしました。その後、新井さんとTさん交え、協議したのですが、その頃の経営状態では、かなり厳しいことになると判断し、その案件は見送りました。がしかし、この選択は大きな間違いだったとわかったのが、それから1年半後でした。僅か5年で株式の店頭公開まで上り詰めました。これには、今でも新井さんとは大きな誤算と判断ミスとして、笑い話になりました。
つまり、ある意味、当時のホントの事業と投資の関係性において、もしこの案件を投資として考えていたならば、資金の投下ではなく、地上戦における経験と対応力を身につけることができたかもしれません。投資とは、資金だけでない事に気づかされました。
この続きはまた次回、お聞き逃しなく

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