#選択の代償 第25話

おはようございます、#選択の代償、私、亀川がお送りしております。
段々このお話しも、泥沼も入り口ではなく、ズブズブの腰までつかった状態になってきました。(笑)
正直、自身で記憶を辿りながら当時の心境にフラッシュバックするような感覚さえありまして、お話ししながらどんどん落ち込みそうにもなるのですが、今この瞬間を感じていられるのは生きていてこそでもあり、周囲の人々が良くも悪くも私を生かしているのだろうと考えることにしています。少なからず、このような事実をお伝えすることがホントにいい事かどうか、未だ迷うところでもあります。
さて、本題に戻りますが、最初は1億円という大きな資金を動かしながら新規事業を進める当初の思いはいったん棚上げの状況となります。事業開始からわずか3か月でこれまでのような状況に一転しますが、それは私の立場でのことであって、スタッフはそれぞれ懸命に何かに取組んでいました。しかしながら営業的な成果はなかなか上がりません。そこへ、この話の最初の頃に登場した元光通信のXXX常務が突然やってきました。「調子は、どうだね?」とニコニコしながら聞いてきます。私は「ご覧の通りスタッフも頑張ってくれてます」と返すと。「今日は、ちょっと相談があるんだが・・・」と、私は『また、なんか胡散臭い話か?』と思いつつ、T氏と話を聞くことにしました。

その内容は、彼が別途金付け(資金調達)した企業でこれからの新しいインターネット上の仕組みを検討・企画してくれないか?という事でした。『おや、珍しくまともな話だな』と思いつつ、「はい、では一度お話を伺います」と後日、その会社に訪問することとなった。その会社は池袋にあり、私とT氏と営業担当との3名で訪問した。
その話の内容は、その企業は中古車販売業でこれまでの国内の流通だとタマ(中古車)は、全国各地のオークション会場で落札したものを仕入れて販売するというのが通例で、これにはイエローブックという中古車査定価格の相場リストみたいなものが存在している。これをデジタル化してネットで中古車査定ができれば仕入れが楽になり取扱いの幅も増えると見込めるというのである。現在ではそれはGooネットなどが有名だが当時は、まだどこもそんなシステムは稼働していなかった。
早速この話を持ち帰って、社内で検討を始めた。この検討の際にこれまで、アナログ制作部門とデジタル制作部門が全く別の仕事を進めており、融合することがなかったが、この件に関してはどちらか片方がというよりはチーム全体で進めるように指示した。そして、何度も検討会を重ねた結果、ある企画が出来上がった。それが、中古車査定サイトで、テキストデータだけの入力ではなく、ビジュアル的にマウスでチェックポイントをクリックすると、傷やへこみ、そのユニットの状態などの情報を入力できるものだった。そして、先のイエローブックをDB化して、査定金額をその場で試算する仕組である。この企画全体像は、結構いいものだったと今でも思う。

そして、先方への最終提案としての資料やそれをより具体的に見せれるデモサイトなどを準備し、プレゼンした結果、一発で採用された。見積金額は、紹介案件でもあったのでそんなに高い金額での提示ではなかったが、1千万円以下だったと記憶している。正式な受注が決まって、社内はある意味一つの方向性を見出した。
先ず、それまでのバラバラな仕事状況ではなく、同じベクトルで進めることが可能になった。そしてプロジェクトチームとして参加者がこぞってアイデアや意見を出し合い、その全体像にワクワク感が持てるようになっていった。そう、このようなプロジェクトの経験値が積み重なれば、なんとかなるかもしれないと期待が持てた。それからは、それぞれが毎日のようにアップデートミーティングを重ねていった。6月の受注から最初のアルファ版の納期まで2カ月以内で進んでいった。
これと並行して、先の資金調達が重くのしかかっていたが、自分もそのプロジェクトに参加したいのだが、この時点では守備範囲が違うと割り切り、ひたすら毎日のようにIRプレゼンを重ねていった。そんな中、間口氏から『相談がある』と言われ話を聞くと、MAIAから一緒に移籍した中の須藤氏はこのチームに不要なので、なんとかして欲しいというのである。ことによっては間口氏自身が、彼に解雇通告してもいいとまで言われ、『それはちょっと待ってくれ』といい、私が預かる形となった。ある意味、かばん持ち的なポジションだが、秘書ではない。そこで、彼と色々な話をした結果、私の影武者的な動きをしてもらう事となった。情報収集や資料の作成・編集等、財務データ以外の全て。

この時、須藤氏との信頼関係が少しずつ出来上がっていった。元々、全くの他人でなんの関係もなかった相手だが、様々な事を通してある意味この状況の中で唯一、愚痴れる相手だったのかもしれない。忘れもしないのが、ある日の昼休みに『ちょっと外が雨なんで、ここで一緒にタバコ吸ってもいいですか?』と部屋に入ってきた。もちろんと言いながらたわいのない話をしていた際に彼が『色々大変だろうけどその社長の役回りはあんたしかできないと思うよ。だから俺はあんたの代わりに毎日新聞読んどくし、業界動向なんかも集めるし陰になるから、何でもオーダーしてくれ』と言ってくれたことは、今でも生涯の中での財産の一つだと思っています。
そして、そのおかげで少しずつIRプレゼンの効果というか、結果が出始める兆しが出てきた。一方では、光ショックの余波は、日増しに強まることになっていった。ある企業投資部門にアポイントが取れ訪問した際に『光物と青物には手を出すなって巷の噂なんですよね・・・』と返された。光物とは、光通信だが青物とは・・・今でも話題になっているソフトバンクの事だった。これを聞いた時は『これは、一筋縄ではいかないな・・・』と痛感した。このエイペックスジャパンは光物の孫扱いされていたからである。
市場での噂というのはあっという間である。まさに八方ふさがりになりつつあった。
この続きはまた次回、お聞き逃しなく!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?