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ICUごはん

死にかけたことがある。2012年のことだ。

肺塞栓症というものになって、呼吸が出来なくなった。血液の塊が肺の血管に詰まったのだ。脳梗塞や心筋梗塞の仲間のようだ。

数日来、体調が悪かったが仕事に行こうと家を出て、すぐに倒れた。だが、有給休暇がもうない、どうしても出勤しなくては。
渾身の力で起き上がり、道路に出た。そこで完全に意識を失って倒れた。


次に気が付くと、若いビジネスマンが私を覗き込んでいた。

「救急車を呼びましょうか」

もう喋ることも出来ず、うなずいた。
救急車が到着したときには、目が見えなくなっていた。音はなんとか聞こえる。
だが意識が朦朧としてなにが起きているのか完全には把握出来ていない。

救急隊員が二人がかりで私の腕を左右から抱え、立ち上がらせようとしている。

「ほら、がんばって立って」

もう目が見えていないこと、喋ることも出来ないことを伝えるすべはない。救急隊員はもしかしたら、過呼吸の発作だと思っていたのかもしれない。

救急車に乗せられ、なにかの器具をいくつかつけられた。
そのうちの一つがパルスオキシメーターだったようだ。血中酸素飽和度を計測するとかいうやつだ。
おそらく、非常に低い数値だったのだろう。救急隊員の声色が変わった。救急受け入れ病院に連絡を取っている、その声の真剣みが先ほどとは違う。

やっと自分の状態を分かってもらえたと安心したら、また気が遠くなった。


目覚めると、病院のベッドの上でさまざまなコードに繋がれていた。広い部屋に大人数が集められて、ベッドごとに青いカーテンで仕切られている。看護師もたくさんいるが、話し声はほとんどしない。なるほど、ここは集中治療室ってやつか。

私には酸素マスクと点滴の管などが付けられて、だいぶ楽になっていた。
枕元に母がいて、泣きそうな顔をしていた。健康が一番の親孝行なんだなとぼんやり思った。

集中治療室、いわゆるICUには親族が一人だけ、短時間しか入れない。母はすぐに出て行き、私は生きていることを不思議に思った。
倒れたあと、小川と花畑と会いたかった人を見た。死にかけると、本当にそんなものを見るのかと思うと、少しおかしかった。

「聞こえますか」

うっすら目を開けた。いつの間にか眠っていたらしい。部屋のなかは相変わらず、しんとしていた。私の側に立っている看護師も低めた声で喋る。

「夕飯の時間ですが、どうしますか」

「食べます」

考える間もなく返事をしていた。酸素マスクをつけて、自力で体を起こすことも出来ないというのに、どんな食欲だ。自分で呆れた。

運ばれてきたトレーには、なかなかに量の多い白米と、とうふの澄まし汁と、なにかの卵とじなどという普通食がのせられていた。おかゆなんていう優しいものじゃない。

看護師はベッドを少し起こして、トレーを机に置いて去っていった。救急隊員が私を立たせようとしていたときの苛立ったような声を思い出す。世の中は、案外と病人に厳しい。

酸素マスクを外して、箸を取ろうとした。手が震えていて、なかなか握れない。握れたと思ったら、次は器を持ち上げることが難しい。
そのあたりで息苦しくなり、酸素マスクを付けた。

酸素マスクを付けたり外したりしながら、少しずつ食べ物を噛みしめた。白米は柔らかめで、汁ものもおかずも塩気が薄かった。それでも、ものすごく美味しかった。
意識がない時に見た小川も花畑も、どこか遠くに吹き飛んだ。ごはんは美味しい。美味しいのは幸せだ。私は今、幸せなんだな。

長い時間をかけた夕食が終わり、酸素マスクを付けた。
満腹で、呼吸が出来て、静かな部屋で眠ることが出来る。

明日の朝ご飯はなんだろう。楽しみに思いながら、目を閉じた。

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