見出し画像

十年前の熊本旅行記

 もう十年ちかく昔のことだ。
 週末を利用して熊本に旅行した。寒い日が続いていたので覚悟をしていたのだが、当日は小春日和。コートが邪魔なほどの陽気だった。

 熊本に旅行するといえば熊本城に突進するというのが私の中でのお決まりだ。熊本城をこよなく愛しているのだ。
 しかし今回は道連れがあり、連れのリクエストに答える形で水前寺公園に行くことになった。

 水前寺成趣園すいぜんじじょうじゅえんというのが正式名称のこの観光スポットは、桃山式回遊庭園だ。
 築山や浮石、芝生、松などの植木で東海道五十三次の景勝を模したといわれている。
 湧水が流れる優雅な泉水、瑞々しい若葉色が目に鮮やかな築山。いかにも水と森の都、熊本らしい。と、パンフレットに書いてあった。

 肥後藩のお殿様が作った庭園で、歴史は古い、敷地は広い、途中お抹茶休憩を挟んで、ゆっくり歩いて一時間。のんびりと過ごした。
 初めて聞く鳥の声が、のんびりをさらに後押ししていた。池にはスッポンがいたそうだが見つけることは出来なかった。冬眠していたのかもしれない。

 ぐるりと歩いて疲れたころにと親切から設置されたのか、無料休憩所があった。がらんと広く、ソファが置いてある。壁には熊本の歴史や歴代藩主の系譜など貼ってある。

 公園の歴史として白黒のフィルムで撮影された、昭和初期からの、公園内で行われた行事の写真が掲示されている。
 流鏑馬やぶさめ薪能たきぎのうの他にも、早起きして公園を歩く市民の集いや、その関係だろうか、大勢でラジオ体操をしている写真があった。

 そのラジオ体操の写真に違和感を感じ、じっくり観察すると、一人、動きが違っているのを見つけた。皆が左に体を倒しているなか、一人のおじさんだけが右に大きく手を伸ばしている。のびのびと溌剌と。
 画面の端、ぎりぎりのところに、たまたま写ってしまった様は心霊写真のようだ。偶然が捉えた一瞬の、何十年か前の小さな間違い。それがこうして現在目の前にあるという、ありえない光景。
 なにやら微笑ましくなり、しばし眺めた。

 公園の前には土産物屋がずらりと並ぶ。中国、台湾、韓国などの観光客が和柄のハンカチやくまモングッズに目を向けていた。土産物屋の呼び込みは片言の英語や中国語やらで、これもなんだか微笑ましい。

 ぶらりぶらりと冷やかして歩いていると、あちらの店からもこちらの店からも「にーはお」と声をかけられる。どうやら風体が日本人らしくないようで、プチ海外旅行気分を味わえた。まるで日本人ならみんなが左に体を傾けている中、私一人が右向け右と傾いているような。

 それは気恥しくもあるが、のびのびと自由にふるまっているという満足感を強く得られるものだった。
 日本人という枠から抜け出し、それでいて和風庭園の蘊蓄を大切に語れる、いいとこどりの人間になれたような。
 まあ、蘊蓄はパンフレットを読み上げただけなのだが。

 せっかくなので、声を出さず身ぶりだけで、くまモン印のお菓子を買って帰った。

 

#創作大賞2024 #エッセイ部門

執筆に必要な設備費にさせていただきたいです。