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読みやすい文章は「てにをは」から!

単語だけの会話はわかりやすい

国際化な毎日、英語で話しかけられて道を聞かれることも多いですよね。でも、ミーは英語わかりませーん。そんなときは単語です。

「Where is the US Consulate」と聞かれたとしましょう。私にはさっぱりわからない「US Consulate」という言葉。これをミーにも理解できる言葉に変えてもらいましょう。

「Address?」ほら、こう聞けば、相手は住所をつらつらと答えてくれる。あるいは、地図を見せたりするかもしれません。 言葉は短いほどわかりやすくなります。ちなみに、USなんとかは「アメリカ領事館」だそうです。

わかりにくい日本語はこんなのですかしら

「今日の朝、家を出たら犬は吠えてて、なにかと思ったんだけど遅刻だし、いいかっと走ってたら消防車の音を聞こえたから、あっと思って立ち止まろうかと思ったんだけどまあいっかってなって走ったんだけど遅刻したし帰ったらもう犬が吠えはないし、あたりまえだけど、がっかりした」

はい、これ。わかりにくいというか、頭悪い文章ですよね。私が書きました。まあ、それは置いておこう。 でもって、読みにくさの原因を、この文にいくつか仕込みました。

〇句読点の位置 〇「だけど」ばかりを繰り返す 〇意味もなく長文 〇てにをはがおかしい

では、句読点を読みやすく配置してみます。

「今日の朝、家を出たら犬は吠えてて、なにかと思ったんだけど、遅刻だし、いいかっと走ってたら、消防車の音を聞こえたから、あっと思って立ち止まろうかと思ったんだけど、まあいっかってなって走ったんだけど、遅刻したし。帰ったらもう犬が吠えはないし、あたりまえだけど。がっかりした」

しっちゃかめっちゃか。では、次「だけど」が多すぎ問題。

「今日の朝、家を出たら犬は吠えてて、なにかと思ったけど、遅刻だし、いいかっと走ってたら、消防車の音を聞こえたから、あっと思って立ち止まろうかと思った。けど、まあいっかってなって走った。でも遅刻したし。帰ったらもう犬が吠えはないし、あたりまえだけど。がっかりした」

で、まあ。もったいぶって無視してましたが、「てにをは」がおかしすぎる。変えましょう。

「今日の朝、家を出たら犬が吠えてて、なにかと思った。けど遅刻だし、いいかっと走ってたら、消防車の音が聞こえた。あっと思って立ち止まろうかとも思った。でも、まあやっぱり、いっかってなって走った。それなのに遅刻したし。帰ったらもう犬は吠えてないし、あたりまえだけど。がっかりした」

と、いうわけで。「てにをは」を無茶苦茶にした文章を書くのは難しいということが、よくわかりましたね。 ちなみに「てにをは」と言いますが、これは「て」と「に」と「を」と「は」だけのことではなく、助詞全般を差すそうです。 こういう語呂合わせを日本語文法の授業で教わりませんでしたか?「が・の・を・に・へ・と・より・から・で・や」これが全部、格助詞というもの。 助詞はもっとあるし、助動詞なんてのもある。 私は専門家ではないので、説明は割愛。『国文法・助詞』で検索したら、なにかわかるんじゃないですかね。やってみるのも一興かと。

どうやって文章上手になろうか

大切なことは「てにをは」が苦手なら、一文を短くすべし。ということ。 上記の私が書いた頭悪い文章、三つめは「てにをは」を変更するだけでなく、長い文を区切って短くしています。 文を短くするだけで、格段に読みやすくなるのは、単語だけの方が外国語でもわかりやすくなるのと同じです。 日本語だって、赤ちゃんにとっては知らない言語。単語から覚えていきます。 自分が日本語の大家だと思うのであれば、長文を。 「師匠、自分、まだまだっす!」という同志は私と共に短文を選択していきましょう。

「てにをは」の名手、團 伊玖磨

さて。ここで、とんでもない長文を見てみましょう。 團 伊玖磨さんのエッセイから引用します。

「この数字を見て、僕がはじめに感じた印象は、半生の間に、相当色々なものを食べてきたという自負心に対して、一寸この回数が少な過ぎるような気がした。」

はい、ここからです。

「何だ、あんなに色々な食事を一所懸命に食べて来たのに、未だたったの五万何千回だけしか飯を食った事がないのか、今迄に食べた数々の食事、遠足の御弁当の握り飯も、アルミニュームのぺこぺこの食器に盛られた兵隊の時の食事も、鰻も、鋤焼も、中華料理も、西洋料理も、何も彼も、そして、歩き歩いた国々での美味しかった、珍しかった料理も、全部が全部、五万数千回の食事の中に入ってしまうのか、そんな気がして、何だか寂しいような気持ちになった。」 (舌の上の散歩道 團 伊玖磨著 朝日新聞社発行)

なにもこんなに長文にしなくても良さそうなものですが、團 伊玖磨さんにとっては、文章のリズムや句読点の打ち方にこだわりがあり、このような仕儀になったのではないかと推察するばかりです。

長いな、と思いますが、特段読みにくいということもない。漢字表記が読みにくいのは時代のせいでありますね。初版は昭和五十四年ですもの。

長文にすればするほど、助詞をたくさん使わなければならなくなります。 のに・のか・の・も・が・て。同じ助詞を繰り返し使うことになりますが、團さんの文章は繰り返すことで幼稚になったりしません。 これはセンスの問題でしょう。 センスと言っても、生まれ持っての才能というわけではありません。前述しましたが、赤ちゃんは単語から言葉を覚えるのです。 あなたも、私も、團さんもスタート地点は同じです。 ということは、学習すれば誰でも上手に使えるようになる。言語とはそういうものなんですよね。

では、なにをすれば文章上手になるか

これ、じつは簡単なんです。

「リズムが良くて意味がよく通る人の話を聞いたり、そんな歌の歌詞を覚えたり、そんな文章を読んだりすること」

「自分にとってリズムが良く、意味がわかりやすい文とはなにかを日々探すこと」

「会話していて心地良い相手と、普段どんな文章をやりとりしているのか、それは他の人にも伝わるのか考えること」

入門編は絵本、童謡。 中級編は教科書にのっている文章。 上級編は手紙。

手紙。だれに宛ててもいいです。書いてみてください。文章が苦手なときには、とても書けなかったのに。 文章のリズムを体得したら、伝えたいことがスルスル出てきます。

では、実践!

近所の百貨店でパン博という催しものがあると新聞のチラシで知ったので、土曜の朝から並ぼうと思い早く寝たのだけれどなぜか寝坊したために、早足で駅に向かったのだが、目当ての電車は行ってしまい、会場に着いたときには長蛇の列で、諦めて帰った残念な朝でした。

以上です。

あれ! 手紙じゃないじゃない!?

私の文章修行はまだまだ終わりそうもありません。

一緒に頑張ってくれる同志、求!む!

執筆に必要な設備費にさせていただきたいです。