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❹ 国語1英語1だった私が50歳でニューヨークのコミュニティーカレッジを卒業し、現地採用された私が英語で日本語を教えるまでの道のり。

https://note.com/kamejiro2145/n/n952f4c82e86c

↑ーそのいちーのリンクです。お読み頂ければ幸いです。


 フランス語クラス 二日目、
 もう先生の名前は忘れてしまったが、絵に描いたようなフランス人男性だった。耳も襟足も隠れるくらいの長さで、栗色の綺麗なカールを活かしたヘアスタイルをしていた。ボルドー色のジャケット以外の洋服を着ていた記憶がない。中肉中背で田村正和がフランス人になったような感じの人だった。語学の先生にとても適した人だったと思う。ゆっくり大きな声で滑舌良く話してくれた。フランス留学後、2007年以降に行ったニューヨークでの語学学校の先生にはそんな親切に話してくれる人はいなかった。ニューヨーカーは話すのがとても速い。今このフランス語の先生に教えてもらったらきっと楽しく学べると思う。しかし、当時の私は根性、努力、勉強の方法を持ち合わせていなかった。授業に参加するのが辛かった。何を言っているかわからないクラスに居て、時々クラスメートと組みを作って会話の練習をするのが辛かった。時々先生が私を不憫に思って、英語で説明してくれるのだが、更にそれが分からない。1ヶ月が過ぎようとしていた時
「もう 止めよう。学校に行くのは無理。」
と思ってしまった。

 今考えれば、私がここまでフランス語の勉強ができなかった原因の一つに「英語を知らない。」があると思う。外資系ヘアサロンで接客していたのだから、旅行で困らない程度の英会話はできたが、英語の基礎が無く文法、文章の組み立て方を知らなかった。英語の過去完了の仕組みが分からず、フランス語の複合過去をフランス語で学ぶのは辛すぎた。日本語からフランス語は遠すぎる。

 そういう訳でフランス語学学校に行くのを辞めてしまった。学校に行かないので授業が行われている時間帯は暇だ。しかし学校が終わるとありがたい事にクラスメイトやらクラスメイトの友人が私のアパートに来てくれたり、映画、バーに連れ出してくれた。


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