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ナニワは京都よりはるかに古い日本国のみやこ。いつから卑屈になったのか!大阪庶民。

見出し写真は、利久さんのポスター。
大阪市廃止住民投票を否決した、力強い筆力。

空襲で炎上する四天王寺、金堂と五重塔

写真は、昭和20年3月、空襲で炎上する四天王寺を、地元カメラマンが必死で撮影した、貴重な記録。


奈良県のある寺院に、日本空爆にあたり、京都と奈良を空襲しないよう大統領に進言した某への、感謝の記念碑があった。

私は、怒りに震えた。京都と奈良だけが、歴史遺産の場所であり、他はどうでもいい?なんて錯誤だ。

京都奈良を特別視する通念は、今もある。

帝大アカデミズムがつちかってきた歴史観。神聖な歴史の舞台は、京都奈良にある。

四天王寺が、明治以後迷走を強いられ、亀井水の価値が忘れられた、背景を、私は怒りと共に納得した。

そして、「大阪には歴史も文化もいらん!銭もうけや」という政治勢力を大阪人が喝采し支持する倒錯も、無念ながら理解した。

江戸時代、聖徳太子信仰の中心は、浪花の四天王寺であった。大阪は信仰と文化の偉大な都市であると、小泉八雲は亀井水を見つめながら熱く語った。そんな大阪の文化はぶっつぶすと、語る、にわか政党に大阪は支配されている。


亀井堂にお勤めしていた時、東京からやってきたお客さんの失敗談を聞かされ、一緒に苦笑した。友人と、四天王寺で会おうと約束したんだが、そんな有名な寺は京都にしかないと思い、京都で下車し、観光案内所でたずねたが誰も四天王寺なんか知らないという。友人に連絡とれて、あほ!四天王寺は大阪にあるんや、と教えられやっとたどり着いたんだが、大阪にこんな古代遺産があるなんて、本当に思いもしなかった。


明治政府にとり、西欧一神教の模倣としての天皇絶対主義のもとに国家神道をくみかえるなかで、てんのう・じ、という四天王寺の愛称は、不敬きわまりない通俗信仰の証でしかなかった。

日本の歴史から、四天王寺も亀井水も無視されてゆく。四天王寺の聖徳太子信仰はでっちあげだという、定説の信奉者はいまだに多い。

大阪市章みおつくし、は
水路の浅瀬に座礁しないよう危険を知らせる


豊臣秀吉による新淀川の筋変えまで
淀川本流であった大川
このあたりは青湾と呼ばれる清流で
大阪城の茶会の水をくんだ


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