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学校のいらない教育学
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一月万冊に肩入れしてますが、なにより清水が登校拒否を貫き、試行錯誤をくりかえしてきた生き方に、多くの思想家が共感し番組に協力しているのが面白い。
清水の以前の失敗を見て、一月万冊を否定する人もいます。清水自身、それで鬱になり、かつての自己啓発的発想を破壊する2年のブランクがあったことを語る。
私は、高校時代を登校拒否ですごした。
で、抱いたのは、学校は知的退廃しか生まないというテーマ。1970年代にそんなことを語る十代は、学校の窓ガラス割るしか表現しようがなかった。単なる反抗期の病気と処理された。
学校のいらない教育学、を求めて大学に行った。教育学を基礎づけるのは、知識批判の哲学です。で、実存哲学と誤解された現象学を、本来の知識批判として読み直す。
そうした脈絡のなかで、一月万冊を見ています。
登校拒否は単なる病気だ、とされた時代から半世紀。ようやく、思想の問題と語れる時代になりつつあります。
日本の徴兵制を基礎とする学校制度を破壊するにはどうすればいいか。
簡単です。学校にみんな行かなければいい。
いい学校に行きいい就職をする。という雇用制度が崩壊しはじめました。ならば、学校に行く意味はない。
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